2008年12月12日金曜日

小商い

レイオフの代わりに社員一律何割カットとかではいけないのだろうか?それで乗り切ろうとする動きとかはないのかな?宮城県は6%カットですが。純粋に損得からいってもシェアする方がトータルで「得」だと思うんだがなぁ。

とにかくセグメントが大きすぎるんだと思う。一定の利益を得るために、仕事の単位そのものを大きくしなくちゃならなくなる。一方で、ヒューマンスケールは大昔からそれほど変わってるわけじゃない。だから生きてくのに必要なお金を稼ぐと言う意味でなら、商売の集積が極度に進んでいる今こそニッチはたくさんあると思う。やっぱ「小商い」だよ。シェアだよ。それしかないよ。

橋本治が「30年代にもどそう」と言ってるのは、だから、とても正しいと思う。そして、それを正しいと思えるのは必ずしも論理的な帰結からだけではなくて、大部分は自分の父母から肌身で感じる直感からだったりする。父母には、30年代の「ちょうどよい資本主義」、言ってみれば商業主義的なイコンに魅惑されつつもそれを買おうなんて発想がなくて自分でつくっちゃう、あるいは、買い物のとき値段だけで判断するくせにお金が全てだとはみじんも思っていない、そういうないまぜなところがあって、親から語り継ぎたいとすれば、戦争体験より(まあそれはそれで語り継ぐ、というかおれが弔わなければならないことはあるなと感じているのだけど)そのことなのだった。

2008年11月8日土曜日

パリのギター職人

パリでお世話になった元大阪人トモヤンのダンナはリベヤン、リベルトさんだっけかな?という名前のスペイン人で、ギタリストでギター職人。モンマルトルにある、かわいらしい間口のウナギの寝床のようなギター工房は、いろんな工具、薄かったり細長かったりいろんな形の木材、作りかけの楽器、完成した楽器、塗料、金具、図面、なんか変な記譜法のも含まれている楽譜、CD、テープが、山のように、だけどどこに何があるかは把握されている感じでぎっしり積まれている。楽器はギターだけじゃなく、ウードや、名前は忘れちゃったけど亀の甲羅やアルマジロの甲羅がボディの楽器や、マンドリン、ウクレレ、ウクレレの原型になった楽器、ギターをのぞけば同じ種類の物は2つないたくさんの種類のギター系楽器。それぞれリベヤンの作ったものも修理したものも。

こういう作る博物学みたいのはもうまったくツボで、自分でもビックリするくらいツボだったってことがわかって、テンション上がりっぱなしで、しかも一段下がった奥に弟子がいるなんて言われたもんだから「アマザワセイジくん?!」とキュンとなってテンション最高潮で奥へいくと、アマザワくんどころか、ジャンピエールレオーどころか、てっぺんがはげ上がったおじさんで、ボ、ボンジューグと言ってようやく少し冷静になる。

ロクスケには別に好きにしなよって思っていて特に望みなどなかったのだけど、一つだけ、楽器は好きになってくれたらいいなぁ、特にギターとかやんないかなとおもっていたので、そろそろどうかなと聞いてみたら、まだ早い7歳からだ、と明言されて根拠はよくわかんないけど納得しつつ、しかし、サブリミナルに間接的に暗に背後から死角から盲点をついて知らぬ間にギター職人の夢をロクスケにインプリントして、「モ、ゼッタイ弟子入りさせちゃるけんね」と思わず谷岡ヤスジ口調でモンスター化するペアレント、いやペアレンツなのであった。

2008年11月7日金曜日

そのときどきの入り口

TMのひとの逮捕はあんまりびっくりしない。僕にとってはずっとそんな感じがするひとだったから。みぃこも「あ〜、やっぱね、ってかんじだよね」と言ってたので、世代的にある程度共有できる印象かもしれない。まあ、キホンどうでもいいんだけど。

でも、僕よりちょっと年齢が若いひとたち、とくに今聞いている音楽では趣味が合うようなひとたちで、TMNから入ったっていう人は結構多いので彼らはどう感じているだろう。

僕にしてみれば、そんなわけで、TMNから音楽に入る感じが全然分からないんだけど、なにか先端的な感じ、アンチな感じ、人とはちょっと違う感じ、を投影できる音楽が時代時代にあって、その一つが彼らの時はTMNだった、ということなのかもしれない(まあ単にヤングアンセムの投影先ってことでもあったろうけど)。最近は見かけないけど、そしてこれも全然理解できないんだけけど、サノモトハル神って人たちもいたなぁ。

まあね。

人の入り口をとやかくいうつもりはないですが、自分の事を振り返ったとき、小学生のときYMOでスネークマンショーでつくづくよかったなぁ、とは思う。このような場合、時間がたつことで評価の定まった過去の状況を故意あるいは無意識的に自分の属性と取り違えて自慢するというのがとられがちな行動ですが、そうでは決して無くて、これは「僥倖」であり、「僥倖」として感じられることは僥倖だなぁと思うし、そこから大げさに言えば世代的使命みたいなものさえ感じてしまうことがあると言えばやっぱり言い過ぎかもしれないけど。

自分の属性としての趣味としては恥ずかしいことはたくさんある。ライブハウスは別として大箱で「ライブ」として、というか「コンサート」として見に行った最初のコンサートはレインボーだしなぁ。リッッチ〜〜とか叫んでた。カシオペアとか歌謡フュージョンにどっぷりだったし。僕にとってFM音源の音が象徴するのはどっちかいうと向谷実です。ベストヒットUSAで適度に解毒されつつ(かなり早い段階でヒップホップとかハウスとかの動向を紹介してたし、スクラッチの実演紹介wとかしてたのを思い出した。すごい番組だったと思う)、好きな女子にThe Jamに導かれなかったら今頃どうなっていたことか、とゾッとする。とはいえ、ポール・ウェラーは既にスタカンで、勇んで出かけた新国技館(デートね)ではダブルのスーツで高らかに歌い上げてて「えーと・・」という感じだったのですが。

まあカシオペアがなぜ恥ずかしいかは、その後のインディーで、宝島で、フールメな(これはこれで恥ずかしい)カシオペアが好きとは口が裂けても言えない高校生活というものをふまえないとご理解いただけないとは思います。なにより、せっかくYMOから入りつつ(というか実はその前にビートルズなんだけど、こちらはリアルタイムじゃないので)、はっぴぃえんどに遡航したり、ブラック・ミュージックに旅立ったり、アイドルを掘り下げたりって方向に行かずに、フュージョンだのハードロックだのにうつつを抜かす、というのは知的に音楽と関わっていなかった動かぬ証拠であり、マチゾーさんが随分前に「フュージョンほど音楽的遺産を残さなかった音楽はない」と言っていてホントにそうだなと思うけど、随分フィジカルなおつきあいしか出来てなかったなと思う。まあ今となっては、過剰な80年代にぴったりよりそわずバカな子供でいられてよかったと思える面もないことはないんだけど、ともあれ、10代というのはまったくバカバカしいものでございます。

2008年11月1日土曜日

モン場所

曇り空のCDGに降り立ってゲートまで走っていると、みぃこが「うさぎ!」と言う。見ると滑走路脇の芝生にほんとにうさぎがぴょんぴょんしてて、目が慣れるとそこらじゅうにいる。こういうふうに「湧く」ようなウサギを見ると、って別に他じゃ見ること無いんだけど、と考えたところで以前CDGに降り立ったときもウサギだ〜って思ったことを思い出しながら、とにかくそれで思い出すのは、ルノワールの『ゲームの規則』の狩りのシーンで、追い込み漁と言うんだっけ、音を出して網に魚を追い込むように木の棒で木を叩いて森の小動物を追い込んで鉄砲で撃つのだけど、そのように追い込まれる小動物の多さ豊かさに、失われた「貴族的なもの」を重ねて貴族だったためしもないのにため息がでていたのはもしかしたら間違いだったのかもしれなくて、モンマルトルでみぃこの作ったエプロンを店に置いてくれているトモヤンが「まだちょっと早いけど、狩りの季節になると、皮をひんむかれたうさぎが肉屋にずら〜っとならぶのよー」と言いながらだしてくれた、名前は忘れたけど野菜と一緒に煮込まれたlapinの料理を食べながら、あの瀟洒な林にカンカン響く音に追われてバラバラと飛び出してくる小動物のシーンはまだそのまま現実のものなのかもしれない、と、その朝までいたボルドー郊外の紅葉したブドウの畑のアップダウンのなかに教会を中心とした小さな集落が見える人気のない風景(思わず安野光雅が思い浮かんでしまうのがなんだか腹立たしい風景)のひんやりした空気をもう一度、二の腕から肩胛骨にかけて思い出しながら思った。

どこに行っても、どこに居てもおんなじだ。トモヤンのダンナのリベヤンのギター工房をでて、68番線のバス停まで送ってくれたトモヤンの髪の毛にのっかった雨ツブをみながら「またねー」と言った今朝はロクスケといっしょにおとなりのスズキさんのところへ行って帰朝報告をしてる。初冬の仙台のひんやりしたかぐわしい空気のテクスチャで検索されて透過的に重ね合わされて眼前に浮かぶあの場所この場所は、名前はなんであれ、「私の場所」だ。

2008年8月4日月曜日

夏は来ぬ

昨日から仙台もようやく夏日!

