2007年5月31日木曜日

続・ご利用は計画的に

本日、我が社のトップと膝詰め直談判

事務局の心意気あふれるアシスト、
そしてトップの三方一両損目配せ的ご采配により、
非常にいい感じで間接経費案件が決着を見ました

うーん、うちのトップ結構すごいかも

やるなぁ


これで院生シソゴくんを東京に派遣することができます。
東京の卒業生の皆さん、そのときは社会人の
財布の破壊力を思う存分見せつけてやってくださいね。

身も心もファイルも

ああ・・

オフラインで使えないことだけが
おれを押しとどめていたのに・・
http://gears.google.com/


ローカルにサーバとDBを仮想的に作って
機能はJavaScriptで。Ajaxだね。


まずはとりあえずサンプルとして
GoogleReaderがオン-オフシームレスで
使えるようになってる

このフレームワークを使えば
だらだらと長い当ブログも
オフラインで読めるようになりますよ!

ええ、べつそこまでして読みたくないですよね


しかし、どうせGoogleDocsもこうなるんだろうね

こうなったらFireFoxだけがうごく激軽PCがほしいな





お、これで今月は
平均1エントリー/day達成か

TheePioneersライブ映像


真ん中がおれ



うそですっ
ええうそですとも
すみませんね



どうせ左遠方にフレームアウトしておりますよ



すでに伝説の、ポストロックバンドとはくくりきれない
アバンギャルドかつハードコアかつポップな心意気あふれる
愉快な仲間たちの年末ライブの映像が届いた。
(ちえちゃんありがとう)
映像からは伝わりにくいが、全員のアンプがフルゲイン、
フルヴォリュームだったことは言うまでもない。



「いやは〜、鳥肌たったっす!!」
とのライブ後の感想に、俺らってすげぇんじゃね?とマジで
調子にのっているワレワレは定禅寺ジャズフェスティバルにも
この時の音源でエントリー中なのである(現在審査中)。



ああ、おれには見える、ジャズフェスで
高橋幸宏に見いだされて衝撃のデビューを飾り、
2万字インタビューに答えるワレワレの未来が。

2007年5月30日水曜日

祝:自主おしっこ激闘編

本日とうとうトイレでおしっこをしました




いや、2歳8ヶ月のボーズのことですが。

「トイレでおしっこする」

字で書いてみると、なんてあたりまえ

2007年5月29日火曜日

ご利用は計画的に

競争的資金の間接経費の取り扱いについて
大学に意見申し上げた。

はー、いろいろやることあります、
ワレワレも。


・使ってほしいけど、使途は戦略的なものに限ってほしい
 赤字の補填につかわないでね

・「研究者のインセンティブ」なんてチンケなものは求めない。
 しかし、100%召し上げにしないで当該研究をサポートするべく
 使用した方が中長期的に見たとき大学への実入りも大きいはず。
 そういうプラグマティックな判断をしてほしい

・ってゆーか、間接経費はもともと当該研究をサポートするための
 経費であるということはわすれないでくらはい

というような趣旨


我ながらまっとうな意見だ
こういう意見は通ってほしいな
それこそがインセンティブだよ



あーあ、

「あれ、先生はどちらですか?」って
部屋に入ってきた学生に聞かれちゃう
ちんちくりんなおれですけどー
学部で一番お金かっぱいできてんすからー
(ガシガシ先生と同じくらいかな・・)


っていうか
あの程度でイチニをあらそう
ってのが問題なんすけど

2007年5月28日月曜日

教育から遠く離れて

教育再生会議第2次答申。
サイトにも全文はまだアップされてないので、
要旨しか分からないけど

大学に関しては
国公立大学の統廃合、
経営の効率化、
9月入試の促進、
など


あっそ


その昔、寺田寅彦は、100時間ピアノを弾き続けた、
という当時のギネスっぽい企画の報道をきいて、
「いちばん音楽から遠いよね、そーゆーの」
って言った。



遠いなぁ 


遠すぎだよ


教育を語るんならさ、

何のために誰をどういう風に育てようか、
って、教育を語る上であたりまえの、
ちゃんと話として通るところから
語り初めてほしいよね



なんで大学経営効率化論をさ、
教育再生答申の名で語らなきゃいけないのよ
(そもそも何が「再生」だよ)

経営が効率化すれば、それで
すばらしい人材が育つようになるとでも?



