2007年11月21日水曜日

へうげものに業を教わる

へうげもの

武功か数寄か・・

身につまされるなぁ

俺の中のああいう部分やこういう部分は、ああそうか、
「業(ごう)」とらえるべきなのだな、と腑に落ちて、
安心した(安心すんなって)

業という言葉の中身が自分に引き寄せて
ストっとはいったかんじ


ある種の業深い者たちがみんな罹る病気、
「世界の書物が全部読めなくてアセる病」
に罹患した瞬間のことははっきり覚えてる。

大学3年のぽかぽかした昼下がり
赤瀬川源平の『芸術原論』を読みながら、
ふと顔を上げた瞬間、いてもたってもいられない
アセリがこころにすっと忍び込んだのだ。

いやー、あれはつらかった。
字義通り心の病気だった。


まあ、予兆はたっぷりあった。
病前性格を完全に備えてはいた。

中学生とか高校生になって、
「これすげーぜ、読んでみ」的な
コミュニケーションが始まるころから
結構アセアセ読みも始まっていたのである。

それが大学3年で症状となって
現れただけの話だ。

アセアセせずに読めてる本だってあることに
気づいてそれを大切にすることが出来なかった、
要するに馬鹿だったのだ。

(必要ないもの、身にしみないものを
読まなきゃとおもうからアセるんだよね)


現在その病の特効薬として折に触れ
投与されるのがセレンディピティ

やっぱ読書は、っていうか人生は、恋愛力♡

(こんなこと言ってるから
武功と数寄に引きされてしまうw)


世界の書物を読み尽くす妄執もまあ面白いけど、
ラブ・イズ・ザ・ベスト』な出会いを
組織する業(わざ)と記述力の方が僕にとっては貴重だ。

心の安寧を遠ざけ、
人を地獄におとすとしても
業の深さが人のおもしろさであることは
まったくもって否めない。

2007年11月19日月曜日

黒びかり

忙しい上に、睡眠不足→パフォーマンス低下→さらに寝れない、
というスパイラルに陥って、ガサガサした生活だったのが
ようやく人心地をとりもどしつつある。

仙台は昨晩初雪だったのだけど、雪の降る前の
夜のシンとした空気に月が冴えてたりするのはいいもんだねぇ。
あったかいかっこして、顔だけキリッと冷たくてね。

自分が書くのももちろんだけど、人のも全然よめて無くて、
みんな(って面識ない人も含めリーダーに登録しているブロガーたちは)
何してるのかなぁ最近。


ということでパフォーマンス低下スパイラルの終盤でさらに
それに拍車をかけたのがヤモメ暮らしなのであった。

商売柄、出張は多いのでことさら一人でいたいとは思わないものの、
家で一人なことはなかなかないので、なんだかうれしくなって
夜中帰ってきてもそこから遊んじゃう(笑)。

といっても、イソイソと悪所にでかけるという
甲斐性があるわけもなく(笑)、家で一人でいるときの遊びの
一つはハウスキーピングだったりするのである。

今回は、親元を離れるときに家からガメてきた鉄製の
ジンギスカン鍋とすき焼き鍋の整備と活用を敢行した。

こっち来てから一度もつかってない両者のうち
すき焼き鍋は案の定、さびが浮いてる。

これは経験的なものなので、正しい鉄鍋の扱い方かどうかは
わからないのだが、サビのういた鉄鍋は、
水を入れてぐらぐら煮立たせつつ、かるくこするということを
何回か繰り返し、さいごに空だきして水分を飛ばした後
油を薄く引いておく、というようにすると良いようである。

洗剤をつかってガシガシこすると、もちろんサビはおちるものの、
どいういうわけか特にすき焼きでつかったとき煮汁が黒く濁ってしまって
よくない。

そんなようにして、深夜に帰宅後、ごそごそやって
黒光りした鉄のかたまりを眺めてはしばらくニマニマし、
充実しておもむろにすき焼きだのジンギスカンだので
一人深夜の酒盛りに昂じるなんてことをしてたら
そらまあ昼間のパフォーマンスもさがるわな。
(ある晩などは十何年ぶりかという長電話のあと
3時頃からジンギスカンを始めた(笑))