夏日になったと思えば、
太陽の輪郭がぼやけてもやのかかった
そしてやたらと湿度が高い、
熱中症に最適!というような一日。

盆前の草刈りの最後のチャンスだなーと
思っていた日がこの気候だ。

ムムッと息をつめてがんばる。

ホンダの4ストをぶんまわす。

ヨモギの大きく育ったやつとか、
ススキのようなものはナイロンじゃ
歯が立たないので、鎌ででザクザクと刈る。

小さな虫どもが泡食って飛び出す
ヘビさんもパニクって逃げまどう。

草を刈る意味は単に

刈ると気持ちいいから。

それ以外にほとんど意味はない。

勝手な人間を許せ、
と心で念じつつも
草の勢いに負けない気勢で
バリバリと刈る。

これが「タマの汗」ってやつですかっ
って汗をだくだくとかく。

これが「ゴキュゴキュ」ってやつですねっ
って音でがぶがぶと水をのむ。

すでに水浸しのタオルで、
ぐりぐりと汗を拭く。


みぃこも僕も熱中症寸前、
気持ち悪くなりながら終了

完璧、とは言えないが、
近隣の人たちにそれなりにすがすがしく
お盆を過ごしてもらえるくらいには
すっきりした。


家に帰って、
汗ばんだ肌がミチミチくっつく畳に倒れ伏して
なにはともあれ、少し寝る。

起き上がって、
すこしぎくしゃくする身体で
頭からザブザブとシャワー

いやー、気の通りがよくなりそうだね!


草刈りや
玉の汗や
そのあとの水浴びを

気持ちいい!

という風に思うのは
歳のせいだと思う。

なにか草刈りのようなもので
すっきりしたくなる
澱のようなものがたまっていくんだと思う。


上がってさっぱり着替えて
扇風機の前にゴロン

間髪を入れずおそってきた
すでに肌がぺたぺたする
ロクスケの肉弾攻撃を
「ぺたぺたするからあっちいけー」
とかわしつつ、

形はわるいけどごろごろと
肥大化した本日大収穫のオクラの食べ方を
やっぱ「夏カレー」でしょう!と決め、
料理はみぃこにまかせて、

昼から「スイカくわせろ
スイカくわせろ」とうるさかった
ロクスケの念願をかなえてやるかと
ビーサン履きで買い物に出かける。

猫にちょっかいをだしたり、
歌をうたったり、
すでに黒いシルエットになっている
樹木の形を「モランがでた」とか
「モリゾーとキッコロだ」とか言ってみたりしながら、
ぬるい空気の夕暮れの坂道を
ロクスケと手をつないであるく。

スーパーでは
スイカはこっち
ヨーグルトはあっち、
と、とーちゃんよりも
よく把握してる。

スイカは種とスジが少なそうなのを
選んだのだけどロクスケは
「たねがないね」と
ちょっと残念そう。

いまうちでは
さとうわきこ『すいかのたね』が
流行っていて、

「え!これでもつまらないかい!ええ!」
と悪態をつく種がないのは
スイカとしてどうなの?
というような気持ちだったのだろう。

最後に、
おかーさんから特別にお許しのでた
カップアイスをかごにいれて、

「アイスが溶っける」
「アイスがとっける!」
とかけ声をかけながら

こんなどうでもいいことの方が
いつまでも記憶に残ったりするのかもしれないな
なんてことをふと思ったりしながら

また夕暮れの坂を上る。

2008年6月29日日曜日

ローカルの創造性


カルチュラル・タイフーンのパンフ(最近photo boothがポラみたいにうつることが分かって愛用している)



メインセッション1:ローカルの創造性



休日の入試業務と会議を終えて、前の晩はあまり寝てなくてねむいし、夏日で天気は気持ちがいいし、そのまま帰って今日は昼寝でもしたい誘惑にもかられたのだがなんかやっぱり気になって来てみて良かった。



五十嵐さんのその土地の技術にあわせて作る、ということも、タノさんのピカソやボティチェルリ(ママ)を知ってるのに地元のアーティストのことを全然知らないのはなんかヘン、というのも、鹿野さんの作りたいものを作るために必要なものを稼いでくるだけ、というのも、僕には腑に落ちる。



本江さんや小野田さんが「そうはいってもさー、東京に比べればマーケットも小さいわけだしイロイロあるわけでしょう?」とやや意地悪な水を向けたことは、そんな「素朴な」スタンスだけでホントにいいのかな・・という一方で僕の中にもある気持ちを代弁していたものの、でも、「グローバルな展開」なるものの幻想が僕らの感触の中からも忘れさせてしまうけれど、でもやっぱり僕らは「どこかに居て」何かをしなければならないのだし、それだけでよいかどうかは別として、またそこしか起点がないのかは別として、起点の一つであることは確かなことだし、ローカル・グローバルという軸とは関係なく少なくとも個人史のなかにおいてはそのことの気づきは「作り始める」ということと同じことだ。



こういう場に居合わせることのいいことは、並べて置かれたり、やりとりされることで、「それはそうだな」だったり「そうじゃないな」ということが、感触として明らかになることだ。関本さんから「仙台ならではの特色ということを物作りにどのように反映させているのか?」という質問がでたとき、ローカリティ=地域色というのは、俯瞰的視点で見てしまったときの因果の取り違えというもので、全然違うなぁ、と即座に感じた。



質問コーナーで誰かが鹿野さんに「ローカルって規模の小ささですか?」と聴いたのに対し、鹿野さんが「いえ、距離のことです」と即答していたのが印象に残った。そして思い出したのは、公園のシーンで木々の間から青空が見える以外は視界が抜けることのない空間で関係性が重層的に字義通り「織りなされる」、ペドロ・コスタのコロッサル・ユースという映画のことなのだった。






行灯、アリマス

MEGAHOUSE in Sendai



きれいだなぁ

もとえさんのブログ経由。

2008年6月28日土曜日

行灯

カルチュラル・タイフーンでもとえさんとあべさんのMEGAHOUSE を初めて見る機会を得た。


あの「システム構成図」しか見たことなくて、「没入型カタログ」のことは全然しらなかったので、薄暗い展示会場に無防備に入り込んで巨大な行灯がいきなり現れたその美しさにしばしぼんやり見入ってしまった。企図された視点じゃないのでなんだか申し訳ないんだけど、トレペが映像を映してできた薄い膜や、それらが光る立方体を構成しているのには釘付けになってしまう。CAVEやCABINなどのいわゆるIPTをすごく身近にあった分やや型落ち扱いしていたけど、おもしろさを再発見した。没入、という意味でも、光る箱、という意味でも。特に今回はスクリーンにあたるトレペがほとんどフレームレスの状態でテグスで宙づりになっていたのが効果としては大きい。それから、スケール。ドイツでの展示よりスケールダウンしてあるそうなのだが、もう少し大きいと今日のような光る箱としての「誤読」は出来なかったろう。


しかしまあ、とにかく光るものが大好きで、もう10年ほど前になるかな、夜な夜な光る看板とかネオンとか自動販売機とかを撮り歩いてコレクションしてたほどだし、ねぷたを見て東北に来てほんとによかったと思ったほどの発光体というかリアプロ映像というか幻灯というか行灯好きなので、あまり一般的な感想とは言えません(笑)が、行灯がお好きの向きは明日6/29っきりで展示がおわっちゃうので是非!


いやいやいや(笑)。建築や都市を考える方々ももちろん必見ですよーっ


本来の企図から言ってこれまでちょっと誤解してたのは、「よりダイナミックなレオパレス」つまり半日とか一時間とかで移れる「貸間」として理解しちゃってたところで、次のセッションがあったのでほんのちょっとの間の体験からだけの判断で間違っているかもしれないんだけど、カラオケルームとか音楽スタジオとかがあったことから、もっと細かく生活や行動をモジュール化して都市空間にちりばめているのだとわかってワクワクした。つまり、急いでメシ食わなきゃいけないんだけど近くに「空きキッチン」ないかなぁ、って探して、大急ぎでレバニライタメかなんかちゃちゃっと作ってかっ込んで、MTGの準備も、MTGも、打ち上げも帰って(?)寝るのもそれぞれ時宜にかなって適切な別の場所を使う、という、たぶんそんな感じで(どんなかんじだよ)、都市生活のよいところは何も持たなくてよいところだと思うので、分散型ホテル暮らしっていうか、すがすがしくて気持ちのよい「設計」だなぁ、と思えた。それに、僕の好きな空間を日本中でどんどん壊してぴかぴかにしてしまう、あのモノの流れでしかお金が生み出せないマッチョ思考に対置する一つの対極ってたしかにこうだなぁ、とも思えたのだった。

2008年6月25日水曜日

ちょっとひといき

論文を書き終わって、
こんな時間にご飯を食べながら
またしてもお行儀わるく
これを書いている。

論文を書くのは結構すき。
文字と図版と引用を
ぐいぐいとパックするときの
あの質量の感覚が好きなんだと思う。

人のものを読むときにも
言い当てようとして
手探りするときの手触りというか、
言葉を引き寄せる質量としか
言いようのない感触を
感じる人には感じる。

何人かいるけど、
武田百合子なんかは特に感じる。
あの人はグリグリ書いていると思う。
消しゴムでゴシゴシ消したりしながら
えんぴつでグリグリ書いていたんじゃないかな。