それにそもそも、
国公立大学が乱脈経営してるみたいな
前提が気にくわねぇ

先進国中最低の、
しかもダントツ最低の予算でさ、
世界でこのプレゼンス維持してるんだぜ
日本の研究者はさ

それがさらになんで、
必要なものにはきちんとお金をかけましょう
って話の前に、経営効率化の話になっちゃう?
なんのための予算だよ



統廃合で一県一国立大学体制つぶすってか、
一方で学力低下って騒いどきながらか?

知性は記号のようなものだとでも?
じゃ、そもそも学校いらないじゃん!!

知を具現する「場」は、アイコンは、必須です

学生は、実験室や院生室や、サークル室から、
そこにとぐろをまく先輩のたたずまいから
ちょっと変わった先生のふるまいから
知的であるとはどういうことか、を学ぶんです。

県庁所在地には必ずある国公立大学という「場」から
地域住民が享受しているものをきちんと評価すべき

その意味じゃ、やるべきことは、
その「場」をなくすことじゃなくて
カッコよくすることだよ

キャンパスという空間を
知性のヴィジュアルとして整備しよう、
そんな方針がもし語られていたら、
どれだけ、風通しがよくなることか



ま、その意味じゃ、民間主導ってのもたいしたことないね
わるいけど

教育再生会議には民間からもたくさん人がはいってるけど、
公=もっさい、民=クールって一般的図式から言うならさぁ、

「公の皆さんは分からないかもしれませんが、
ヴィジュアルって重要ですから、ファカルティクラブを
めちゃくちゃかっこよくして、先生方もびしっとキメてください
それが基本中の基本です」くらいのことは言ってよ



何が人をドライブするかってこと
真剣に考えてねぇんだよなぁ

魅力ってものをさ

それが「戦略」ってことの第一義なんだと思うんだけどねぇ



そして結局のところ、だれも知性なんて信じてねぇんだよなぁ
結局「勝つ」のは知性なのに



功利的であろうとしているらしいけど、
それが一番夢見がちなことなんでわかんねぇかなぁ



爽やかに現実的な知性に触れてぇなぁ



まあ少なくとも9月入学促進はやめてください
ウチのニャー先生(教務委員長)が死んじゃいますから(笑)

祝:自主おしっこ

本日ロクスケはみずから「おしっこー」と宣言し、
おしっこをしました。お風呂の洗い場で、ではありますが。

やれやれ、人間になるのも大変だよ

こんなことでも赤飯炊きたいくらい

2007年5月26日土曜日

よるべなく

おじさんとかおばさんには
ずいぶんかわいがってもらった
年齢的にはむしろあっちに近くなった今でさえ
まだそんなことがときどきある


国立に住んでたころ、
ヒッピー長屋の近くの
食料品店(個人経営のね)に
よく行ってたのだが、

そこのおやじが僕の買い物かごの
その日のラインナップをみては

「ちょっとまってね」

といって奥に引っ込んで
店に並べる前の肉だの野菜だのをもってきて

「これこれこうして食うと、んまい」

とアドバイスしながら
ふくろに放り込んでくれるのだった。



飯田橋に住んでたころ、
駅前のカウンターステーキ屋の
ならびの小さなカレー屋でカレーを食ってると
50がらみなのに少年みたいな少女みたいな
おかみさんがだまってサラダだのなんだのを
トンとおいてくれるのだった。



