2008年4月23日水曜日

Thinkin in the rain

先日書いた彼
引き合わせてくれたナガサキさんが、

(彼の人のアレンジは定評があるらしいのだが
その時も大変意気投合して、なにかとても
インスパイアされて帰ってきたのだけど、

最近ちょっとまずいことに酒の席のことを
あまり覚えていられなくて、
ここに書けないのがとても残念なのだが、

「時間」のことや音楽のアルゴリズムについて、
とてもふかーいことを話したのであった。
っていうかそんな気がするのだった。

今度あったときこないだ
なに話したんだっけって聞いとこう(笑))

昨年の県美術館のある展示のために制作した、
rainote08というファイル名の
音のファイルを送ってくれた。

音と音楽の中間の領域で響く
とても気持ちのよい音

並行している雨だれの系列を
rainnoteとする不変項=アルゴリズムは
なんなのかなぁ、とか、
(実際大部分はアルゴリズミックに作られたらしいのだが)

並行している系列をどのくらい増やしたら
ポツポツした雨だれじゃなくザーッと言う雨だれになり、
(「しとしと」と「ザー」の境目ではどのように響くのか)

またそれは、最初からホワイトノイズを使うのと
なんか違うのだろうか(加算と減算だね、)とか、

まあ言うたら(言葉にしてみたら)
そんな程度のことではあるけど、

とにかくそれらを聴いて確かめてみたいという、
ということは必ずしも言語的なものではないかもしれない、

雨の景色のように見通しのきかない
だけど広がりだけは感知できるような
「思考」をもドライブする音なのだった。

世界観の発見

いっしょにソバを食いながらフカダさんが、


シュタイナーあるいはユング的な世界観と
日本の地域にかつてあった習俗との同型性
について聞かせてくれる。


それは一言で言えば、
「あの世」を世界観の中に設定して
そこからの声に耳を傾けたり
行ったり来たりする、ということなのだけれど、


なのでぼくは、

人間の精神はなぜ「あの世」なるものを
「仮構」する必要があったのか疑問に思い、

それを口にだしてみたのだった。


すると、

「いや、それが世界観ですから」

という。いやそうじゃなくて、その世界観がなぜ
あの世とこの世の二分法で構成される必要があったのか、
ってことなんだけど・・

「??だって世界はそうなわけだから」


・・という言葉の途中で僕は分かった。


僕は普段からご縁や「必然」というものを
強く感じながら生きている方だと思う。
だけどそれは真の意味で「世界観」と
言えるようなものではなかったのかもしれない。

もちろんそういう世界観を持たなきゃという意味ではなく、
あまり意識していなかった自分の「業」の所在を
不意に突きつけられた感じがしたのだ。


この話は、だからそのような世界観を失った
「伝統工法」なるものも本来の伝統工法では
あり得ない。伝統工法の復権っていうんなら
世界観もまた復権しなければならないだろう、

と続くのだが、前回の「セッション」のときも
物づくりにおける時間の流れについての
衝撃的な指摘があったりしたし、


この人と家を建てたりするのは
面白いけど相当なカクゴは必要だなぁ、と
ソバをすすりながらぼんやりと思った。

2008年4月13日日曜日

ソバー茶店

あいつどうしてるかな、
こっちが別にいいよっつったって
もう前みたいに飲んだりは出来ないのかな、
と時たまそんな風に思い出したりしてたんだけど、

突然、電話があって少しずつでも返したいという。

「信じていた」なんて大げさなもんではないけど、
それでも、なんというか、むしろ感謝したい気持ちで、
おごるぜ、といって仙台浅草で乾杯する。


「おいしいです。ほんとに」といって
神妙な顔で少しずつビールを飲みながら

わっはっは、そりゃひでぇなー、と
ホントに笑うしかないというような
まるでマンガか小説みたいな
これまでのすごい生活の話をしてくれ、そして、

「今はこんなことしてるんです」といって
差し出した名刺の肩書きがまた、
ちょっと出来すぎじゃね?ってくらいの落差で。
(「落」差じゃないか)