天真爛漫とか軽やかな印象で
語られることの多い武田百合子だけど、
僕は全く逆の、時々ちょっとうんざりするような
「重さ」(内容じゃなくて、言葉のね)を感じる。
女性の身体のあの中身のつまった感、
というと生々しすぎるかもしれないけど。


っていうか、論文書くのに
言葉の質量とか言ってちゃ
いけないと思う(笑)

2008年6月23日月曜日

これがあるから

いろいろな空間体験をもたらすであろうお茶室巡りをしてみたいという欲望から、ヒトツお茶など習ってみようかしら、などという気持ちになってることを書いたけど、その時思い出したのはミナちゃんの亡くなったおばあちゃんの話。

もうずいぶん前のことになるけれど、ミナちゃんがおばあちゃんにお茶を習い始めたときにその体験をいろいろ話してくれたことをなぜかよく覚えていて、一日のはじめに炭をたててお香をぱらぱらと焚き入れるんだ、なんていう聴いてるだけで沁み込んでくるような話なんかとともに、おばあちゃんが「あたしはお茶ががあるから生きてこれた」って言ってたっていうのを聴いて、人生をドライブするのに必要なものがあるということに深く深く共感し、その後もことある毎に(会ったこともないのに)思い出していたのだが、習うなら、ミナちゃんのおばあちゃんに、それがあるから生きてこれたという人に、習いたかったなぁと心底思う。

初収穫



スナックエンドウとバジル。

ここ1週間ほどで急速にワシワシと茂ってきたスナックエンドウをよくみると、まるまる太ったサヤが何本かあったので「!」と思ってもぎってくる。ついでにバジルも。初収穫だ。

有機、無農薬、そして不耕起。と言えばなんか主義主張があるようだが、そうじゃなくて要はほったらかし。スナックエンドウをパスタをゆでてるお湯に一緒にほうりこんでさっと湯がいて、ぽりぽり食べてみる。

うまい!

「有機・無農薬・もぎたて→うまい」という反応はあまりに定型化されていて、既視感、というか、実は期待は全然なかったんだけど、実際体験するのは全然違うことなのである。実にうまい。うまいというか、甘い。濃い。味覚体験として「立っている」。

そうかー・・「こんなに」おいしいものなのか。

2008年6月21日土曜日

京都の仕事場



tarocafeのタコライス。

食べながらお行儀悪くメール書いたり、ブログ書いたりしている。ちょっと外れにあって、2階は窓が開け放してあって、しかもwifi使えて、ずっといさせてくれる、もちろんタコライスもおいしい、でもやや残念ながらビールはおいてない、とても良いお店なのです。

茶室に目覚める



今回は町屋でという趣向。

窓をあけはなってしとしと降る雨音を聞きながら、あぐらをかいたり体育座りだったり、何か言いたいときには、ぐっと前のめりで正座をしてみたり、その時の話題に対するコミットメントが姿勢に現れる現れ方が、机を囲んでのミーティングと違って、面白かった。それをする部屋によって絶対考えつくことが変わるなぁ、そういうことはきっとあるなぁ、と確信できる体験だった。といいつつ、何かブレークスルーが、というとまだそこには至っていないのだが。

三時には、小一時間かけて順番に茶室でお茶をいただく余興も。一番最後の順番だったので、人数も少なくて、雨の庭を眺めながら、ご主人とあれやこれや話しながら、夕方の部が始まってもしばらく茶室で過ごしてしまう。

音の響きがとてもいいのだ。繊細なリバーブがかかって、声がくぐもるようにやわらか〜くなる。しみじみとしみ通るように気持ちがよかった。なんかずっと聴いていたかったし、それにそれぞれの茶室でそれぞれに違う響きがあるのだろうなぁと思ったら、作法をちょっとならって、茶室巡りがしたいなぁ、という変な欲がむくむくと湧いてきた。

2008年5月31日土曜日

ん〜デリシャス!

Delicious LibyraryというAmazon APIを利用したアプリを愛用している(MacBookのカメラで本やDVDのバーコードをピッとやるとAmazonから情報をとってきてDBに登録してくれる)のだが、数年越しの初のメジャーバージョンアップでガジェット・工具・おもちゃが登録できるようになったと聴いて、早速DL。

アプリフォルダにつっこんで、立ち上げたら、旧DBからの引き継ぎも自動的にやってくれた。1.0のときのライセンスも無事引き継がれたようだ。

んが、左側のペインにはいままでどおり、本、CD、DVDのライブラリしかない。ええーい、まずはピッとしてみよう、ということで愛機Lumix Fx35の箱のバーコードをピッ・・・・くるくるくる・・・・パカッ!


うおお〜〜〜!!


「Gadget」というライブラリが新たに作成されて、棚にカメラの商品写真が登録された!!


んが〜!!


バーコード万歳!


あと、すげーうれしかったのは、iTUnesライブラリというのが作られていて、iTunes内のアルバムをライブラリに自動登録してくれる!!


バーコードリーダーの精度も上がってる。


だけど、ギチギチ最新のOS求められました(10.5.3)。
windows版もありません。



Gizmodo Japan経由

ガジェットや工具も追跡できる!「Delicious Library 2.0」に触ってみた : Gizmodo Japan: "その「Delicious Library」にバージョン2.0登場。今度はギズモ読者が特に気に入りそうな3つの新カテゴリが加わりました。ガジェット・工具・おもちゃの追跡機能です!"

2008年5月30日金曜日

遠方から彼岸を知らせる

予備校からの友人ヒガシさんが
並の勢力を保ったまま
現在、福島あたりを北上中です。


先週の土曜日に東京を発って、
徒歩で仙台まで、

1日50キロ歩くとして、
仙台まで7日とちょっとの行程。

学生の夏休みかっつの。


しかし、
こんなにじわじわと訪れられたことはないので
(まあ普通ないと思うが)
まさに台風がやってくるのを待つような
なんだかへんなかんじだ。

白河の関を越えたと連絡があったときは、
なんだかちょっと征伐されちゃいそうな
ドキドキ感さえあった。


ひとくちに7日っていうけど、
新幹線なら1時間半の距離が
人力だと7日の距離になっちゃうんだから

僕たちの時空に対する感覚が
昔とはいかにかけ離れているかってことだ。


それは単に狭いとか広いとか
速いとか遅いとかの感覚のことじゃなくて、
たぶん「価値」に対する感覚が
全然ちがったろうな、ってことでもある。


「資本主義」を否定するとき
じゃあ貨幣以外のどんなもので
価値をはかるのか、って実は
考えてみたことなかった。

どこかで、価値を計る貨幣以外の別の
単一のスケールを想定しちゃっていた。
(要するに結局「貨幣」だ)


資本以前の価値、それは、
肉体的な負荷、というか人力的な
単位だったのかもしれないな。

いや、単位というか
価値そのもの=体感だったろう。
自分を外部から眺めるなんてこと
しなくてもよかったろう。


価値そのもの、かぁ・・
すばらしい官能の世界であったろうな。


しかしそれらの感覚は
tip of tongueというか、
実感されかけてするりと逃げていく。


我々は本当に「貨幣以前の身体」に
戻れるだろうか。

オングが体感させてくれた
「文字以前の身体」の不可能性に照らせば

やっぱり、

もうそれは無理なのかもしれない。


"声の文化と文字の文化" (ウォルター・J. オング, 林 正寛, 糟谷 啓介, 桜井 直文, Walter J. Ong)

2008年5月26日月曜日

土の感触

情熱大陸にでてた
フランスの三つ星レストラン
「レジス・エ・ジャックマルコン」

人口200人の村の
丘の上にぽつんとたっている

食材は普通に村の市場で仕入れ、
ハーブはその辺に生えてるやつを
もぎってくる

そうだよ。これなんだ。

限られた地域のそれらの全体が
資本とはもっとも遠いところで
そのレストランを成り立たせている。
(かつ三つ星として)

俺らには「青い鳥レストラン」があるぜ
と、すぐさま思い出して、
胸のすく思いがしたけど、

こういうものが、

津々浦々とは言わないまでも
行く先々にあるくらいに
増えるといい。

「グローバル」な
抽象的オブセッションに
飲み込まれたとしても

そこらでもぎってきたものを
おいしく気持ちよく食べることが
できるなら、少なくともぼくは
そこで正気を保つことが出来そうな気がする。




2008年5月20日火曜日

価値観の構え

今日のバクモンで、
太田光が

ゴリラのたたずまいから
我々が一瞬にして感じ取り
我々のものとして引き寄せて
感得する価値がある

という話から引き寄せて、
国や経済のあり方なんてものも
そういった「構え」によって
示していくことが必要なんじゃないか

っていってた

タイムリー




ABCといえば

六本木は外国みたい
香水のにおいが染みついて
体臭化してしまったかのようなあの
ヨーロッパの感じ

貫禄がついたというか


どんよりと今にも落ちてきそうな曇り空


残念だったけど2次会をパスして
けどやっぱりふらりとABCへ

あー、このステップ・フロア!
僕にとってABCはやっぱりここだ。

問題意識の熱がまだ冷めないからだろうか、
いろんな本を引き当ててしまう。

『理解の秘密』
『人を賢くする道具』
『人はなぜ話すのか』
『肉中の哲学』
『生物がつくる<体外>構造』
『文藝別冊、大瀧詠一』

お買い上げ。チ〜ン!
(最初の三冊は、
イシス編集学校の「三冊屋」という
企画でセットになっていた。
人を賢くする道具、はダブリ)

