2008年2月25日月曜日

水曜深夜の聖地



ここで、ああ、まさにこの場所で
あの前枠や、この後枠がっ

おおおおおおおおおう

おうおう


と喘いでいると、
公園隣りの家からおじさんが出てきて、

「かまくら作ったからはいってけ」

と言う。

「通路もあるし、小部屋もつくってるからはいってけ」

と言う。



じゃまあ、ということではいってみる。





すげっ!こん中で酒飲んだら楽しそうっすね!

どのくらいかかったんすか?
「2週間くらいかな」

毎年作ってるんすか?
「去年からね」

「おーい、はいってみろー(と孫に声をかける)」
 --- 孫、嫌がって逃げる。

来年も作ってくださいね。
ほんとに俺来るんで。
「生きてたらね」


特に聞かれもしなかったけど、
ここが「水曜どうでしょう」という番組の
聖地なのだということを説明する。


「あー、あの深夜の?
面白いの、あれ?」


いえ、面白いっていうか、


人生なんで

2008年2月21日木曜日

「大」の大人たち



北大構内にて。
しあわせだなァ、ボカァ



キタザキ先生も負けじと飛び込む!



雪のない香川出身の若い衆は
さらにコワイもの知らずだ!

2008年2月14日木曜日

俺なら一人でいくね

「誰かを連れて行く」という気持ちには
やっぱりどうしても、なってみることが出来ない

残されたものたちは
・・・たぶんうまくやっていくことだろう
としか思えない。

むろんそれはそれで一つのファンタジーではあるし、
さらにその前提条件であるところの
死にたい状況にも幸いなっていないので、
まあ自分についてはなんとも言えないのではある。
(でもやっぱりつれてはいかないとおもうけど)


だけど一方、オッサンの「連れて行かなきゃ」も、
やっぱり、より明らかにファンタジーなのであって

その起源と機能を考察しなければ
一人で逝け!と罵ったところで、
彼らは必ずやまた誰かを連れていくだろう。


むろんその起源と機能に興味なんかないのだけど、
ある文学作品を読み解くことでそれが
理解できるのではないか、という着想を得たのでメモ。

でも別にやりたくもねぇなぁ。

辛気くせぇ

2008年2月4日月曜日

鬼はそと!

昨晩はロクスケがやや風邪気味だったので、
堤神社(地域の神様)の豆まきには参加せずに、
家で豆まき。

各部屋の窓を大きく開けはなって
「おにはーそと!ふくはーうち!」
町中に声を響かせる。

きりりとしまった闇にむかって
豆を投げつけ、デカイ声を響かせる。

とても清々しい。


お正月は
早池峰山でお神楽見物。
ドシンドシンと床を踏みならし
剣で四方を切る。

サバサバッと清められた気がする。


初詣も神社にお参りするときは
おもいきし大きな柏手を2つ。

スカッと気持ちがいい。


四十路が近くなるとやはり
それなりに倦んでくる面もあるのであろうか、
年中の行事がもたらす清々しさというのが、
つまりそういうものが現在もあり続けることの意味が
なんだか分かる気がするのである。


なるほどなぁ、よく理解できないものも
存在するからにはこの世に誰か必要とする
人がいるからなのだなぁ。


そして、それはずっと同じではなくて、
いろんな条件で必要な人になったりならなかったり
ある年齢になって必要になったりいらなくなったりする。


書いてみれば当たり前だが
これまでこんな風には思えなかったな。



合間にポリポリ。

炒り豆、うめぇ。

炒り豆がおいしく感じられるようになったのも最近のこと。


ロクスケはそこら辺のを拾って食べてる。

こらこら、君は3つまでだよ。

2008年2月1日金曜日

今日も京都て

ほんとうは、今日は
京都にいるはずだったんだけど

これからシンゴくんの発表を聴きます。

今日行くはずだった京都との、
出来るはずだった思い出との、
ハカリにかける姿勢で
それは聴かれることになるでしょう。

それは相当キビシイものになるはずだっ


いや、すみません、うっかり
昼休みにバッキー井上さんを
読んじまったものだから


行きたいな京都


空気の密度が「みしっ」と高い8月か
鴨川の漆黒の鏡面に鋭角の街灯が映り込む2月に。



ああ、今日はもう2月なのだね


今日の私を納得させるのは


大変だと思う。