「なんであんただけ」といいつつ みぃこの説は、
「かわいそうに見えるんじゃない?ふふん」
という、なんか納得いかねぇ!ものだったのだが、



やっぱり職場の年配の人に親みたいに
かわいがられてるってやつがいて、そいつを見てると
かわいそうっていうんじゃ全然ないけど
僕にもやっぱどこかポツネンとしたところが
あるのかもしれないなと思ったりもする。



考えてみれば食い物がらみなことが多いのも
「ほれほれ、食え食え」と、のら猫にエサでも
やるような気持ちだったのかもしれない。



孤独っていうちょっと大げさな言葉しか見あたらないんだけど、
でも別に寂しいってわけじゃない。でもときどきは、
「なんかいいことないかな」って言っちゃうような
そんな 飄とした ひとりでたってるたましい



ときたまそんなものに出逢うと、ああおんなじだと思い、
月夜の晩にのらねこの兄弟がふと寄り添うような気持ちになる



神楽坂のあの猫どもは元気かなぁ

2007年5月23日水曜日

形は知っている

本日の演習IVは、
道具をデッサンしてその機能を探る、
というex-formな課題


たとえば、玄能(トンカチですよ)。

先端の金属部分の両端が
一方は平たく、一方は少しだけ凸状に丸みを帯びており
丸みを帯びた側は、仕上げの段階で
釘の頭をやや板に押し込むようにするため使う

そのため、一本の釘を打つ過程の終盤にいたって
玄能をクルッとひっくり返す必要があり、
慣性モーメントの大きな(ということは打ち込むときに
先端に大きな力が出る)柄の手前の端の断面形状はラウンドしていなければならない

一方、先端の金属部分に近い柄の断面形状は方形になっている。
これは力がかかったとき金属部分が回転しないようにするためでもあるが
釘の打ち始めなどで細かい動作をするために、金属部分に近いところを
握ったとき手の中で玄能が回転してしまわないようにするためでもある
(細かい動作のためにグリップは軽くなる)

また、柄の方形部分より少し手前がくびれているのだが、
これは細かい動作をする際の支点として機能する。
ここを小指と薬指くらいで軽く握って手の中で遊ばせながら
コツコツとたたかくわけだ。

くびれ部分から柄の手前の端までの形状は玄能によって様々だが
力強く打ち込むときしっかり握るために太くなっていくのが原則である
今回使った玄能はくびれからいったん太くなったあと、手前の端までの
間にもう一つごく小さなくびれが作ってあった。これは慣性モーメントを
2段階に調整するためであろう。



と、言葉にするとこれだけの機能が
(これを全部指摘できた者はいなかったが)
あの単純なフォルムの中におさまっている

機能が形態として完全に表現されたすばらしいデザインである。


さらにより重要なのは、これを使う大工さんはもちろん、
このデザインを磨いてきた代々の職人さんも、
現在この玄能をつくっているメーカーでさえも
(最近のメーカーはもしかしたら意識的かもしれない)
このような言葉による理解はしていないだろう、ということである

形態と機能についての分析的知識(つまり理論)がなくても
使えるし作れるし、またより使いやすくするための改良もできる

つまり 形はしっている、ということだ

ならば、この形態そのものに
私たちの知性が実現されていると言えないか?


--- それは言えるし、すでに指摘されてるよね

そうだね でも人文学的かあるいは科学史的じゃん?

そのような知性のあり方を認知科学的につかまえられないか、
ってのが最近の悩みどころなんだよね
じゃないと ほら 使えないでしょ?

2007年5月22日火曜日

キリンジ・ピール

ここんとこキリンジづけ

神がかった『DODECAGON』にはまってからというもの、
生活上の心の軌跡をそのままなぞるように

今は『Paper Drivers Music』を

メロディ過多アレンジ過多に
やや胸焼けしてほかのを聴こうとするんだけど
ものたりなくてやっぱり聴いてる

それでも最近はよく
なぜか くるり をきく

口直し とゆーか
くるり や ZAZEN や Jim O'Rouke に
解かされるものは あるね




しかしtwitterばりに書いてるな w

--- 何かにつかまらないように?