最後のはついでっぽいが、
内田樹先生と大瀧詠一御大のロング対談が
かねてより気になっていたのである。
帰りの電車で読んできたんだけど、

沁みる。沁みまくる。

しかしまあ今回特に天啓を感じたのは、


"生物がつくる〈体外〉構造―延長された表現型の生理学" (J.スコット・ターナー)



人の認識が外部リソースを必要としている、
ということを形にしなければ、ということに
迫られていたところなので、笑っちゃうほどタイムリー。

延長された表現系の「生理学」って!
ツボすぎる。

ほんとびっくり。

2008年5月17日土曜日

改行の妙味、その後

あ、HTMLモードで書くと
改行が全部ビーアールになるや。
ミバてきには一件落着かな

でもかたまりにピーつけてほしいんだけど

RSSの要約はピー頼みなんだけど


書き方がウェブ標準ぽくないってことかぁ


改行の妙味

さいきんAirがメインになったので
ectoが復活してるんだけど、
(昔のライセンスがまだ生きてた!)

ectoが改行の妙味を解さないので困っちゃう。
アップするとき変なピータグだの
ビーアールタグだのをいれて
ヤに間延びした感じになっちゃうので
アップしてから改行を修正したりしてる。

アホらし。

かたまりをピー
単なる改行をビーアールに
してほしーのだが。

それだけなのだが。

要は

ポエジーだよ、
ポエジー。

わかるかなぁ?

エジソンバンド

僕にとっての書見台の歴史は
使ってみてがっかり、の歴史だ。

あの、ページのめくりにくさが
とにかくいかん

開きにくい本を開きながらの作業の
うざさ解消のために使ってるのに、

ページがめくりにくいので
輪をかけてうざくなる、

というか、もっと肝心な部分で
思考を止めてしまう感じがする。


でも、仕事柄本を開きながらの作業は多いので
いつも欲していることはいて、

がっかり感を忘れた頃にまた買ってしまって
またがっかりする自分に腹を立てたりする。


が、今回こそは、そのスパイラルから
抜けられそうな気がする!


その名も「ほんたった


「ダブル」ってあたりが、
米国特許取得ってあたりが、
たのもしくね?

ね?


本日、株式会社エジソンより
発送された旨メールがあったのですが、

「エジソン」という固有名に
何事か言わせようとしている
古式ゆかしい感じがなんか、

ヤってくれそうじゃん?


っていうか、滝田ゆうの
『寺島町奇譚』のビリヤード屋の親父の
エジソン・バンドを思い出して、
北東京テイストにやられちゃったんだよね。






"寺島町奇譚 (ちくま文庫)" (滝田 ゆう)

2008年4月23日水曜日

Thinkin in the rain

先日書いた彼
引き合わせてくれたナガサキさんが、

(彼の人のアレンジは定評があるらしいのだが
その時も大変意気投合して、なにかとても
インスパイアされて帰ってきたのだけど、

最近ちょっとまずいことに酒の席のことを
あまり覚えていられなくて、
ここに書けないのがとても残念なのだが、

「時間」のことや音楽のアルゴリズムについて、
とてもふかーいことを話したのであった。
っていうかそんな気がするのだった。

今度あったときこないだ
なに話したんだっけって聞いとこう(笑))

昨年の県美術館のある展示のために制作した、
rainote08というファイル名の
音のファイルを送ってくれた。

音と音楽の中間の領域で響く
とても気持ちのよい音

並行している雨だれの系列を
rainnoteとする不変項=アルゴリズムは
なんなのかなぁ、とか、
(実際大部分はアルゴリズミックに作られたらしいのだが)

並行している系列をどのくらい増やしたら
ポツポツした雨だれじゃなくザーッと言う雨だれになり、
(「しとしと」と「ザー」の境目ではどのように響くのか)

またそれは、最初からホワイトノイズを使うのと
なんか違うのだろうか(加算と減算だね、)とか、

まあ言うたら(言葉にしてみたら)
そんな程度のことではあるけど、

とにかくそれらを聴いて確かめてみたいという、
ということは必ずしも言語的なものではないかもしれない、

雨の景色のように見通しのきかない
だけど広がりだけは感知できるような
「思考」をもドライブする音なのだった。

世界観の発見

いっしょにソバを食いながらフカダさんが、


シュタイナーあるいはユング的な世界観と
日本の地域にかつてあった習俗との同型性
について聞かせてくれる。


それは一言で言えば、
「あの世」を世界観の中に設定して
そこからの声に耳を傾けたり
行ったり来たりする、ということなのだけれど、


なのでぼくは、

人間の精神はなぜ「あの世」なるものを
「仮構」する必要があったのか疑問に思い、

それを口にだしてみたのだった。


すると、

「いや、それが世界観ですから」

という。いやそうじゃなくて、その世界観がなぜ
あの世とこの世の二分法で構成される必要があったのか、
ってことなんだけど・・

「??だって世界はそうなわけだから」


・・という言葉の途中で僕は分かった。


僕は普段からご縁や「必然」というものを
強く感じながら生きている方だと思う。
だけどそれは真の意味で「世界観」と
言えるようなものではなかったのかもしれない。

もちろんそういう世界観を持たなきゃという意味ではなく、
あまり意識していなかった自分の「業」の所在を
不意に突きつけられた感じがしたのだ。


この話は、だからそのような世界観を失った
「伝統工法」なるものも本来の伝統工法では
あり得ない。伝統工法の復権っていうんなら
世界観もまた復権しなければならないだろう、

と続くのだが、前回の「セッション」のときも
物づくりにおける時間の流れについての
衝撃的な指摘があったりしたし、


この人と家を建てたりするのは
面白いけど相当なカクゴは必要だなぁ、と
ソバをすすりながらぼんやりと思った。

2008年4月13日日曜日

ソバー茶店

あいつどうしてるかな、
こっちが別にいいよっつったって
もう前みたいに飲んだりは出来ないのかな、
と時たまそんな風に思い出したりしてたんだけど、

突然、電話があって少しずつでも返したいという。

「信じていた」なんて大げさなもんではないけど、
それでも、なんというか、むしろ感謝したい気持ちで、
おごるぜ、といって仙台浅草で乾杯する。


「おいしいです。ほんとに」といって
神妙な顔で少しずつビールを飲みながら

わっはっは、そりゃひでぇなー、と
ホントに笑うしかないというような
まるでマンガか小説みたいな
これまでのすごい生活の話をしてくれ、そして、

「今はこんなことしてるんです」といって
差し出した名刺の肩書きがまた、
ちょっと出来すぎじゃね?ってくらいの落差で。
(「落」差じゃないか)


「僕には人しかないんだって分かって
今一人ずつ回って少しずつ返してるんです」

なかなか出来ることではないと思う。


「僕が正気を保つために行く喫茶店があるんです。
最後にそこでコーヒーおごらせてください」
というんで、勾当台まで。

途中、2年前一緒に行ったことのある
イタリアワイン屋の話になり、
久しぶりに行ってみますか、と寄り道。

砂肝をバルサミコ酢とトマトで炒めあえに
したものと、口の中でその味と落差なく
完全に地続きになるやや濃厚な白ワイン。

その店でも、最後の茶店でも、
カウンターの一番端っこに陣取って
一人でワインやコーヒーを飲む
若い衆がいた。ヒトがヒトである限り
こういう人たちがいなくなることはないのだろう。


「僕ほんとにバカなんです。
やっちゃいけない人たちのところに
わざわざいってやっちゃうんです」
イタリアワイン屋でも、茶店でも
他のお店でも、随分「やっかいに」なってきたらしい。

生活が落ち着いた今でも
先週チベットで彼の友人が死んだ(!)ときは
やっぱり茶店で荒れてしまったようだ。

それでも、どちらの店でも知らん顔して
受け入れてくれていた。

彼の、何をやらかしてもまた出かけていくその姿は
なにか修行をしてるようにも見えたのだが、

そんな風に受け入れてくれるのは
店が大らかだからということももちろんあるけど、
やはり、そいつの何かが、周囲に
なにかしら共感を呼ぶからなのだろう。


定禅寺通り沿いの2回にあるその喫茶店の
コーヒーは、甘くて苦くて濃くて本当においしくて、
仙台でようやく「茶店」を見つけた思いで、
国立の邪宗門でぬくぬくとしてたときと同じように
本当にゆったりと落ち着いてしまう。