「僕には人しかないんだって分かって
今一人ずつ回って少しずつ返してるんです」

なかなか出来ることではないと思う。


「僕が正気を保つために行く喫茶店があるんです。
最後にそこでコーヒーおごらせてください」
というんで、勾当台まで。

途中、2年前一緒に行ったことのある
イタリアワイン屋の話になり、
久しぶりに行ってみますか、と寄り道。

砂肝をバルサミコ酢とトマトで炒めあえに
したものと、口の中でその味と落差なく
完全に地続きになるやや濃厚な白ワイン。

その店でも、最後の茶店でも、
カウンターの一番端っこに陣取って
一人でワインやコーヒーを飲む
若い衆がいた。ヒトがヒトである限り
こういう人たちがいなくなることはないのだろう。


「僕ほんとにバカなんです。
やっちゃいけない人たちのところに
わざわざいってやっちゃうんです」
イタリアワイン屋でも、茶店でも
他のお店でも、随分「やっかいに」なってきたらしい。

生活が落ち着いた今でも
先週チベットで彼の友人が死んだ(!)ときは
やっぱり茶店で荒れてしまったようだ。

それでも、どちらの店でも知らん顔して
受け入れてくれていた。

彼の、何をやらかしてもまた出かけていくその姿は
なにか修行をしてるようにも見えたのだが、

そんな風に受け入れてくれるのは
店が大らかだからということももちろんあるけど、
やはり、そいつの何かが、周囲に
なにかしら共感を呼ぶからなのだろう。


定禅寺通り沿いの2回にあるその喫茶店の
コーヒーは、甘くて苦くて濃くて本当においしくて、
仙台でようやく「茶店」を見つけた思いで、
国立の邪宗門でぬくぬくとしてたときと同じように
本当にゆったりと落ち着いてしまう。


ここにはきっとまた来てしまうだろう。


僕にだって正気を保つすべが必要な時はある。

2008年4月11日金曜日

ワナ

CREEKの左チャンネルに音源によっては
かすかにビビリがはいって気になっていたのだけど
ついに音が出なくなってしまったので、

1月頃に通勤路沿いに開店したことは気づいていて、
いつか行ってみようと気になっていた
オーディオ修理屋さんに持ち込んでみる。

売り物のスピーカやアンプ、
修理品ががうずたかく積み上げられた
12畳くらいの狭い店で、

パソコンで帳簿管理らしきことをしていた
ニットキャップでひげ面の若い衆が
「いらっしゃい」というと、奥から
ortofonのロゴがプリントされた作業着を着た
初老のおじさんが出てきて、
「ほぅ、クリークですか」
「いくらまでなら修理しますか?」
とかなんとか一通りの話を終え、
伝票を受け取って、

じゃよろしくといって立ち去ろうと
顔を上げたところに
ぬっとコーヒーカップがでてきて
若い衆が「どうぞ」という。

さらにすかさず、
僕の「あ、もう終わったんで」という言葉を
言わせないかのようにおじさんが
「時間ありますか?」ときた。

その辺の、ワン・ツーみたいな
絶妙のタイミングぶりに、
笑ってしまいつつ
「ええ、だいじょぶですよ」といって
ちょっとの間オーディオ談義をする。

そんなに数は多くないんだけど、
スピーカはオランダやドイツなどヨーロッパのメーカーが主で
アメリカのも昔のJBLの紙コーンのフルレンジなど
すっごい僕好みのラインナップで
結局盛り上がってしまう。

おじさんが、とっておきを出してくるときの「悪い顔」をしつつ
「トランス変わるだけでこれだけ違うんだよ」
といって、peerlessのトランスをつんだチューブで
JBLのLE-8Tにツイーターユニットを
くっつけた改造品をならしてくれたんだけど
これがすごかった。

大げさではなく、とりはだがたって
不覚にもやや涙腺がゆるんでしまった。
ココロを直接なでられたような
やさしくぬくもりがある音。

チューブは味が付きすぎていてあんまり
好きじゃなかったんだけど、
やっぱ結構好きかも。

っていうかピアレスのトランスすげぇ!