また楽しからずや。


しかし、油がしみて黒光りする鉄のかたまりを眺めて
ほっとする感じは、先日の澁澤龍彦展の感触に通ずるものがある。


手前、やっぱり昭和の生まれでございます。

2007年11月7日水曜日

鴨川=平安ハイウェイ説(笑)

先週のアタマは仕事で京都。

今回の「かこつけ」眼目の一つが
ここでチャリをかりること。

平地だし碁盤の目だし、
なんというか細部への宿り具合が
チャリスピードにぴったりの街だし、
きんもくせいは香るし、

も、

サイコーッ

アサーッ
(C谷岡ヤスジ)

だが、いかんせん、
信号がうざい。

飛行機までの貴重な時間、

いいちょでラーメンをすすり、
ボンボランテでパンを買った後は
きっと並ぶだろうし、国立博のある
七条まで大急ぎで飛ばさなきゃだってのに!

ふと思いついたのが
鴨川左岸。どこまで下れるか
わかんないけど、覚えてる限り
下の方まで自転車道っぽいものがついてたはず。

うひょーっ

待ってろ狩野永徳ーっ


ってんでぶっ飛ばしながら

鴨川=平安ハイウェイ説を思いつく

ETCを搭載した牛車なども幻視される



河原乞食ってくらいだから、

鴨川縁がそんなスカッとした空間だったわけはないんだけどね(笑)


しかし今出川あたりから七条まで

ほんとにノンストップでした。

2007年11月4日日曜日

澁澤龍彦:幻想文学館

近所の仙台市文学館に澁澤龍彦展を見に行った。

と、言っても、最初は見に行くつもりもなかったのである。

文学館にある、外観はなんてこたないカジュアルなレストランは、
その時々の展示にあわせて作家にちなんだ特別メニューを
出すようなちょっと粋なところがあるので、
そんなものを食べたり、
絵本スペースにねっころがってロクスケと絵本をよんだり、
裏の台原森林公園に分け入ったり、と、

文学館は何かと我が家の遊び場になっていて、

だから、今回もほんのついでで何の気になしに入ったのである。


それに、僕が学部学生の頃は澁澤龍彦が死んだ直後で
なにかと目に触れる機会が設けられていたし、
また、学生にとって直接的には、河出書房から
著作が続々文庫化されたことが契機になって
(それにもちろんすごく面白かったので)
僕だけじゃなく、ほとんど教養になってるといってよいほど、
周囲でよく読まれていたし、
(なんてったって、今はなくなってしまった母校には
高山宏先生がいらしたのでね!!)

80年代的シンプルライフのゆりもどしとしての
バロック、マニエリスム、博物学的なものの復権が
なんとなく世の中の空気の中にあったし、

そんな風に、個人史の中である時代を
鮮やかに彩る人物であった分、
それらが僕の中で相対化されていくにつれて、
澁澤龍彦は僕の中で過去のものになっていたのである。


トコロガコレガオモシロカッタ
(C東海林さだお)


写真や原稿はもちろん、鎌倉の澁澤邸に飾ってあった件のオウムガイや、
トレードマークのセルフレーム、銀座で仕立てたスーツ(小柄!)などの数々の遺品、
そして何といっても堀内誠一、三島由紀夫、稲垣足穂らと交わしたたくさんの書簡!

すげぇレベル高ぇと思ったら、監修は巖谷國士だった。

濃厚な空間、ほとんど人がいない贅沢。
最初は、みぃこが見とこうかと言い出したのに、
ぐずるロクスケをみぃこにまかせ、
言葉通り妻子そっちのけで堪能してしまった。


人生に対するありきたりな見解ではあるけれど、
歳を経ると、若い頃に訳もわからず
とにかくなにかに惹かれて近づいた事物の
意味や理由が見えてくることがある。


怪異だ、耽美だ、バロックだなんてこたぁどうでもよくて、
特に遺作になった「高岡親王航海記」に見られる澁澤龍彦は
僕からいわせれば吉田健一と同じ系譜につらなる、
僕にとっての最重要人物の一人であることを、
「あのころ」から20年たって再発見してしまったのである。