ここにはきっとまた来てしまうだろう。


僕にだって正気を保つすべが必要な時はある。

2008年4月11日金曜日

ワナ

CREEKの左チャンネルに音源によっては
かすかにビビリがはいって気になっていたのだけど
ついに音が出なくなってしまったので、

1月頃に通勤路沿いに開店したことは気づいていて、
いつか行ってみようと気になっていた
オーディオ修理屋さんに持ち込んでみる。

売り物のスピーカやアンプ、
修理品ががうずたかく積み上げられた
12畳くらいの狭い店で、

パソコンで帳簿管理らしきことをしていた
ニットキャップでひげ面の若い衆が
「いらっしゃい」というと、奥から
ortofonのロゴがプリントされた作業着を着た
初老のおじさんが出てきて、
「ほぅ、クリークですか」
「いくらまでなら修理しますか?」
とかなんとか一通りの話を終え、
伝票を受け取って、

じゃよろしくといって立ち去ろうと
顔を上げたところに
ぬっとコーヒーカップがでてきて
若い衆が「どうぞ」という。

さらにすかさず、
僕の「あ、もう終わったんで」という言葉を
言わせないかのようにおじさんが
「時間ありますか?」ときた。

その辺の、ワン・ツーみたいな
絶妙のタイミングぶりに、
笑ってしまいつつ
「ええ、だいじょぶですよ」といって
ちょっとの間オーディオ談義をする。

そんなに数は多くないんだけど、
スピーカはオランダやドイツなどヨーロッパのメーカーが主で
アメリカのも昔のJBLの紙コーンのフルレンジなど
すっごい僕好みのラインナップで
結局盛り上がってしまう。

おじさんが、とっておきを出してくるときの「悪い顔」をしつつ
「トランス変わるだけでこれだけ違うんだよ」
といって、peerlessのトランスをつんだチューブで
JBLのLE-8Tにツイーターユニットを
くっつけた改造品をならしてくれたんだけど
これがすごかった。

大げさではなく、とりはだがたって
不覚にもやや涙腺がゆるんでしまった。
ココロを直接なでられたような
やさしくぬくもりがある音。

チューブは味が付きすぎていてあんまり
好きじゃなかったんだけど、
やっぱ結構好きかも。

っていうかピアレスのトランスすげぇ!


この店では、結構若い衆が
集まってはああでもないこうでもないと
やっているらしく(よくあることだが)、
中の一人がピアレスの音がどうしても聴いてみたい
というんでおじさんが客から借り出していたのが
たまたま店に置いてあったのはラッキーだった。


っていうか、不幸だったのかもしれない。

僕の自作電流駆動アンプの
トランスをピアレスにして、
ついでにコンデンサもスチコンアレイに
しちゃったりしちゃったらどうなってしまうのだろう・・

とか、すごい久しぶりに悪いことを考えてしまい、


そうこうしているうちにCREEKが直ったと連絡があったので、

受け取りに行ったときに
ピアレスでな、な、なにを聴かせてもらおうか、
とソースが頭の中をぐるぐるし、

ぜったいCREEKでLE-8Tを鳴らさせてもらうんだ、とか、

僕のノーチラスを持ち込んでチューブで
ならしたらどんなことになるんだろう、とか、

ポワポワと頭にいろんなことが浮かんでしまい、


オーディオ心は仙台に来てから
せっかく眠っていたのに

どこにワナが仕掛けられているか
わかったもんではない。

スプリング・サンダー

今回は時差ボケがひどくて
ぼんやりとしてしまい、
何しに来たんだかわかりゃしない

膜がかかって遠雷のよう

なにもかもが。

なんとなくそのまま帰る気がしなくて
家をやりすごして、家から50mほどの堤防へ。
海と空との境目が、いまの気持ちとそっくりに
膜がかかって曖昧な中に
遠く木更津までの光がちかちかしている。

ふと、この堤防のコンクリートの感触も
光の列が行き過ぎる京葉線の眺めも
海と空の境目があいまいなこの海も
さらには寄る辺ないこの気持さえも
20年前に家をやりすごしてやっぱりこの堤防に
もたれかかっていたあの時と全然変わりがないことに
気づいて笑ってしまう。


この寄る辺なさをかろうじて
この世に結びつけるこの身体が
いつか滅びようとは


ならば


ならば


すべてをすてて今夜荷物まとめて
サボテンもってレコードもって
やりかけだったパズルをすて
車に乗って夕日に沿って
知る人もいないとこに着くまで
(『サボテンレコード』)

2008年4月9日水曜日

正体みたりCO2

フジファブ爆音中!
チクショウ!



一昨年だったっけ、
やたらロンドンに行ったり
経由したりする機会があって
チューブがすーぐ止まる
へにょへにょ国家であることがよく分かり、
だからなんでこんなにポンドが
ずっと強いのか首をかしげた。

そのときよく付き合ってもらった
トキさんといたった結論は
首根っこ、つまりルールや仕組み、
スタンダードをつかむと
やたらついよのだね、
ということなのだった。



彼らは今度は二酸化炭素を
金に変えようとしている。

それがまさに進行中であること、
それが二酸化炭素であること。

そこから我々はスタンダードなるものの
正体をしっかり見極めなければならない。



これまでどおり、じ、じゃあ
急いで日本もCO2市場立ち上げなくちゃ!
じゃなくて!!

2008年4月2日水曜日

ナカムラでハヤオ・ミヤザキ

MPI滞在をアレンジしてくれた
Tobiasくん一家が旅の最後の晩ご飯を
共にしてくれた。

哲学研究者の奥さんは
気さくな一児のおかあさん。

かと思いつつ、ピシリ、と、例えば
「チベット問題どうおもう?」
とくる。

MPI近くの家畜小屋のにおいがただよう
ロクスケも大好きなミットグッチの絵本Dorfそのままの
小さな村のキュートなレストランで、
本当においしい、ニラに似たハーブでグリルした
白身魚のライス添え(正確には「白身魚のっけ」)に
夢中になっていたので、

ンガグッグ

となってしまい、その情けないていたらくを
帰国後報告すると、みぃこは

「それよかギョーザだ!ってかわせばよかったのに」

あー確かに、それはうまい切り返しだ

折しもTobyは我々がドイツ餃子と呼ぶところの
ニョッキ風の皮に挽肉を詰めたものを
食べていたではないか!!
あのシチュエーションを拾えなかったのは
いかにも情けない・・


それでも、中国のという国にセットされた
覇権主義的性格について、例えば、
「中国」という漢字の意味などを
引き合いにだして説明する。
(その程度な自体情けないんだけど・・)

ドイツ首相がオリンピック欠席をいち早く
表明した矢先で、ドイツ国民(というかヨーロッパの人たち)
にはチベット問題が大きな関心事なのだった。


息子のMax君(やっぱり自動車好き)を
眠らせるために奥さんは帰っていき、
Tobias君は「昨日はMaxを見てくれたし」ということで
奥さんの許しがでてダウンタウンのバーへ。

仕事上の抽象度の高い話をして
ややヒートアップしたのでどこかで
ビールでも飲みたいね、ということになって


じゃあNeckerMullerでビールでも、
ということになる。NeckerMullerは
Necker川沿いの居酒屋兼ブリュワリーなのだが、
Tobyの発音だと「ナカムラ」に聞こえる。


ナカムラでは夜も更けてきたこともあり
パーソナルな話が中心になったが、
不意にTobyが、

ハヤオ・ミヤザキ作品の中では何が一番好きか、

という日本でも「お近づきの印」話題ランキング
トップ10に入る話題を切り出してきた。

Tobyはどれが好きなんだ?と聴いてみると
もちろんPrincess Mononokeも、
Spirited Awayもいいんだけど、僕はやっぱり
Howl's Moving Castleかなぁ。

いやー、確かに!君らしいよ、Toby君!
とやっぱり納得できてしまったのは本当に
面白い体験だった。

しかも、こいつの良さは分かるめぇと
Kiki's delivery serviceの名を挙げると、
ぬおお~それを忘れてた~っという
悔しがりようでなかなかヤルのである。

しかし、Whisper of the Heartを振ってみたら、
これは見てなかったし、知らなかった。
ま、監督という意味ではハヤオ作品ではないし、
この作品は完全女子視点だからね。

そのあと、「○○なら何が好き話」が暫く続き、

「ふぅ、日本人はやっぱテイストあっていいなぁ」
(いや、全然大したこと言ってないんだけどホントに)


僕が海外に行き始めたのは、
大学3年生の時、そのときはこんな状況
考えられなかった。


「僕は日本に行きたい。仕事のこともあるけど、
なによりその文化に触れたいからなんだ」

ジャポニスムってまだ生きてる。
(それはtobyならずとも最近感じることだ)
我が国はまだまだあこがれ要素、
ネタ満載、ってわけだ。


このしめった狭い国土にオランダの街並を再現しちゃったり、
ビルの中に30年代タウンをまるまるパックする
心意気でさ、本気で彼らのあこがれに答えるべく
もう一度「列島改造」すべきだよ。


いやマジで。

茶釜ステーション

Jalでもそうだと思うんだけど、
ANAの機内プログラムには
おじさん向けの邦画が必ず一つ入っていて、
これまでは『寅さん』シリーズだったんだけど
(もちろん、必ず見る)


今回は、

なんと!