この店では、結構若い衆が
集まってはああでもないこうでもないと
やっているらしく(よくあることだが)、
中の一人がピアレスの音がどうしても聴いてみたい
というんでおじさんが客から借り出していたのが
たまたま店に置いてあったのはラッキーだった。


っていうか、不幸だったのかもしれない。

僕の自作電流駆動アンプの
トランスをピアレスにして、
ついでにコンデンサもスチコンアレイに
しちゃったりしちゃったらどうなってしまうのだろう・・

とか、すごい久しぶりに悪いことを考えてしまい、


そうこうしているうちにCREEKが直ったと連絡があったので、

受け取りに行ったときに
ピアレスでな、な、なにを聴かせてもらおうか、
とソースが頭の中をぐるぐるし、

ぜったいCREEKでLE-8Tを鳴らさせてもらうんだ、とか、

僕のノーチラスを持ち込んでチューブで
ならしたらどんなことになるんだろう、とか、

ポワポワと頭にいろんなことが浮かんでしまい、


オーディオ心は仙台に来てから
せっかく眠っていたのに

どこにワナが仕掛けられているか
わかったもんではない。

スプリング・サンダー

今回は時差ボケがひどくて
ぼんやりとしてしまい、
何しに来たんだかわかりゃしない

膜がかかって遠雷のよう

なにもかもが。

なんとなくそのまま帰る気がしなくて
家をやりすごして、家から50mほどの堤防へ。
海と空との境目が、いまの気持ちとそっくりに
膜がかかって曖昧な中に
遠く木更津までの光がちかちかしている。

ふと、この堤防のコンクリートの感触も
光の列が行き過ぎる京葉線の眺めも
海と空の境目があいまいなこの海も
さらには寄る辺ないこの気持さえも
20年前に家をやりすごしてやっぱりこの堤防に
もたれかかっていたあの時と全然変わりがないことに
気づいて笑ってしまう。


この寄る辺なさをかろうじて
この世に結びつけるこの身体が
いつか滅びようとは


ならば


ならば


すべてをすてて今夜荷物まとめて
サボテンもってレコードもって
やりかけだったパズルをすて
車に乗って夕日に沿って
知る人もいないとこに着くまで
(『サボテンレコード』)

2008年4月9日水曜日

正体みたりCO2

フジファブ爆音中!
チクショウ!



一昨年だったっけ、
やたらロンドンに行ったり
経由したりする機会があって
チューブがすーぐ止まる
へにょへにょ国家であることがよく分かり、
だからなんでこんなにポンドが
ずっと強いのか首をかしげた。

そのときよく付き合ってもらった
トキさんといたった結論は
首根っこ、つまりルールや仕組み、
スタンダードをつかむと
やたらついよのだね、
ということなのだった。



彼らは今度は二酸化炭素を
金に変えようとしている。

それがまさに進行中であること、
それが二酸化炭素であること。

そこから我々はスタンダードなるものの
正体をしっかり見極めなければならない。



これまでどおり、じ、じゃあ
急いで日本もCO2市場立ち上げなくちゃ!
じゃなくて!!