そりゃ あるね




いつかは想像を超える日が待っているのだろう
いつかは想像を超える日が待っているのだろう
毎日は過ぎてく でも僕は君の味方だよ
今でも小さな言葉や吐息が聞こえるよ

from『How to go』

虚しさも中くらいなり

こうして書いてるとなかなかに虚しいものではあるよ

書かないと考えられないので自分のためではもちろんあるのだが
求められもしないものをこうしてさらすのは。

--- mixiでコミュニケーションする時代に錯誤的な考えですね。

しかしまあーあれだ、結局どうでもいいもんなぁ
ときどき会いたい人に会えればさ



それでいつもめんどくなってやめちゃうんですが
今回は「むなしくても続けなきゃだめだ」
とおれのソウルが叫ぶのだ

きっとそのうちなにか見えてくるのでしょう
もうちっとなんかこなれたものが書けてくるのでしょう
面白いですねとかってモテたりもするかもしれないじゃないか
がんばっていこーよ


そういう身勝手な企画だけに
お読みいただけてるかもしれない方々にとって
せめてなにかしらほんのちょっとだけでも
面白かったりするところがなければまずい、

と、また求められもしない余計なプレッシャーを
感じたり感じなかったりして今日の私がございます。

ころもほすてふ


これが職場の庭だ!ってゆーか単なる森だ!


ご当地仙台は毎日やばすぎる天気

でもこれから冷たくて暗くて長い最悪の季節がやってきます。

じっさい仙台の梅雨は最悪です。油断してるとすべてが
緑色のふかふかのもーふ状のものに包まれます

ぬくぬく〜



じゃねっつの!

このカビ野郎!



なのでいまのうち
せいぜいたのしんどこうと思います。


衣替えなども、6月になっては遅いので
この時期にやらなきゃならないんでしょうね。

服は結構あります

でも管理が下手なので地層の下の方のは全然着なくて
結局 着の身着のまま、です

訳がわからなくなると
弟たちに全部やってしまってリセットします

いつまでたってもうまくなりません

きちんと着回してる人を見ると
アタマいい人なんだなぁと マジ尊敬します

量なりのスペースを確保しろ、ってことなんだよな結局
でも箪笥的なものはきらい

ことしはニット系に穴をあけるのだけは
避けるようがんばります

2007年5月21日月曜日

日割りでゴー:東京転入人口

5年間で39万人が東京都に転入バナシの続き

ちょっとまて、転出がカウントされてないのでは?
と思ったが、やはり増分ということらしい(げろー)
この中の第12表


そのへんのスージを もうちっと具体化してみよう



まず日割りすると、

39万/(5*365)≒ 214人

大型バスがだいたい55人乗りなので
毎日4台が東京にのりつけて、
はいはいーこちらですよー ってわけか



出て行かれる方から見ると、

214 / 47 ≒ 5

各都道府県から毎日5人くらいが、
おら東京さいぐだ なわけだ

ほかの都市部も流入してるから
もっとたくさんだな


カーブが気になるな
単純な外挿はできないけど
過去5年はだいたい7万で推移してる
減る傾向はないなぁ


いっぱいいっぱい詰め込んだときに
テポドン飛んできたら
ってか地震がおきたら
どーすんでしょね。

危機管理って以前の単純な
想像力だと思うんですが


ってかほんと余計なお世話ですけど


東京の防衛・耐震能力高めるのと、
経済・生産拠点を分散させるの、
どっちがコスト小さい?

後者の方が波及効果としては健全だな
耐震能力アップも兼ねてるし
(集積度ちいさければ地震でも死ににくい)
防衛に関してはいわずもがな


そも集積すれば全体のパフォーマンスは
ほんとにあがるの?

ICT的に言えば、分散した方が市場は
大きくなるのでは?



