2007年5月23日水曜日

形は知っている

本日の演習IVは、
道具をデッサンしてその機能を探る、
というex-formな課題


たとえば、玄能(トンカチですよ)。

先端の金属部分の両端が
一方は平たく、一方は少しだけ凸状に丸みを帯びており
丸みを帯びた側は、仕上げの段階で
釘の頭をやや板に押し込むようにするため使う

そのため、一本の釘を打つ過程の終盤にいたって
玄能をクルッとひっくり返す必要があり、
慣性モーメントの大きな(ということは打ち込むときに
先端に大きな力が出る)柄の手前の端の断面形状はラウンドしていなければならない

一方、先端の金属部分に近い柄の断面形状は方形になっている。
これは力がかかったとき金属部分が回転しないようにするためでもあるが
釘の打ち始めなどで細かい動作をするために、金属部分に近いところを
握ったとき手の中で玄能が回転してしまわないようにするためでもある
(細かい動作のためにグリップは軽くなる)

また、柄の方形部分より少し手前がくびれているのだが、
これは細かい動作をする際の支点として機能する。
ここを小指と薬指くらいで軽く握って手の中で遊ばせながら
コツコツとたたかくわけだ。

くびれ部分から柄の手前の端までの形状は玄能によって様々だが
力強く打ち込むときしっかり握るために太くなっていくのが原則である
今回使った玄能はくびれからいったん太くなったあと、手前の端までの
間にもう一つごく小さなくびれが作ってあった。これは慣性モーメントを
2段階に調整するためであろう。



と、言葉にするとこれだけの機能が
(これを全部指摘できた者はいなかったが)
あの単純なフォルムの中におさまっている

機能が形態として完全に表現されたすばらしいデザインである。


さらにより重要なのは、これを使う大工さんはもちろん、
このデザインを磨いてきた代々の職人さんも、
現在この玄能をつくっているメーカーでさえも
(最近のメーカーはもしかしたら意識的かもしれない)
このような言葉による理解はしていないだろう、ということである

形態と機能についての分析的知識(つまり理論)がなくても
使えるし作れるし、またより使いやすくするための改良もできる

つまり 形はしっている、ということだ

ならば、この形態そのものに
私たちの知性が実現されていると言えないか?


--- それは言えるし、すでに指摘されてるよね

そうだね でも人文学的かあるいは科学史的じゃん?

そのような知性のあり方を認知科学的につかまえられないか、
ってのが最近の悩みどころなんだよね
じゃないと ほら 使えないでしょ?

4 件のコメント:

やまけん さんのコメント...

どーも久しぶりです。その点全くの素人ですが、アフォーダンスっていうのも関係があるんすかね。ノーマンの本の中で言ってたドアの取っ手の話みたいな。今時身体感覚が希薄うんぬんって話をよく耳にするので、ちょっと気になってます。今日深澤直人の「チョコレート」展に行って余計にそんなことを感じてしまった。

takuro さんのコメント...

どもー久しぶりです。あーなるほどアフォーダンスとの関係は考えなきゃいけないですね。既存の心理学的概念との関係でいうと「手続き型知識(例えば、自転車に乗ることはできても、乗り方は言葉で説明できない)」をモノの領域に拡張できないか、という発想でした。

最近、深澤直人さんはアフォーダンスが気に入ってるみたいですね。例えば『デザインの生態学』のなかでかなり悔しがってますよね。

アフォーダンスが、世界の生態学的分節として機能するだけじゃなく、我々自身の身体機能を知る上でのほぼ唯一の手がかりとして機能しているかもしれないね、というようなことを今度出るVR学会誌の12巻2号で書いてます。もしご興味あればドラフト送ります。

やまけん さんのコメント...

興味ありありなので送ってください。デザインの生態学のなかの「環境」と「自分」との関係のくだりが何となく気になってます。ありゃ、「覚り」じゃないか(笑)。

toki さんのコメント...

演習4フォローありがとうございました。惜しむらくは事前にお話して内容について精査できなかったことです。ゲンノウの解説は特に、学生に申し訳ないです。ともあれ、「形はしっている」んですね。知っとるな~

「手続き型知識」そうですね、僕の場合、漆のなんだか独特の風合いは感じられても、それを言葉では説明できないんですよね。そこはやっぱりモノの出番だ、ということで作品作ってるんでしょうね、人事っぽいですが。