とても久しぶりにコロナで夕ご飯
最初にきたのはいつだっけ?
高校生のときだったと思うけど、
むしむしする夜でまだ今ほど下品になってない
四条のあたりをふらふらしていたときに
ポッとともった看板にひかれて
ふっとはいりこんだのだった。
白木の、とはとてもいえないけど、
気持ちよく拭き清められた無垢のカウンターに
あせばんだ手をすりすりしながらビールをのんで
あけはなたれた狭い間口から
石畳をそぞろあるく人たちをぼんやり
眺めているとこのままここにごろんとなれたら
どんなにいいだろうと思ったが、
それは今回も同じだった。
ふいに猫がはいりこんできて、
カウンターの下の足にするするっと
身体をすりつけていく。
ああ!そうだった!
最初にきたときもこうやって
猫が入り込んできて、そのときは
「え?猫が?」と
すこしびっくりしたんだった!
こうしてこれまでの時間の痕跡を残した場所が
その場所にあり続けてくれることが
悪いことであるわけがないし、
その痕跡を壊して、ただ新しいものに
置き換えていくことに意味なんかない
時間と空間に対する繊細な感性を欠いた、
ぴかぴかした新しげなもので埋め尽くすことに
よってしか何かを確認できない貧しい人たちの
巻き添えを食わなきゃいけないんなんて、
なんてついてない時代に生まれたことだろう
オムライスだけではなんとなくものたりなくて
鴨川をわたって祇園の方へ
京都の夜の黒は深くて濃い
鴨川はそれをうつしてつやつやしている
鴨川に
墨汁の夜を
そそぎこむ
四条から少し上がった権兵衛
ここに夏にくることはこれまでなかった
いつもは冬、
どこかで飲んだあと、
まだもう少しというときに
かじかみながらやってくる
たいてい客はすくなくて、
小上がりにあがりこんで
ほおずえをついて
小さい頃に父親に飲まされた
あの日本酒の味がする菊正宗に
燗をしてもらった後、
ゆずの香りがする
卵とじそば
ごちそうさまといって
三条の方へ上がっていく
ここらをあるいているひとたちも
ずいぶんがさつな感じになったものだ
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