水槽の中の脳の寓話
→知性の創発に歴史的な身体必要
だけどこの帰結はきまじめすぎるかも
身体が一意に「決められない」ことと、
身体なしに知性が創発できることは別。
少なくとも、意識は意識を対象化できる。
あとは表現の問題。
『ディアスポラ』が示すこと
→身体=時空=認識のアプリオリな形式
#前半はこんなところか
漸次的な拡張に認識を対応させる
現象的・神経科学的な証拠はある
まあたぶん、なんでもあり
ところが、これらの証拠の大部分は
身体イメージに関するもの
つまり形態面での拡張についてのみ
機能は?
おそらく環世界の認識に直接効くのが機能の方
「世界の外」を記述する
→認知科学とSF両方のチャレンジ
#後半はこんなところか
まあこんなもんか
もういいかげんめんどくせぇ
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