2007年8月31日金曜日

知ることと見つけたり?

次の午後一のセッションで発表
郊外のコンベンションセンターで開催されているので、
昼飯を楽しむ、ってわけにはなかなかいかない
焼きキュウリとチーズのパニーニを頬張りつつ

しかし、「知る」ってどういうことだろう?
何千という人たちが、視知覚について
よってたかって研究して、冴えた研究も
そうでないのもあるけど、こうして
何百という発表になっている

だけど、これらを束にしても、脳どころか
「視る」ということだけについてさえ、
その全貌は少しも見えてこない

このままカンファを何十年と続けても、
視知覚について全部分かりました、という
瞬間は訪れないのではないか、そんな
目眩のような感覚を感じる。
(全部分かったからその目的を終えたので
解散します、ってソサエティは
存在するのだろうか?すごく知りたい)

なにをどうすれば分かったことになるのかな

こういう分かり方はとても好きだし、
レヴィ=ストロースが言うように
確かに現代において堕落していない唯一のジャンルだという
のは本当だと思うけど、ちょっとおれが
分かりたい分かり方とはちょっと違うのかも
しれないな、なんてことをほとんど
身体的な体験として感じることが最近はある。

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