しかしあれだけ容積ふやして
メンテどうすんのかなー
労働力へるのになー



いやになってくるのでこのへんで

2007年5月20日日曜日

宇治金時と人はいうなり


本日、蔵王はお抹茶の粉をはいたような萌葱いろ

宇治金時くわせー



あー 東京にもどれるのか おれ




昨晩のNHK地方再生系の特番チラ見したとき言ってましたが、
過去5年間に東京都に流入した人口、なんと39万人!!



むりっ




しかし「地方再生」といったときに、
いつの時代のなにを根拠に「再生」というのか
あまりはっきり語られないような気がします。

基本、公共工事によるばらまき方式以前の豊かさを、
ということではあるようなのですが。


だいたい想定されている「地方の豊かさ」なるものが
そもそもどのように形成されたのか?


それって「地方の豊かさ」を定義づけるってことでもあるので
まずそれをしないと何もはじまらない、というようなもんですけど、
(それでうまくいきそうならもう一度それをすればいいわけだから)
やっぱりあんまりそう言う話聞いたことない


調べたわけじゃないけど、かつての日本の地方の豊かさは
どう考えたって農業ベースのものですよね。
農本主義的に、農業ガッツリ、商業ほどほど、
そこから出発して、ぎりぎり地方資本が資本主義やれてた時代、
これがおそらく「地方の豊かさ」の原型的イメージだと思います。




--- 農本主義に帰れますかね?

あ、いや、帰れると思いますよ。
ビンボーで困るのは実は浪費できないことくらいです。
日本は気候風土から言って、ある程度の規模の
コミュニティにコミットしてればお金がなくてもなかなか死ねない。

まあ僕、浪費は大好きなのでなにも言えませんが。

とゆーわけで、戻ることはできないかもしれないけど
不可抗力的に戻らされることはあるかもしれなくて、
(グローバリゼーションって、負けたら日本全体が
沈んだ地方化するってことでしょう?)
そのときのことはあまり恐れなくていいのではないでしょうか。


それよか、資本主義というパンドラの箱を開けることで
地方は全国区に対する「グローバリゼーション」を既に経験済みだ
ということに注意しないといけないと思います。
そこから学ばないと。

規制緩和だのして、またも資本主義に勤勉に適応して、
より大きなグローバリゼーションに巻き込まれていくんですか
ってことですよね。(勝つか負けるかの前にね)


ピューリタンかっ!


地球上まれにみる気持ちいいお土地柄なんだからさぁ、
ストイックになる必要なんてそもそもないわけですよ。

わっさわっさと宇治金時みたいに萌える木々に
ほえ〜って溺れる「不真面目さ」をかなり心して実行しないと、
根こそぎ持ってかれちまいますよ〜

みぃこ07春夏コレクション


わかりにくいけど水玉部分は蛍光っぽい水色


今夏、これでイタ公をギャフンと言わせる予定

続・人間をこえろ

翌朝、もういちど将来構想について伺ってみる



おとん「ロクちゃん、おおきくなったらなにになるんだい?」



ろく「ゾウ」



おかん「おかーさんはバラ 可憐なオールドローズ☆」



おとん「 (-_-#) 」



ろく「おかーさんは キリンになるのー」



ろく「キリンになってー」



ろく「キリンなの!」



ろく「キーリーンっ!!」




ええーぃ、うるさい

人間を超えろ

きのう やぎやまどーぶつえんにいったロクスケくん、


「おおきくなったら ゾウになるー」


んだそうです。




がんばれよ

2007年5月18日金曜日

ムルくんの退院


つくづく へんなかたちー



やんやんムルくん(ふるっ)が車検から帰ってきました


一週間ぶりにのってみるとやっぱいいわ、この車
路面からびしびしかえってくる
ずーたいからは全然想像できないハキハキした挙動


今回気づきましたが、ハンドルのレスポンス不思議ー
あるところでぐいっとまがる
単に遊びが大きいんでもなく
なんだろ 指数関数的な?