2008年4月2日水曜日

ナカムラでハヤオ・ミヤザキ

MPI滞在をアレンジしてくれた
Tobiasくん一家が旅の最後の晩ご飯を
共にしてくれた。

哲学研究者の奥さんは
気さくな一児のおかあさん。

かと思いつつ、ピシリ、と、例えば
「チベット問題どうおもう?」
とくる。

MPI近くの家畜小屋のにおいがただよう
ロクスケも大好きなミットグッチの絵本Dorfそのままの
小さな村のキュートなレストランで、
本当においしい、ニラに似たハーブでグリルした
白身魚のライス添え(正確には「白身魚のっけ」)に
夢中になっていたので、

ンガグッグ

となってしまい、その情けないていたらくを
帰国後報告すると、みぃこは

「それよかギョーザだ!ってかわせばよかったのに」

あー確かに、それはうまい切り返しだ

折しもTobyは我々がドイツ餃子と呼ぶところの
ニョッキ風の皮に挽肉を詰めたものを
食べていたではないか!!
あのシチュエーションを拾えなかったのは
いかにも情けない・・


それでも、中国のという国にセットされた
覇権主義的性格について、例えば、
「中国」という漢字の意味などを
引き合いにだして説明する。
(その程度な自体情けないんだけど・・)

ドイツ首相がオリンピック欠席をいち早く
表明した矢先で、ドイツ国民(というかヨーロッパの人たち)
にはチベット問題が大きな関心事なのだった。


息子のMax君(やっぱり自動車好き)を
眠らせるために奥さんは帰っていき、
Tobias君は「昨日はMaxを見てくれたし」ということで
奥さんの許しがでてダウンタウンのバーへ。

仕事上の抽象度の高い話をして
ややヒートアップしたのでどこかで
ビールでも飲みたいね、ということになって


じゃあNeckerMullerでビールでも、
ということになる。NeckerMullerは
Necker川沿いの居酒屋兼ブリュワリーなのだが、
Tobyの発音だと「ナカムラ」に聞こえる。


ナカムラでは夜も更けてきたこともあり
パーソナルな話が中心になったが、
不意にTobyが、

ハヤオ・ミヤザキ作品の中では何が一番好きか、

という日本でも「お近づきの印」話題ランキング
トップ10に入る話題を切り出してきた。

Tobyはどれが好きなんだ?と聴いてみると
もちろんPrincess Mononokeも、
Spirited Awayもいいんだけど、僕はやっぱり
Howl's Moving Castleかなぁ。

いやー、確かに!君らしいよ、Toby君!
とやっぱり納得できてしまったのは本当に
面白い体験だった。

しかも、こいつの良さは分かるめぇと
Kiki's delivery serviceの名を挙げると、
ぬおお~それを忘れてた~っという
悔しがりようでなかなかヤルのである。

しかし、Whisper of the Heartを振ってみたら、
これは見てなかったし、知らなかった。
ま、監督という意味ではハヤオ作品ではないし、
この作品は完全女子視点だからね。

そのあと、「○○なら何が好き話」が暫く続き、

「ふぅ、日本人はやっぱテイストあっていいなぁ」
(いや、全然大したこと言ってないんだけどホントに)


僕が海外に行き始めたのは、
大学3年生の時、そのときはこんな状況
考えられなかった。


「僕は日本に行きたい。仕事のこともあるけど、
なによりその文化に触れたいからなんだ」

ジャポニスムってまだ生きてる。
(それはtobyならずとも最近感じることだ)
我が国はまだまだあこがれ要素、
ネタ満載、ってわけだ。


このしめった狭い国土にオランダの街並を再現しちゃったり、
ビルの中に30年代タウンをまるまるパックする
心意気でさ、本気で彼らのあこがれに答えるべく
もう一度「列島改造」すべきだよ。


いやマジで。

茶釜ステーション

Jalでもそうだと思うんだけど、
ANAの機内プログラムには
おじさん向けの邦画が必ず一つ入っていて、
これまでは『寅さん』シリーズだったんだけど
(もちろん、必ず見る)


今回は、

なんと!

『駅前茶釜』!!