『駅前茶釜』!!


『駅前シリーズ』っていうのは、
東宝で1957から1969にかけて
全24作が作られた、
ロングランシリーズである。

森繁、伴淳、フランキー+マドンナ
(寅さんと違ってマドンナはほぼ固定。
駅前茶釜では淡島千景。
たいてい未亡人役、というように
やや年増趣味に応える設定。
ここらへんも寅さんと違う)
というスターシステムで、


テレ東の土曜午後あるいは深夜帯、
年末年始の深夜帯の定番だったので、
そしてなぜか僕は子供の頃から大好きで
(特急シリーズとかね、とにかく
プログラムピクチャーが大好きだった、いや、です)
かならずといっていいほど見ていたので、
僕の、趣味や感情形成を考える上で
欠かすことの出来ない作品群なのである。


とはいえ、感情形成に資するような
高尚な内容は全く含んでいなくて(笑)、

まあ、美人(未亡人)を巡る森繁、伴淳、フランキーの
どたばたといえば24作品全部を要約できてしまう(笑)。


寅さんや特急シリーズも含め、
シリーズものの一つの重要な特性である
「ご当地もの」の性格をこの駅前シリーズも
備えているのだが、東宝だけに寅さんとは違った
洗練された都会的「地方」として描かれており、
(やや日活の無国籍に近い)


また、森繁というと、もっさりした俳優という
印象をもたれる方も多いと思うが、
次郎長三国志での石松役に見られるように、
本来は小気味よく身体の動くアクション俳優で、

やっぱり身体の動く伴淳とフランキー
(伴淳は小気味良さというのとはちょっと違うけど)
とからんで、

全体としてとても洒脱な
アクションコメディーになっていて

雷雲間近の地上35000フィートの暗がりで
またしてもシビレてしまい、


スターアライアンスメンバー
オールニッポンエアウェイズよ、
俺はどこまでもついてくぜ、
と星飛雄馬より太い涙を流しつつ
拳を握るのだった。




私のフライトは感情的に
とても忙しいのである。

老成

つらつら考えてみればまあ
それなりに時宜にかなって
やることはやってきたのかとも思うけれど、

おせーよ、感はある

どのくらい遅いかというと
うーん、20年くらいかな

20年前にいま程度に心静かだったらね。
20代をもう一度やりたいなんて絶対思わない。


まあ、老成、という言葉もございますし、
また、遅いということはない、とも申します。

まあもうとっくに老成するより他に
ない年齢になってるんだけど(笑)


だけど「成る」ってなに?

おそらくはずっとこのまま、
僕の「生活」というものが
どこかに広がるなら広がるし
何かにつながるならつながっていくのでしょう。

2008年4月1日火曜日

8月の奔流

すっかりココロにレッチリが復活してしまい
フリーみたいにベースが弾きたくてしょうがない。

このどうしようもなく腰の据わらない魂を
未だに扱いかねている。

どうすりゃいいんだ?



なんてね。



映画は、August Rushがとてもよかった。
成長譚であり貴種流離譚、しかも音楽による再会となれば、
もう全然引いたスタンスでは見られない。

Keri RusselとJonathan Meyers演じる、
どこか危うさをもちつつ周囲から必ず
手がさしのべられるタイプの音楽家2人が出会い、

そして生まれた美しいFreddie Highmore (『チョコレート工場』の坊や)は
とある事情から父母を知らぬまま孤児院に預けられるのだが、

福音に耳をすませ、音を音楽として編むように
成長と再会を組織してゆく。

それは実際に構成上の音や音楽の流れでもあり、
その音や音楽のそれは素晴らしいこと!


「音楽ってなんてすばらしいんだろう」


神様にちょっとだけ近い地上35000フィートの暗がりで
星飛雄馬より太い涙を流しながら拳を握ったのだった。



そして、ロクスケよ、常に音楽とともにあれかし、と、
GrazのとあるMusik hausで手に入れ苦労して持って帰った
チェコ製の子供用ギターを
(やや重めのネックとボディのバランスがすばらしい!!)

ロクスケは、

「いいから、いいから」

と手にしようともせず、
同じくおみやげの虫眼鏡付き虫かごに、
(小さな円筒形の底面に開閉可能な
虫眼鏡がついててとてもかわいい)
食玩の鳥やら虫やらを詰め込んで
覗き込んではニヤニヤしてる。


がっかり。

2008年3月31日月曜日

Fly me to that day

ANAのフライトでの楽しみは、
「ベストヒットUSAタイムマシンスペシャル」

ベストヒットUSAには、
タイムマシ~ン、という
過去の名曲を紹介するコーナーが
あったんだけど、'80初頭にPVが登場して
盛り上がった最初のMTV eraが
タイムマシ~ンの対象になろうとはね。

今回は
"Purple rain" Prince
"Every breath you take" The Police
"Under the bridge" Red Hot Chili Pppers
"Down under" Men at Work
"Lay your hands on me" Thompson Twins
という、この機内でおれ以外の誰が?
というラインナップで(いや、乗るたびそう思ってるんですけど)
プレイバック回数機内1位の自信絶対あり。


特に今回はUnder the bridgeにはまった。
毒々しい紫や緑のダブルトーンのPVが
巻き返し繰り返しLCDにいつでも映っているので
隣の人はやや不気味だったかもしれない。

キーディスも、フリーも、フルシアンテも若い若い。

クラブクアトロに最初に来たのはいつだったかなー
(行ってもいないのになぜかすごく憶えてる)
フルシアンテが突然帰国脱退しちゃったのは
そのときではなかったか?

とにかくサビの部分は心の中で
(時に、騒音に紛れて口にだして)
そしてココロから、大合唱なのであった。

I don't ever want to feel
Like I did that day
Take me to the place I love
Take me all the way



なお、「ポッパーズMTV」の
機内復活をここに希望するものです。

2008年3月18日火曜日

昔ブリーチ、今うんち

ロクスケが話題のウィルス性胃腸炎にやられた。


本当に有り難いことに、

野菜をがりがりたべて
ご飯をぱくぱく食べて

熱をだしたのは、えーと、半年前?
ってくらい病気をしないので、

(もりもり食べて、心も体も健康なら、
本当にそれだけで十分だ、と心の底から思う。
「健全な肉体と精神にヘンタイは宿る」
というのがみぃこと交わす合い言葉だ)

布団にふせって、
ほっぺたを上気させて
うんうん言ってるのは
めずらしくてちょっとかわいい。
(普段いちびり倒しで
うんざりしてるからというのもある)


普段は最低限必要な場合しか
除菌殺菌消臭関係をしないのだが、

ま今回は必要でしょうということで、
あちこちでびゃーびゃーやって
汚れてしまったものは塩素殺菌などする。
(菌じゃないけど)


塩素は嫌い。

あのにおいには
殺菌作用?確かにっ、と納得させられる、
生命からすごく遠いものを感じる。
(っていうか化学兵器だし)

なんかこう、身体の深いところからくる
嫌悪感がある。


しかしその嫌悪の中に、わずかに
甘美な薫りがあるのはなんでだろ?

とひっかかるものがあって
ふと思い出したのが

高校のときやってた
ジーンズのブリーチ。


下北のシカゴで安い501買ってきちゃあ
風呂場でハイターぶっかけてた。

ありゃ一体なんだったんだ?


ある種タナトス、的な?(笑)

2008年3月12日水曜日

反対の反対の反対

自民党の日銀総裁案が
参院で民主に否決された。

政治に暗い僕ですが(だからこそ?)、
さすがにわけがわからん。

福田さんも
「なんでだめなんだかよーわからん」
と言っていたが、
こればかりはホントですよ。

「困りますね」
ホント、困るしかない。


小沢さんは、副総裁候補だけにマルをした。

「とりあえず副総裁を執務可能にすることで、
反対のための反対ではないと
国民には理解いただけるはず」

とのことなのだが、
さすがにこれには笑ってしまった。


というのも政策を背景にした反対なら
わざわざこんなことを言わなくても
いいはずだからだ。


反対のための反対ではないことを
理解してもらうために副総裁だけにはマルをする、

という形式的な決定が成り立ってしまうということで、
実は、総裁案反対には別に政策的な理由はない
ってことを明らかにしちゃってる。


本人たちがそれに気づかないのみならず、
それが指摘されているのを寡聞にして聞かないので、
そのへんは面白いねぇ。


それはたぶん、二大政党制が、反対のことを
言い合う2つのパーティがぎったんばっこん
シーソーゲームを繰り返すことなんだ
というふうに理解されてるからだろう。

だけどその一般的見解に僕は違和感がある。

政権変わるたびに、
ぎったんばっこんされたら
たまらない。


実際は、
政策の一貫性は官僚が担っていて
とりあえず反対を唱えていた野党も
与党になれば、そちらに与していく
ということになるんだろうけど、

だとすればなおさらバカバカしい。


「比較」は同じ土俵にないと無理なんで、
だからどうも、違う土俵にひっぱりこむことが
異なる政策を提出することであるかのような
「政策論議」には、ついていく気がなくなっちゃうんだけど、

なんで比較不能なものが「政策論議」として
世間でまかり通っちゃってるのか、
その辺は少し考えてみる価値がありそうだ。


もしかしたら、我々は普段から、実は、
「比較」というロジックを、
正当には行使していないのかもしれない。

研究者である僕自身、
対照群あるいは対照実験、という考え方が
ピンと来るまでちょっと時間がかかったし、

公になっている研究の中にさえ、対照群が不備だったり、
対照実験がなされていないものが実は散見される。
(それだけ対照群というのは設定が難しいもので、
対照群をいかに設定するかが実は
研究のポイントだったりする)


比較というロジックがなじんだりなじまなかったりする
思考の風土性については一度考えてみる必要があるな。


と、さして本気でもなく思ったりする昼下がり。


春だなァ

2008年3月10日月曜日

金子信雄に会いたい

なんか無性に金子信雄に会いたい。

四六時中あんなふうに顔をアシンメトリカルにするのは大変だろうな、
(もちろん実時間通りに演じてるわけじゃないのだけどついそう思ってしまう)
というあの憎々しげな顔で、とことん保身のことしか考えてない
セコイ「悪」を鑑賞して、「うぬー、どこまで姑息なんだ!!」と怒りたい。

仁義なきシリーズの時も顔をゆがめてたっけ?