しかし代車も最初は
こんなんどれのったっておんなじような
くだらないくるまーっておもってたけど


どーでもいいようなおんぼろのセダンに
Tシャツいちまいで窓全開で右手窓からぶらんさせて
ぐだ〜っとのってると(通勤姿ですが)


あー 夏だなァ


と思えてきて、あれはあれでよかったなぁ






あー ギャーギャーいいながら 海いきてー

のみほコースのみ

楽しかったです

30人くらいあつまってどーなるかとおもったが

もっとたくさんの人と話したかったけれど
時間まちがえた上に遅れてくんなよ、おれ


しかしあれだな
飲みの席でしゃべらされるのは
やっぱ苦手だ

ついつい青臭いこと言っちまう

職業柄もうちっと気の利いたことをいわなければ



「スピーチに使える格言集」
系の本がほしい いや買おう

「ええ〜、人生イタルトコロニ青山アリ、と申しますが・・」

などとゆいたいものだね





でもさー
やっぱキャリアは
「なにをしたいか」じゃなくて
「なにをすべきか」という言葉で
考えるべきなんだよ




おフランス発の生得説はさ、
もう死ぬほどとっくに否定されてんだからさ、
カッコとした「自分」なるものの発現なんてストーリーはさ
ありえないわけで、




それにそもそも意識の容量からして
バカみたいに限られてるんだからさ、
なにかしら具体的なものとの関わりのなかでしか
自分というものはありえなくて、
つまり、自分なるものは世界と自分の間のところに
形成せざるを得ないわけでさ、




このおれがいて 
おれが触れてるこの世界があったとき
その中で何が起こりうるのか、なにをすべきなのか
大げさに言えばその時々の使命というものをさ
冷静に考えてみるべきなんだ





必要なのは自分を探すことじゃなくて
自分を知るってことなんだ





どうすっか?ということを突き詰めて考えれば
やるべきことできることをするしかないということに
どうしたって行き着くはずなんで、

自己実現の脅迫にさいなまれ
「将来引きこもってしまうかも」と不安におののく
トーダイ生の2割の諸君は考えが足りないと言わざるを得ない
(そうゆう報道が少し前にあったんです)




なにかをよりよくするとしたら
その中で何かを可能にしてゆく
条件をいかによりよく構成するか
ということをおいてほかにないはず




じたばたすることと
流されることを
うまくバランスさせて
ナイスな「必然」を引き寄せたいものですね




とまあ、このような含意のことを
ごく簡単に申し述べたわけですが・・



・・・飲み会でこんなことをいうなんて・・



・・・もうドーカシテルとしかいいようがありませんね。



やっぱスピーチ格言集、必須だよ




(念のため、それ以外はギャーギャー言って騒いでただけなんですが)




まあでもさ、みんなやっぱデザインと関わっていくべきだよ
「べきなんだけど、どうしよ?」ってかんがえるべき
いいもんつくってんだからさ




最後になりましたが、今回の飲みをご手配くださり
盛り上げてくれた院生のTAのみなさん、ありがとうございました。


ちょっと長くなってしまいましたが
これでワタクシのスピーチをおわります。

ご静聴ありがとうございました。


また飲みましょう

2007年5月17日木曜日

小京都



今は中はギャラリーと気持ちのよいカフェ

というか気持ちのよいカフェのような自転車屋

完結した夢のような空間

まるで京都みたい

S/Nが生まれた場所



ダムタイプ・・

それを口にすれば切なくなるね

いろいろとね

感覚知の方へ

ポートフォリオ作っておもうけど
ビジュアル・ナレッジってあるなぁ


言葉で編まれたコンセプトとは違う

それに単にコミュニケーションを円滑にする効果って意味じゃなく

ヴィジュアルによってこそ成り立つ知性



ヴィジュアルにすることって
言葉による設計図を実現することって考えられてるけど
ヴィジュアルで考えるということはありうる

というかデザインという総合知のそれが大きな部分だ



どうやってつかまえる?

