2007年5月6日日曜日

メモ:構成どうしよー、再び

水槽の中の脳の寓話
→知性の創発に歴史的な身体必要

だけどこの帰結はきまじめすぎるかも

身体が一意に「決められない」ことと、
身体なしに知性が創発できることは別。

少なくとも、意識は意識を対象化できる。

あとは表現の問題。

『ディアスポラ』が示すこと
→身体=時空=認識のアプリオリな形式

 #前半はこんなところか

漸次的な拡張に認識を対応させる
現象的・神経科学的な証拠はある

まあたぶん、なんでもあり

ところが、これらの証拠の大部分は
身体イメージに関するもの

つまり形態面での拡張についてのみ

機能は?

おそらく環世界の認識に直接効くのが機能の方

「世界の外」を記述する
→認知科学とSF両方のチャレンジ

 #後半はこんなところか


 まあこんなもんか
 もういいかげんめんどくせぇ

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