覚えてない。

とにかく僕にとって金子信雄と言えば
日活アクションなんだっ!
(なんなんだ?)

2008年3月4日火曜日

言い過ぎはよくない

今回の大根はうまく炊けた。


下ゆでした後、
動物性のものと一緒に
表面をテリテリにするのも
もちろんいいのだけど、

大根の素性が良さげなときは、
鶏肉やアブラゲなどやや淡泊な
ダシっけ・アブラっけと一緒に
塩と、あと香りつけにちょっと醤油で
仕上げるのが好き。

(ふろふきのように、アブラっけ抜き、
というのはまだまだ寂しいお年頃)


大根というのは、周囲の味を取り込みつつ、
自身のうまみも周囲にしっかり返す、

派手さはないけど、飲み込みがよくて
しっかり働く頼もしい若者みたいなものなので、


あんまり言い過ぎてしまうのは
良くないと思うのですね。

ステレオの夜明け

貸したのかあげちゃったのか、
どっかにいっちゃってた
(ということをレコ屋でジャケ見て思い出し)
Nina SimoneのJazz As Played In An〜
を買ってきて聞いてる。


改めて、ひでぇ録音。
Ninaの声とピアノがほぼ左から、
バックがほぼ右から。

モノラルの方がまし。

このころはアンビエンスのために
一本たてるってことしなかったんだろうな。
まあステレオ初期のはこういうのが多い。


それはさておき、いいなぁ・・

楽器でいうと、チェロって感じの
音域とテクスチャを持つ声
シューマンの子供の情景を思い出す
コロコロとかわいらしいピアノ


これ聴きながらじゃないと眠れないの、
といって、Ninaを教えてくれた
クリちゃんは元気かな。
オガサワラさんも元気かな。

2008年2月25日月曜日

水曜深夜の聖地



ここで、ああ、まさにこの場所で
あの前枠や、この後枠がっ

おおおおおおおおおう

おうおう


と喘いでいると、
公園隣りの家からおじさんが出てきて、

「かまくら作ったからはいってけ」

と言う。

「通路もあるし、小部屋もつくってるからはいってけ」

と言う。



じゃまあ、ということではいってみる。





すげっ!こん中で酒飲んだら楽しそうっすね!

どのくらいかかったんすか?
「2週間くらいかな」

毎年作ってるんすか?
「去年からね」

「おーい、はいってみろー(と孫に声をかける)」
 --- 孫、嫌がって逃げる。

来年も作ってくださいね。
ほんとに俺来るんで。
「生きてたらね」


特に聞かれもしなかったけど、
ここが「水曜どうでしょう」という番組の
聖地なのだということを説明する。


「あー、あの深夜の?
面白いの、あれ?」


いえ、面白いっていうか、


人生なんで

2008年2月21日木曜日

「大」の大人たち



北大構内にて。
しあわせだなァ、ボカァ



キタザキ先生も負けじと飛び込む!



雪のない香川出身の若い衆は
さらにコワイもの知らずだ!

2008年2月14日木曜日

俺なら一人でいくね

「誰かを連れて行く」という気持ちには
やっぱりどうしても、なってみることが出来ない

残されたものたちは
・・・たぶんうまくやっていくことだろう
としか思えない。

むろんそれはそれで一つのファンタジーではあるし、
さらにその前提条件であるところの
死にたい状況にも幸いなっていないので、
まあ自分についてはなんとも言えないのではある。
(でもやっぱりつれてはいかないとおもうけど)


だけど一方、オッサンの「連れて行かなきゃ」も、
やっぱり、より明らかにファンタジーなのであって

その起源と機能を考察しなければ
一人で逝け!と罵ったところで、
彼らは必ずやまた誰かを連れていくだろう。


むろんその起源と機能に興味なんかないのだけど、
ある文学作品を読み解くことでそれが
理解できるのではないか、という着想を得たのでメモ。

でも別にやりたくもねぇなぁ。

辛気くせぇ

2008年2月4日月曜日

鬼はそと!

昨晩はロクスケがやや風邪気味だったので、
堤神社(地域の神様)の豆まきには参加せずに、
家で豆まき。

各部屋の窓を大きく開けはなって
「おにはーそと!ふくはーうち!」
町中に声を響かせる。

きりりとしまった闇にむかって
豆を投げつけ、デカイ声を響かせる。

とても清々しい。


お正月は
早池峰山でお神楽見物。
ドシンドシンと床を踏みならし
剣で四方を切る。

サバサバッと清められた気がする。


初詣も神社にお参りするときは
おもいきし大きな柏手を2つ。

スカッと気持ちがいい。


四十路が近くなるとやはり
それなりに倦んでくる面もあるのであろうか、
年中の行事がもたらす清々しさというのが、
つまりそういうものが現在もあり続けることの意味が
なんだか分かる気がするのである。


なるほどなぁ、よく理解できないものも
存在するからにはこの世に誰か必要とする
人がいるからなのだなぁ。


そして、それはずっと同じではなくて、
いろんな条件で必要な人になったりならなかったり
ある年齢になって必要になったりいらなくなったりする。


書いてみれば当たり前だが
これまでこんな風には思えなかったな。



合間にポリポリ。

炒り豆、うめぇ。

炒り豆がおいしく感じられるようになったのも最近のこと。


ロクスケはそこら辺のを拾って食べてる。

こらこら、君は3つまでだよ。

2008年2月1日金曜日

今日も京都て

ほんとうは、今日は
京都にいるはずだったんだけど

これからシンゴくんの発表を聴きます。

今日行くはずだった京都との、
出来るはずだった思い出との、
ハカリにかける姿勢で
それは聴かれることになるでしょう。

それは相当キビシイものになるはずだっ


いや、すみません、うっかり
昼休みにバッキー井上さんを
読んじまったものだから


行きたいな京都


空気の密度が「みしっ」と高い8月か
鴨川の漆黒の鏡面に鋭角の街灯が映り込む2月に。



ああ、今日はもう2月なのだね


今日の私を納得させるのは


大変だと思う。

2008年1月23日水曜日

東京は雪だった

行きの新幹線で、
いつまでたっても雪景色で
集中して本読んでたせいか
時間の進みが遅いなぁ
なんて思ってたら

東京も雪だった

渋谷ですごいひさしぶりに吉牛かっこんで会場へ向かうと、
すでに実験の準備はできていてものものしい雰囲気

あとから来たもとえさんが
そろ~りとはいってきて笑った

実験はなかなか面白かった
やっぱり実際やってみるといろんなことがわかる

分科会メンバーとはまだ飲んだことがなくて
今日こそは飲みたかったけど
体調がすぐれないし明朝ことがあるので
今日は失礼した


今回の”都会のかほりを仙台へお届け”は
ねんりん家のバームクーヘン


自分には、まい泉のカツサンドとビール


八重洲大丸ってステキ
リニューアルしてますますステキ

八重洲地下街も好き

2008年1月18日金曜日

物質と精神

風邪をひいて、
というよりここのところの休みなし状態がややたたって、
一昨日で授業がおわったのを幸い、
昨日は朝からふせっていた。
卒研のみんな、ごめん。

こういうときって、心のタガか、身体のタガか、
どっちかがはずれて、思念がフワフワとあちこちに飛ぶ。

洗濯ばさみってよく出来てるなー
丸めた針金一本をバネにする構造って
誰が考えたんだろうー

ほわー

病床というのは人生レベルの啓示を受ける場所として有名だが。

洗濯ばさみかよ!