さしあたっては本のメタファーだな

読む
書く
考える


解釈学だな

デザインの解釈学 か
けっこうふつう(笑)

ググれば死ぬほどヒットしそう

でも感覚知ということを
明確に意識したものはまだ
それほどないはずだ

ヴィジュアル・ナレッジの解釈学



それにしてもこの演習
おれにとってタイムリーだなー

勉強になります

まあ基本クリシェの、だけど(笑)

でも解釈学はまずクリシェの整理から

ははぁ デザインの『紋切型辞典』か

なるほど

はじめての講評

半期ガッツリ終えるともれなく
ポートフォリオがついてくるお得な演習

まずはウチっぽく
IPプロダクツがお題

今日は講評


いいね!

生み出されたものについて語るのは!

アナリシスのものとはぜんぜん違うシンセシスの知



それは 生きる力 ってことにちかい



  音楽と地理情報を組み合わせたサービス


  すげー おれほしい!
  でも 絵はじゃまなんじゃね?



  >> それでもチサは ひきさがらなかった



  んー でもやっぱ絵はないほうがいいけどね(笑)



いいねいいね たげいいね こーゆーの
がっつり語ろうよ 作ったものでさ

2007年5月15日火曜日

やらなきゃいけないことを

やるだけさ
だからうまくいくんだよ

---『アイデン&ティティ』




じこじつげんなんてくそくらえ




2007年5月13日日曜日

ばふーん



だしまきはうなぎのおふとん



だったのです

犬の目

「結局よくみることが何よりのたよりになるものです」

 --- 福田平八郎(自作「漣」に寄せて)



かわいらしいなぁ


そしてぞっとするほどそのものが
迫ってくるのだ




「よくみること」の

屈託のなさ

自由さ

かわいらしさ


そのまま

つまり強さ





よくみよう

犬の目で

よく みるんだ

2007年5月8日火曜日

おわったというかおわらせた

ああー
とうとう書き終えた
と申しますか、
終わらせました。


もうめんどくさかったんです。


今回はややこしかった。
身体性なんてものに手を出すからである。

形式的にも緻密さに欠けてちょっと恥ずかしい。

でも、2つばかしちょっと展開できそうな
洞察を得たのは収穫だった。

まあそれだけでいいや。


・・エディタ、なんていうかな
その意味じゃおわってねぇんだよなー

あー やれやれ

メモ:セミスクラッチのとこ、もうちょっと

セミスクラッチがアイデアとして後発なことを
指摘することから始めるのはどうだ?

私たちの身体をインタフェイスとして
機械と一体化する、というアイデアは
脳を取り出すアイデアより後からきた

なぜだ?

道具が身体の延長であることの理解必要
→なにかしらの「一体感」を感じる契機
 →それはなんだったのだろう?
  →補綴具はやっぱその一つだったろうな→WWI
インタフェイスの概念必要


形態:道具を想定(身体とそうでないもの、インタフェイス)

それによって形が変わる場合の拡張可能性

ところが、変わる場合だけではない
それにむしろ、これから考えなければならないのは機能の方

拡張が形態的変更を伴わないことの方が多くなるから
(根拠は?→一つはAP)

機能はどうやって知る?
→環境とのインタラクション
アフォーダンスだね

このことをギブソンは指摘してたか?

2007年5月7日月曜日

いまだけここだけ

脳には現在しかない
思い出さえも現在の状態としてある


ということに気づいた、というか
まさに直覚してしまったときの衝撃は大きかった。


脳にもHDDのようなストレージがあって
思い出は思い出として、
タイムスタンプが押されて、
記録されている 

と想定しがちで、

もちろん私たちはそのようなデータモデルに従って
脳の現在というものを整理していて、
またそれは社会的要請でもあるので、

それはそれでよいのだが、

それでも脳を見れば、
現在の電気的・化学的状態というものが
ただフラットにあるだけだ。


思い出なるものも、それを取り出すときに
そのように語るからそうなるだけのこと



本来時間的には未分化な脳のありようは
ロクスケを見てるとよくわかる

現在のちょっとしたものごとにトリガーされて
昨日や一昨日やもっと前のことが
区別なく繰り出されてくる。

  「いまやまにのぼったらさ、かもつれっしゃがあったの」

   えええーっ???ああ、面白山のこと?
   いったねー(何ヶ月か前にねー)

