もう何年も行っていない土佐屋室戸に
明かりがついているのは確認したけれど
体調がすぐれなかったこともあって
またなんとなくやりすごしてしまった。
もう10年以上まえになると思うが
みぃことのりちゃんと京都で待ち合わせて、
どっかで夕ご飯をというので散歩しているうち、
店構えからして不意に入るような店ではないのだが、
(単純に構造からしてもすごく入りにくい)
なぜか不意にはいりこんでしまい、緑色のガラスモザイクの壁に、
猫足のアンティークっぽい(がアンティークではない)椅子という
謎の(要するにスナックかなんかを転用したいいかげんな)内装と、
なによりごま塩ひげ面の「盗賊」っていう形容が
ピッタリの大将に「やばい」と思ったのだが、
話してみると、
なんと僕の高校のずいぶん上の先輩、という奇縁で、
三島由紀夫と後楽園のジムでわたりあい、
ヤクザの世界にあこがれたものの幻滅し、
その後いろいろあってここにいたるという
無頼で飾らないところがなんだかしっくりきてしまい、
当時は岐阜にちょくちょく用事があったので
帰りに遠回りしたりして、ずいぶん通った。
考えてみれば、20代の駆け出しが
通えるようなところではないので、
大将も意気に感じてか、
ずいぶんおまけしてくれてたんだろう。
僕はどこかの常連になるということには全く関心がなくて、
話したいときは話すし、話したくないときは話したくないし、
とにかく勝手にやらせてくれ、という人間なので、
ほっといてくれる店しか通うようにならないのだが、
というかめんどくさいので気に入っても「通う」なんてことには
あまりならないのだけれど、ここにはなぜか「通った」という
いい方がしっくりくるし、それも「ほっとかれに行く」感じではなかった。
どういうわけでそんなだったか忘れてしまったんだけど、
だからほんとにいいかげんなもんなんだけど(笑)
あるとき「ああ、どんなひどいことがおきても死ぬだけだなぁ」
ということに思い至り、そんなことに思い至ることで
フッと楽になれるようなそんな時期があり、
やっぱり岐阜出張のあと、ホーホーノテイという形で
京都からバスで三条におりたって、階段をのぼり
カウンターについて、酔鯨をひやできゅーっとのんで
やっと一息ついて、またどんな流れでだったか忘れたけど、
「大将、人間どんなひどいことが
起きたとしたって死ぬだけのことだよね」
なんてなことを言ったわけです。そしたら、
「へええ、若いのにそんなことをいうのかい」
って言った大将のごま塩ひげの生えた丸太ん棒みたいな顔が、
柔らかく近しいものになっていて、がさがさした心に染みつつも、
ぽかんとするしかすべがないのだった。
大将もこの先そう長くはねぇだろうからな、
今度こそ行ってみよう
また「よ、お帰り」って言ってくれるかな
いやいや、ま、忘れてんだろうけどな
0 件のコメント:
コメントを投稿