あーあ

病床の啓示としては、我々の業界では、
グスタフ・フェヒナーが精神物理学の着想を得たことが名高いし、
まさに物質と精神の関係に関するものであっただけに興味深い。

心か身体かどっちかのたががはずれる「逢魔が時」だけに。

精神物理学は「行動主義」の基礎をなす考え方であり、
その点で、フェヒナーは現実主義的、合理的思想の
持ち主のような印象を持たれることが多いのだが、
植物の意識の存在を主張したり、
むしろ神秘主義的なところがあって、
「精神物理学」という考え方がどうしてでてきたのか、
実はずっと興味があったのである。
(ドイツ語できないので全然調べようともしてないけど・・・)

彼の独自の植物観も、国立の古本屋の地下で、
植物に関する彼の著作をたまたま見かけたから知ったので、
翌日意を決して買いに行ったら忽然と消えていたし、
その後、一度もお目にかからないので、
確かな情報ではなく、やっぱり夢うつつだったのかもしれない。

2008年1月15日火曜日

ライフ

死はよくわからない

ロベさんと共同担当していたものが多いので
「あ、あれロベさんに確認しとかなきゃ」
などというように、ふと彼のことが頭に浮かんでしまうとき
そのことによって彼がもういないということだけがわかる


だけどこんなときでも、
受賞を喜びあわなければならないし、
土地の契約という重大事に臨まなければならないし、
いいこともわるいこともいっぺんにおきて
要するに時間は容赦なく流れていく。

もう行かなくちゃ。

あなたのことは忘れません。


後のことしっかりやります。

どうか、天国でゆっくりお酒のんでてください。

2008年1月14日月曜日

ロべさん

ロベさんが亡くなった


残念でならない。

こればかりは、もうどうにもならない。

これ以外のことなんて、大したことない。


会議中なんだけど、胸がいっぱいで全然手に付かない。

こういうとこ、だめだな。

2008年1月12日土曜日

おとめごころ

親元に帰りついたらBUMP OF CHICKEN。

なんだなんだ?FMか?

と思ったらオカンのCD


「いいでしょこれ。ちょっとオトメチックだけどね」


って。


オトメチック、


って。

2008年1月11日金曜日

セリーヌとジュリーは

昼飯はフジセさんに
IT産業の現状について
即席レクチャーをうけながら。

世の中は人が動かしており
その「人」とはやはり現実にいる
人間なのだなぁ

ここにいたのか


実験、現場で思いついたアイデアに
ハヤシくん、フジノさんが素早く対応してくれた
長時間にわたりありがとうございました

あとはいい結果が出てるといいな


浜松町でショーロンポー
すごい久しぶり
相変わらずおいしい

変わったのはこっち
食えなくなった…


おなかもココロもみたされて

竹芝桟橋まで散歩


三宅島行きの船が出てゆく

船は動くところが見えない
静かにすーっと水面を滑ってゆく

アタラント号

なんて言葉も思い出しつつ
レインボーブリッジをくぐって
見えなくなるまで見入ってしまう


ああ、無理やりにでも
連れてくりゃよかったな

と思ったら中にいた

びゅわーん

なんだよー

だれもきてねー

北とぴあは、TEMPS NOVUMという作曲家集団の
ホームグラウンドとしての記憶がある

ときどきコンサートに来てたころは
まだぴかぴかでした

人間なんてラララ

ああそうか、移動のときとか
合間に書けばいいのか、
ということにようやく気づき、
やや更新頻度が上がっておりますw

とくにメール投稿を使うと
投げっぱなしでいいのでよい
(オンラインで書くと推敲しちゃうので…)

いまは「MAXやまびこ」のなかです。

特に、9:44東京着のこの便は
便利なのでよく使う

仙台を出るころは、ちょうど沿線の現場の
おじさんたちがラジオ体操してる
遠目に見る集合的なラジオ体操の様子は

人間なんてかわいいもんだ

そんなふうに思える景色


今日は実験
明日も実験
明後日はコンペ
(今回はぜったい取れます。もとえさんの話も楽しみ)

ロクとみぃこのために
とっておいた月曜日も
学長からの会議召集で
あえなくお召し上げになってしまった


日程:14日

まず日付が間違いだと思った

確認した

でもまちがいではなかった


時間:9:00〜16:00

ぜったい打ち間違いだと思った

これも確認した

でもまちがいではなかった
(「合宿」なのだそうだ)


場所:4F会議室

合宿なら温泉とかなのでわ?

これも間違いではなかった


そこへ、追伸が来た

「なお、振り休は申請できません」

おrz


こうやってネタにするよりないじゃあないか

まあ一度まとめて時間とらなきゃ
間に合わないのは誰もが感じてた


法人化ってたいへん…


別に大学の仕組みなんて知りたくもなかったけど
タダでは転ばん、というきもちになる

法人化チームに入れられちゃった、
と言ったとたん、伝え聞いた評価機構の友人が
「論文書きましょうよ」って言ってきたのもわかるよ

2008年1月8日火曜日

ガード下のともだち

あれこれ話したいこともあったのに
夕飯をフラれてしまい

まあ明日は8時半から会議だし
今日のところは帰りますか

ということで

仙台に都会の今wを届けるべく
クリスピードーナツを買い求め

ガード下をとおって東京駅へ向かう。

「はやて」の時間まで少し間があったので
じゃあ餃子にビールでもと思って
ガード下のラーメン屋にふいっとはいりこむ。


オヤジはいったい何をカギつけたのか
濃いい映画の話になり
(といっても並木座がどうした、とか
イイノホールがどうしたとか、そっちの方の)


そして、天賞堂がどーしたという話から
乗り鉄ばなしwに発展し。


「いや、でも乗るのが好きなだけなんすけど」

「あはっ、乗り鉄、あたしとおんなじだ」


で、乗り鉄ならではの馬鹿なコース取りの話になり


「あはは、ばかだねー、でもわかります」

「チャハッ、そうなン。
いやぁしかしうれしいねぇ、
また寄っつください」

「いやぁなごりはつきませんが
新幹線の時間があるんで。
ほんとは「あけぼの」乗っちゃいたいんすけどね」

「あはは、いくらなんでもそりゃむちゃだ」


じゃあまた、てんで
ガード下に友達ができちゃった


なんなんだ

台場に夕日が沈むのを見ながら

ノムラのウメダさんから
科博の鈴木先生の話をきいた

面白い人がいるんだなぁ

老いも若きもみんながなぜか寄ってくるような
そういう人がいるってことはそれだけで
なんかうれしい

同時に、おれはどうすっかなぁ、と
駆け出しとしては身の振り方を
そこはかとなく考えたりするのだった

まあ今はそういうフェイズで、
ここ数年来、どうすっかなぁ、って
いつも思ってるわけですが

もしかしたらずっとそうなのかもしれませんが


航空協会がYS-11の保存場所の提供を
ANAにかけあうのの応援を
鈴木さんに頼んだとき

「場所があるから保存するんじゃないんです
保存しなきゃいけないから保存するんです」

といって、それで事は成ったそうだ

いかんいかん、場所があるから、
になってないか?おれ


ウメダさんは、ある産業技術系の展示の
裏に鈴木さんの存在をかぎつけ、
(その嗅覚はほんとにすごいと思う)
以来、鈴木さんと一緒に、プランニングから
コーディネーションから、みずから手を動かす
ことまでいろんなことをやってる。

「あたしってなんなのかしらねw」

ほんとですね

会社のフトコロも相当深いけどw

でもおれもおんなじだなぁ


そんなふうに台場の新社屋の階段で
おれらってなんなんすかねぇ
といって首を傾げつつ
長話をしている間を割って
ICCの目カメラプロジェクトで
一緒に遊んでくれたタカハシさんが
階段を息を切らせて上ってきた。

おお〜っ

プロジェクトのとき以来の再会

「おっ、ウメダおまえどこにいんの?」

昨日から使い始めた新社屋なので
まだお互いの位置がわかんないのである

あそこにあれがあった、これがあった、って
「たんけん」したりしてるらしい。
なんとなく新学期を思い起こさせる
不安とわくわくのない混ぜ感がかわいい

そしてタカハシさんも交えて
また長話してるうち、

タカハシさんは、Twitterつながりの
(って向うは全然こっちのことしらないけど)
エトさんの先輩で、あのへんのSFC初期の
面白い人たちの元締めみたいな人であることが判明。

へんなの

要求がちがう

未来館に向かう途中の新橋で
久しぶりに、たち食いそばをかっこむ

食券を置いてから
カキアゲそば(店で揚げてるからおいしかった)
が出てくるまで3秒。いや大げさでなく。

そば投入と同時にひきあげ返す刀でどんぶりIN、
アゲ乗せ、
汁いれ、
ネギ乗せ、
へいおまち、

の、計5ストローク。

気持ちがいい。

要求に答えている感、

がある。


仙台駅構内だとへたすると
5分くらい放置されるので
(これもほんとに)
この速さには、
あ、ああ、どうも、
と、面食らってしまう。


仙台のおばちゃんたちは
単に動作がのろいというより
マルチタスクに全然なれてなくて
昼時などはすぐテンパってしまって
システムダウンしてしまう

それでもおじさんたちは平気だ
だいたいおばちゃんとは顔見知りで
のーんびり近況などを報告しあっている
(たぶん前の日と内容変わらないはず)

僕は新幹線までギリギリのときじゃないと使わないので
(っていうかそういう食べ物やさんだと思ってるので)
一人で「かきあげそばまだすか?」とカリカリしてる


要求が違うんだねぇ

郷にいれば、ってことだね

どっちもわかる、うん




東京港がかすんできれいだ

今年もよろしくお願いいたします