  「さっきそこにおばあちゃんすわってたね」

   えええーっ??!!あ、そうか、昨日ね、
   昨日までそこの席でご飯食べてたもんね。
   (あーびっくりした、母になにかあったのかとおもった)



だから

体験を ものごとを 
どのように語るかはとても大切なこと



言葉は過去が織り込まれた現在を
美しくもそうでなくも組織する

来るべき現在はその上にまた
織り込まれてゆくのだ



いえ、

ものは言いよう、と開き直りたいわけでも
なんか説教じみた人生訓がいいたいわけでも
もちろんなくて



ああやっぱ
ことだまはあるなぁ


と、

脳の神経科学的事実からそう思えてしまう、
とまあそうゆうことなのです

2007年5月6日日曜日

メモ:構成どうしよー、再び

水槽の中の脳の寓話
→知性の創発に歴史的な身体必要

だけどこの帰結はきまじめすぎるかも

身体が一意に「決められない」ことと、
身体なしに知性が創発できることは別。

少なくとも、意識は意識を対象化できる。

あとは表現の問題。

『ディアスポラ』が示すこと
→身体=時空=認識のアプリオリな形式

 #前半はこんなところか

漸次的な拡張に認識を対応させる
現象的・神経科学的な証拠はある

まあたぶん、なんでもあり

ところが、これらの証拠の大部分は
身体イメージに関するもの

つまり形態面での拡張についてのみ

機能は?

おそらく環世界の認識に直接効くのが機能の方

「世界の外」を記述する
→認知科学とSF両方のチャレンジ

 #後半はこんなところか


 まあこんなもんか
 もういいかげんめんどくせぇ

2007年5月5日土曜日

何かを待望するかのように


海のかなたをみつめて。




この海岸に初めてたどりついたときはうれしかった



フェリーニの海

とみいこは言い

アントニオーニの海

とおれは言った




文系だけどインドア派じゃなくて
だけど圧倒的に山派だった


それがあるときから海派に


っていうか海も無性に好きになった


ぺろんとしたかっこで
ビーサンでペタペタあるけば
それでOK!



浦安の血か?
瀬戸内の血か?
はたまた有明海が呼んでいるのか?

タクを囲む会07春




初給料を得たカモネギどもが


肉を喰らったり
卓を囲んだり
ギターを弾いたり
ロクスケをいぢめたりして



約12時間だらだらと。



まだ学生気分が抜けきってないようだな!



おれもな!



屈託のないやつらと
ときどきこうして
だらだら過ごせたら




女子3人いろいろありがとう。
ンをソにかえてウヒウヒ言ってるばかりで
すみません




「さっきかかってた暗いの、いいすね」
お、浅川マキには反応があるのかい?

いいねぇ

こりゃ「スナック☆マキ」企画が意外と早く実現できるかも

 *「スナック☆マキ」とは
  場末系スナックを借り切り、
  全員浅川マキになりきりつつ、
  カラオケで順番に歌う(当然浅川マキのまま)
  という夢の企画である。
  まだ実現はしていない。


しかしキリンジには反応がないんだねぇ
さすがのまっつんもぽかんとしてた
ただのポップスに聞こえちまうんだろうね
あと一ひねり大人になんないと ね


まあ『ムーミンママのお料理の本』に反応しちゃう
シンゴくんもどうかとおもうが 持ってるか?ふつう
ユカちゃんにもらったんだよなー これ
いるるとあいたいなー



帰り際も家の前でぐずぐず

「ああー もう夏だー」

まだ寒くね?

「あ いや、空気のにおいが」
「417から朝帰るときのにおい」
「あはは」

あはは

おんなじこと言ってるやつがいたよ こないだ
夜中のファミレス出たとき



てつしー、バイクのるときのカッコ、
学生んときのまんまじゃん!



またやりましょう