『駅前シリーズ』っていうのは、
東宝で1957から1969にかけて
全24作が作られた、
ロングランシリーズである。

森繁、伴淳、フランキー+マドンナ
(寅さんと違ってマドンナはほぼ固定。
駅前茶釜では淡島千景。
たいてい未亡人役、というように
やや年増趣味に応える設定。
ここらへんも寅さんと違う)
というスターシステムで、


テレ東の土曜午後あるいは深夜帯、
年末年始の深夜帯の定番だったので、
そしてなぜか僕は子供の頃から大好きで
(特急シリーズとかね、とにかく
プログラムピクチャーが大好きだった、いや、です)
かならずといっていいほど見ていたので、
僕の、趣味や感情形成を考える上で
欠かすことの出来ない作品群なのである。


とはいえ、感情形成に資するような
高尚な内容は全く含んでいなくて(笑)、

まあ、美人(未亡人)を巡る森繁、伴淳、フランキーの
どたばたといえば24作品全部を要約できてしまう(笑)。


寅さんや特急シリーズも含め、
シリーズものの一つの重要な特性である
「ご当地もの」の性格をこの駅前シリーズも
備えているのだが、東宝だけに寅さんとは違った
洗練された都会的「地方」として描かれており、
(やや日活の無国籍に近い)


また、森繁というと、もっさりした俳優という
印象をもたれる方も多いと思うが、
次郎長三国志での石松役に見られるように、
本来は小気味よく身体の動くアクション俳優で、

やっぱり身体の動く伴淳とフランキー
(伴淳は小気味良さというのとはちょっと違うけど)
とからんで、

全体としてとても洒脱な
アクションコメディーになっていて

雷雲間近の地上35000フィートの暗がりで
またしてもシビレてしまい、


スターアライアンスメンバー
オールニッポンエアウェイズよ、
俺はどこまでもついてくぜ、
と星飛雄馬より太い涙を流しつつ
拳を握るのだった。




私のフライトは感情的に
とても忙しいのである。

老成

つらつら考えてみればまあ
それなりに時宜にかなって
やることはやってきたのかとも思うけれど、

おせーよ、感はある

どのくらい遅いかというと
うーん、20年くらいかな

20年前にいま程度に心静かだったらね。
20代をもう一度やりたいなんて絶対思わない。


まあ、老成、という言葉もございますし、
また、遅いということはない、とも申します。

まあもうとっくに老成するより他に
ない年齢になってるんだけど(笑)


だけど「成る」ってなに?

おそらくはずっとこのまま、
僕の「生活」というものが
どこかに広がるなら広がるし
何かにつながるならつながっていくのでしょう。

2008年4月1日火曜日

8月の奔流

すっかりココロにレッチリが復活してしまい
フリーみたいにベースが弾きたくてしょうがない。

このどうしようもなく腰の据わらない魂を
未だに扱いかねている。

どうすりゃいいんだ?



なんてね。



映画は、August Rushがとてもよかった。
成長譚であり貴種流離譚、しかも音楽による再会となれば、
もう全然引いたスタンスでは見られない。

Keri RusselとJonathan Meyers演じる、
どこか危うさをもちつつ周囲から必ず
手がさしのべられるタイプの音楽家2人が出会い、

そして生まれた美しいFreddie Highmore (『チョコレート工場』の坊や)は
とある事情から父母を知らぬまま孤児院に預けられるのだが、

福音に耳をすませ、音を音楽として編むように
成長と再会を組織してゆく。

それは実際に構成上の音や音楽の流れでもあり、
その音や音楽のそれは素晴らしいこと!


「音楽ってなんてすばらしいんだろう」


神様にちょっとだけ近い地上35000フィートの暗がりで
星飛雄馬より太い涙を流しながら拳を握ったのだった。



そして、ロクスケよ、常に音楽とともにあれかし、と、
GrazのとあるMusik hausで手に入れ苦労して持って帰った
チェコ製の子供用ギターを
(やや重めのネックとボディのバランスがすばらしい!!)

ロクスケは、

「いいから、いいから」

と手にしようともせず、
同じくおみやげの虫眼鏡付き虫かごに、
(小さな円筒形の底面に開閉可能な
虫眼鏡がついててとてもかわいい)
食玩の鳥やら虫やらを詰め込んで
覗き込んではニヤニヤしてる。


がっかり。