2008年11月8日土曜日

パリのギター職人

パリでお世話になった元大阪人トモヤンのダンナはリベヤン、リベルトさんだっけかな?という名前のスペイン人で、ギタリストでギター職人。モンマルトルにある、かわいらしい間口のウナギの寝床のようなギター工房は、いろんな工具、薄かったり細長かったりいろんな形の木材、作りかけの楽器、完成した楽器、塗料、金具、図面、なんか変な記譜法のも含まれている楽譜、CD、テープが、山のように、だけどどこに何があるかは把握されている感じでぎっしり積まれている。楽器はギターだけじゃなく、ウードや、名前は忘れちゃったけど亀の甲羅やアルマジロの甲羅がボディの楽器や、マンドリン、ウクレレ、ウクレレの原型になった楽器、ギターをのぞけば同じ種類の物は2つないたくさんの種類のギター系楽器。それぞれリベヤンの作ったものも修理したものも。

こういう作る博物学みたいのはもうまったくツボで、自分でもビックリするくらいツボだったってことがわかって、テンション上がりっぱなしで、しかも一段下がった奥に弟子がいるなんて言われたもんだから「アマザワセイジくん?!」とキュンとなってテンション最高潮で奥へいくと、アマザワくんどころか、ジャンピエールレオーどころか、てっぺんがはげ上がったおじさんで、ボ、ボンジューグと言ってようやく少し冷静になる。

ロクスケには別に好きにしなよって思っていて特に望みなどなかったのだけど、一つだけ、楽器は好きになってくれたらいいなぁ、特にギターとかやんないかなとおもっていたので、そろそろどうかなと聞いてみたら、まだ早い7歳からだ、と明言されて根拠はよくわかんないけど納得しつつ、しかし、サブリミナルに間接的に暗に背後から死角から盲点をついて知らぬ間にギター職人の夢をロクスケにインプリントして、「モ、ゼッタイ弟子入りさせちゃるけんね」と思わず谷岡ヤスジ口調でモンスター化するペアレント、いやペアレンツなのであった。

2008年11月7日金曜日

そのときどきの入り口

TMのひとの逮捕はあんまりびっくりしない。僕にとってはずっとそんな感じがするひとだったから。みぃこも「あ〜、やっぱね、ってかんじだよね」と言ってたので、世代的にある程度共有できる印象かもしれない。まあ、キホンどうでもいいんだけど。

でも、僕よりちょっと年齢が若いひとたち、とくに今聞いている音楽では趣味が合うようなひとたちで、TMNから入ったっていう人は結構多いので彼らはどう感じているだろう。

僕にしてみれば、そんなわけで、TMNから音楽に入る感じが全然分からないんだけど、なにか先端的な感じ、アンチな感じ、人とはちょっと違う感じ、を投影できる音楽が時代時代にあって、その一つが彼らの時はTMNだった、ということなのかもしれない(まあ単にヤングアンセムの投影先ってことでもあったろうけど)。最近は見かけないけど、そしてこれも全然理解できないんだけけど、サノモトハル神って人たちもいたなぁ。

まあね。

人の入り口をとやかくいうつもりはないですが、自分の事を振り返ったとき、小学生のときYMOでスネークマンショーでつくづくよかったなぁ、とは思う。このような場合、時間がたつことで評価の定まった過去の状況を故意あるいは無意識的に自分の属性と取り違えて自慢するというのがとられがちな行動ですが、そうでは決して無くて、これは「僥倖」であり、「僥倖」として感じられることは僥倖だなぁと思うし、そこから大げさに言えば世代的使命みたいなものさえ感じてしまうことがあると言えばやっぱり言い過ぎかもしれないけど。

