2007年5月7日月曜日

いまだけここだけ

脳には現在しかない
思い出さえも現在の状態としてある


ということに気づいた、というか
まさに直覚してしまったときの衝撃は大きかった。


脳にもHDDのようなストレージがあって
思い出は思い出として、
タイムスタンプが押されて、
記録されている 

と想定しがちで、

もちろん私たちはそのようなデータモデルに従って
脳の現在というものを整理していて、
またそれは社会的要請でもあるので、

それはそれでよいのだが、

それでも脳を見れば、
現在の電気的・化学的状態というものが
ただフラットにあるだけだ。


思い出なるものも、それを取り出すときに
そのように語るからそうなるだけのこと



本来時間的には未分化な脳のありようは
ロクスケを見てるとよくわかる

現在のちょっとしたものごとにトリガーされて
昨日や一昨日やもっと前のことが
区別なく繰り出されてくる。

  「いまやまにのぼったらさ、かもつれっしゃがあったの」

   えええーっ???ああ、面白山のこと?
   いったねー(何ヶ月か前にねー)

  「さっきそこにおばあちゃんすわってたね」

   えええーっ??!!あ、そうか、昨日ね、
   昨日までそこの席でご飯食べてたもんね。
   (あーびっくりした、母になにかあったのかとおもった)



だから

体験を ものごとを 
どのように語るかはとても大切なこと



言葉は過去が織り込まれた現在を
美しくもそうでなくも組織する

来るべき現在はその上にまた
織り込まれてゆくのだ



いえ、

ものは言いよう、と開き直りたいわけでも
なんか説教じみた人生訓がいいたいわけでも
もちろんなくて



ああやっぱ
ことだまはあるなぁ


と、

脳の神経科学的事実からそう思えてしまう、
とまあそうゆうことなのです

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