2008年6月29日日曜日

ローカルの創造性


カルチュラル・タイフーンのパンフ(最近photo boothがポラみたいにうつることが分かって愛用している)



メインセッション1:ローカルの創造性



休日の入試業務と会議を終えて、前の晩はあまり寝てなくてねむいし、夏日で天気は気持ちがいいし、そのまま帰って今日は昼寝でもしたい誘惑にもかられたのだがなんかやっぱり気になって来てみて良かった。



五十嵐さんのその土地の技術にあわせて作る、ということも、タノさんのピカソやボティチェルリ(ママ)を知ってるのに地元のアーティストのことを全然知らないのはなんかヘン、というのも、鹿野さんの作りたいものを作るために必要なものを稼いでくるだけ、というのも、僕には腑に落ちる。



本江さんや小野田さんが「そうはいってもさー、東京に比べればマーケットも小さいわけだしイロイロあるわけでしょう?」とやや意地悪な水を向けたことは、そんな「素朴な」スタンスだけでホントにいいのかな・・という一方で僕の中にもある気持ちを代弁していたものの、でも、「グローバルな展開」なるものの幻想が僕らの感触の中からも忘れさせてしまうけれど、でもやっぱり僕らは「どこかに居て」何かをしなければならないのだし、それだけでよいかどうかは別として、またそこしか起点がないのかは別として、起点の一つであることは確かなことだし、ローカル・グローバルという軸とは関係なく少なくとも個人史のなかにおいてはそのことの気づきは「作り始める」ということと同じことだ。



こういう場に居合わせることのいいことは、並べて置かれたり、やりとりされることで、「それはそうだな」だったり「そうじゃないな」ということが、感触として明らかになることだ。関本さんから「仙台ならではの特色ということを物作りにどのように反映させているのか?」という質問がでたとき、ローカリティ=地域色というのは、俯瞰的視点で見てしまったときの因果の取り違えというもので、全然違うなぁ、と即座に感じた。



質問コーナーで誰かが鹿野さんに「ローカルって規模の小ささですか?」と聴いたのに対し、鹿野さんが「いえ、距離のことです」と即答していたのが印象に残った。そして思い出したのは、公園のシーンで木々の間から青空が見える以外は視界が抜けることのない空間で関係性が重層的に字義通り「織りなされる」、ペドロ・コスタのコロッサル・ユースという映画のことなのだった。






行灯、アリマス

MEGAHOUSE in Sendai



きれいだなぁ

もとえさんのブログ経由。

2008年6月28日土曜日

行灯

カルチュラル・タイフーンでもとえさんとあべさんのMEGAHOUSE を初めて見る機会を得た。


あの「システム構成図」しか見たことなくて、「没入型カタログ」のことは全然しらなかったので、薄暗い展示会場に無防備に入り込んで巨大な行灯がいきなり現れたその美しさにしばしぼんやり見入ってしまった。企図された視点じゃないのでなんだか申し訳ないんだけど、トレペが映像を映してできた薄い膜や、それらが光る立方体を構成しているのには釘付けになってしまう。CAVEやCABINなどのいわゆるIPTをすごく身近にあった分やや型落ち扱いしていたけど、おもしろさを再発見した。没入、という意味でも、光る箱、という意味でも。特に今回はスクリーンにあたるトレペがほとんどフレームレスの状態でテグスで宙づりになっていたのが効果としては大きい。それから、スケール。ドイツでの展示よりスケールダウンしてあるそうなのだが、もう少し大きいと今日のような光る箱としての「誤読」は出来なかったろう。


しかしまあ、とにかく光るものが大好きで、もう10年ほど前になるかな、夜な夜な光る看板とかネオンとか自動販売機とかを撮り歩いてコレクションしてたほどだし、ねぷたを見て東北に来てほんとによかったと思ったほどの発光体というかリアプロ映像というか幻灯というか行灯好きなので、あまり一般的な感想とは言えません(笑)が、行灯がお好きの向きは明日6/29っきりで展示がおわっちゃうので是非!


いやいやいや(笑)。建築や都市を考える方々ももちろん必見ですよーっ


本来の企図から言ってこれまでちょっと誤解してたのは、「よりダイナミックなレオパレス」つまり半日とか一時間とかで移れる「貸間」として理解しちゃってたところで、次のセッションがあったのでほんのちょっとの間の体験からだけの判断で間違っているかもしれないんだけど、カラオケルームとか音楽スタジオとかがあったことから、もっと細かく生活や行動をモジュール化して都市空間にちりばめているのだとわかってワクワクした。つまり、急いでメシ食わなきゃいけないんだけど近くに「空きキッチン」ないかなぁ、って探して、大急ぎでレバニライタメかなんかちゃちゃっと作ってかっ込んで、MTGの準備も、MTGも、打ち上げも帰って(?)寝るのもそれぞれ時宜にかなって適切な別の場所を使う、という、たぶんそんな感じで(どんなかんじだよ)、都市生活のよいところは何も持たなくてよいところだと思うので、分散型ホテル暮らしっていうか、すがすがしくて気持ちのよい「設計」だなぁ、と思えた。それに、僕の好きな空間を日本中でどんどん壊してぴかぴかにしてしまう、あのモノの流れでしかお金が生み出せないマッチョ思考に対置する一つの対極ってたしかにこうだなぁ、とも思えたのだった。