自分の属性としての趣味としては恥ずかしいことはたくさんある。ライブハウスは別として大箱で「ライブ」として、というか「コンサート」として見に行った最初のコンサートはレインボーだしなぁ。リッッチ〜〜とか叫んでた。カシオペアとか歌謡フュージョンにどっぷりだったし。僕にとってFM音源の音が象徴するのはどっちかいうと向谷実です。ベストヒットUSAで適度に解毒されつつ(かなり早い段階でヒップホップとかハウスとかの動向を紹介してたし、スクラッチの実演紹介wとかしてたのを思い出した。すごい番組だったと思う)、好きな女子にThe Jamに導かれなかったら今頃どうなっていたことか、とゾッとする。とはいえ、ポール・ウェラーは既にスタカンで、勇んで出かけた新国技館(デートね)ではダブルのスーツで高らかに歌い上げてて「えーと・・」という感じだったのですが。

まあカシオペアがなぜ恥ずかしいかは、その後のインディーで、宝島で、フールメな(これはこれで恥ずかしい)カシオペアが好きとは口が裂けても言えない高校生活というものをふまえないとご理解いただけないとは思います。なにより、せっかくYMOから入りつつ(というか実はその前にビートルズなんだけど、こちらはリアルタイムじゃないので)、はっぴぃえんどに遡航したり、ブラック・ミュージックに旅立ったり、アイドルを掘り下げたりって方向に行かずに、フュージョンだのハードロックだのにうつつを抜かす、というのは知的に音楽と関わっていなかった動かぬ証拠であり、マチゾーさんが随分前に「フュージョンほど音楽的遺産を残さなかった音楽はない」と言っていてホントにそうだなと思うけど、随分フィジカルなおつきあいしか出来てなかったなと思う。まあ今となっては、過剰な80年代にぴったりよりそわずバカな子供でいられてよかったと思える面もないことはないんだけど、ともあれ、10代というのはまったくバカバカしいものでございます。

2008年11月1日土曜日

モン場所

曇り空のCDGに降り立ってゲートまで走っていると、みぃこが「うさぎ!」と言う。見ると滑走路脇の芝生にほんとにうさぎがぴょんぴょんしてて、目が慣れるとそこらじゅうにいる。こういうふうに「湧く」ようなウサギを見ると、って別に他じゃ見ること無いんだけど、と考えたところで以前CDGに降り立ったときもウサギだ〜って思ったことを思い出しながら、とにかくそれで思い出すのは、ルノワールの『ゲームの規則』の狩りのシーンで、追い込み漁と言うんだっけ、音を出して網に魚を追い込むように木の棒で木を叩いて森の小動物を追い込んで鉄砲で撃つのだけど、そのように追い込まれる小動物の多さ豊かさに、失われた「貴族的なもの」を重ねて貴族だったためしもないのにため息がでていたのはもしかしたら間違いだったのかもしれなくて、モンマルトルでみぃこの作ったエプロンを店に置いてくれているトモヤンが「まだちょっと早いけど、狩りの季節になると、皮をひんむかれたうさぎが肉屋にずら〜っとならぶのよー」と言いながらだしてくれた、名前は忘れたけど野菜と一緒に煮込まれたlapinの料理を食べながら、あの瀟洒な林にカンカン響く音に追われてバラバラと飛び出してくる小動物のシーンはまだそのまま現実のものなのかもしれない、と、その朝までいたボルドー郊外の紅葉したブドウの畑のアップダウンのなかに教会を中心とした小さな集落が見える人気のない風景(思わず安野光雅が思い浮かんでしまうのがなんだか腹立たしい風景)のひんやりした空気をもう一度、二の腕から肩胛骨にかけて思い出しながら思った。

どこに行っても、どこに居てもおんなじだ。トモヤンのダンナのリベヤンのギター工房をでて、68番線のバス停まで送ってくれたトモヤンの髪の毛にのっかった雨ツブをみながら「またねー」と言った今朝はロクスケといっしょにおとなりのスズキさんのところへ行って帰朝報告をしてる。初冬の仙台のひんやりしたかぐわしい空気のテクスチャで検索されて透過的に重ね合わされて眼前に浮かぶあの場所この場所は、名前はなんであれ、「私の場所」だ。