2008年6月25日水曜日

ちょっとひといき

論文を書き終わって、
こんな時間にご飯を食べながら
またしてもお行儀わるく
これを書いている。

論文を書くのは結構すき。
文字と図版と引用を
ぐいぐいとパックするときの
あの質量の感覚が好きなんだと思う。

人のものを読むときにも
言い当てようとして
手探りするときの手触りというか、
言葉を引き寄せる質量としか
言いようのない感触を
感じる人には感じる。

何人かいるけど、
武田百合子なんかは特に感じる。
あの人はグリグリ書いていると思う。
消しゴムでゴシゴシ消したりしながら
えんぴつでグリグリ書いていたんじゃないかな。

天真爛漫とか軽やかな印象で
語られることの多い武田百合子だけど、
僕は全く逆の、時々ちょっとうんざりするような
「重さ」(内容じゃなくて、言葉のね)を感じる。
女性の身体のあの中身のつまった感、
というと生々しすぎるかもしれないけど。


っていうか、論文書くのに
言葉の質量とか言ってちゃ
いけないと思う(笑)

2008年6月23日月曜日

これがあるから

いろいろな空間体験をもたらすであろうお茶室巡りをしてみたいという欲望から、ヒトツお茶など習ってみようかしら、などという気持ちになってることを書いたけど、その時思い出したのはミナちゃんの亡くなったおばあちゃんの話。

もうずいぶん前のことになるけれど、ミナちゃんがおばあちゃんにお茶を習い始めたときにその体験をいろいろ話してくれたことをなぜかよく覚えていて、一日のはじめに炭をたててお香をぱらぱらと焚き入れるんだ、なんていう聴いてるだけで沁み込んでくるような話なんかとともに、おばあちゃんが「あたしはお茶ががあるから生きてこれた」って言ってたっていうのを聴いて、人生をドライブするのに必要なものがあるということに深く深く共感し、その後もことある毎に(会ったこともないのに)思い出していたのだが、習うなら、ミナちゃんのおばあちゃんに、それがあるから生きてこれたという人に、習いたかったなぁと心底思う。

初収穫



スナックエンドウとバジル。

ここ1週間ほどで急速にワシワシと茂ってきたスナックエンドウをよくみると、まるまる太ったサヤが何本かあったので「!」と思ってもぎってくる。ついでにバジルも。初収穫だ。

有機、無農薬、そして不耕起。と言えばなんか主義主張があるようだが、そうじゃなくて要はほったらかし。スナックエンドウをパスタをゆでてるお湯に一緒にほうりこんでさっと湯がいて、ぽりぽり食べてみる。

うまい!

「有機・無農薬・もぎたて→うまい」という反応はあまりに定型化されていて、既視感、というか、実は期待は全然なかったんだけど、実際体験するのは全然違うことなのである。実にうまい。うまいというか、甘い。濃い。味覚体験として「立っている」。

そうかー・・「こんなに」おいしいものなのか。

2008年6月21日土曜日

京都の仕事場



tarocafeのタコライス。

食べながらお行儀悪くメール書いたり、ブログ書いたりしている。ちょっと外れにあって、2階は窓が開け放してあって、しかもwifi使えて、ずっといさせてくれる、もちろんタコライスもおいしい、でもやや残念ながらビールはおいてない、とても良いお店なのです。

茶室に目覚める



今回は町屋でという趣向。

窓をあけはなってしとしと降る雨音を聞きながら、あぐらをかいたり体育座りだったり、何か言いたいときには、ぐっと前のめりで正座をしてみたり、その時の話題に対するコミットメントが姿勢に現れる現れ方が、机を囲んでのミーティングと違って、面白かった。それをする部屋によって絶対考えつくことが変わるなぁ、そういうことはきっとあるなぁ、と確信できる体験だった。といいつつ、何かブレークスルーが、というとまだそこには至っていないのだが。

三時には、小一時間かけて順番に茶室でお茶をいただく余興も。一番最後の順番だったので、人数も少なくて、雨の庭を眺めながら、ご主人とあれやこれや話しながら、夕方の部が始まってもしばらく茶室で過ごしてしまう。

音の響きがとてもいいのだ。繊細なリバーブがかかって、声がくぐもるようにやわらか〜くなる。しみじみとしみ通るように気持ちがよかった。なんかずっと聴いていたかったし、それにそれぞれの茶室でそれぞれに違う響きがあるのだろうなぁと思ったら、作法をちょっとならって、茶室巡りがしたいなぁ、という変な欲がむくむくと湧いてきた。