2007年11月21日水曜日

へうげものに業を教わる

へうげもの

武功か数寄か・・

身につまされるなぁ

俺の中のああいう部分やこういう部分は、ああそうか、
「業(ごう)」とらえるべきなのだな、と腑に落ちて、
安心した(安心すんなって)

業という言葉の中身が自分に引き寄せて
ストっとはいったかんじ


ある種の業深い者たちがみんな罹る病気、
「世界の書物が全部読めなくてアセる病」
に罹患した瞬間のことははっきり覚えてる。

大学3年のぽかぽかした昼下がり
赤瀬川源平の『芸術原論』を読みながら、
ふと顔を上げた瞬間、いてもたってもいられない
アセリがこころにすっと忍び込んだのだ。

いやー、あれはつらかった。
字義通り心の病気だった。


まあ、予兆はたっぷりあった。
病前性格を完全に備えてはいた。

中学生とか高校生になって、
「これすげーぜ、読んでみ」的な
コミュニケーションが始まるころから
結構アセアセ読みも始まっていたのである。

それが大学3年で症状となって
現れただけの話だ。

アセアセせずに読めてる本だってあることに
気づいてそれを大切にすることが出来なかった、
要するに馬鹿だったのだ。

(必要ないもの、身にしみないものを
読まなきゃとおもうからアセるんだよね)


現在その病の特効薬として折に触れ
投与されるのがセレンディピティ

やっぱ読書は、っていうか人生は、恋愛力♡

(こんなこと言ってるから
武功と数寄に引きされてしまうw)


世界の書物を読み尽くす妄執もまあ面白いけど、
ラブ・イズ・ザ・ベスト』な出会いを
組織する業(わざ)と記述力の方が僕にとっては貴重だ。

心の安寧を遠ざけ、
人を地獄におとすとしても
業の深さが人のおもしろさであることは
まったくもって否めない。

2007年11月19日月曜日

黒びかり

忙しい上に、睡眠不足→パフォーマンス低下→さらに寝れない、
というスパイラルに陥って、ガサガサした生活だったのが
ようやく人心地をとりもどしつつある。

仙台は昨晩初雪だったのだけど、雪の降る前の
夜のシンとした空気に月が冴えてたりするのはいいもんだねぇ。
あったかいかっこして、顔だけキリッと冷たくてね。

自分が書くのももちろんだけど、人のも全然よめて無くて、
みんな(って面識ない人も含めリーダーに登録しているブロガーたちは)
何してるのかなぁ最近。


ということでパフォーマンス低下スパイラルの終盤でさらに
それに拍車をかけたのがヤモメ暮らしなのであった。

商売柄、出張は多いのでことさら一人でいたいとは思わないものの、
家で一人なことはなかなかないので、なんだかうれしくなって
夜中帰ってきてもそこから遊んじゃう(笑)。

といっても、イソイソと悪所にでかけるという
甲斐性があるわけもなく(笑)、家で一人でいるときの遊びの
一つはハウスキーピングだったりするのである。

今回は、親元を離れるときに家からガメてきた鉄製の
ジンギスカン鍋とすき焼き鍋の整備と活用を敢行した。

こっち来てから一度もつかってない両者のうち
すき焼き鍋は案の定、さびが浮いてる。

これは経験的なものなので、正しい鉄鍋の扱い方かどうかは
わからないのだが、サビのういた鉄鍋は、
水を入れてぐらぐら煮立たせつつ、かるくこするということを
何回か繰り返し、さいごに空だきして水分を飛ばした後
油を薄く引いておく、というようにすると良いようである。

洗剤をつかってガシガシこすると、もちろんサビはおちるものの、
どいういうわけか特にすき焼きでつかったとき煮汁が黒く濁ってしまって
よくない。

そんなようにして、深夜に帰宅後、ごそごそやって
黒光りした鉄のかたまりを眺めてはしばらくニマニマし、
充実しておもむろにすき焼きだのジンギスカンだので
一人深夜の酒盛りに昂じるなんてことをしてたら
そらまあ昼間のパフォーマンスもさがるわな。
(ある晩などは十何年ぶりかという長電話のあと
3時頃からジンギスカンを始めた(笑))

また楽しからずや。


しかし、油がしみて黒光りする鉄のかたまりを眺めて
ほっとする感じは、先日の澁澤龍彦展の感触に通ずるものがある。


手前、やっぱり昭和の生まれでございます。

2007年11月7日水曜日

鴨川=平安ハイウェイ説(笑)

先週のアタマは仕事で京都。

今回の「かこつけ」眼目の一つが
ここでチャリをかりること。

平地だし碁盤の目だし、
なんというか細部への宿り具合が
チャリスピードにぴったりの街だし、
きんもくせいは香るし、

も、

サイコーッ

アサーッ
(C谷岡ヤスジ)

だが、いかんせん、
信号がうざい。

飛行機までの貴重な時間、

いいちょでラーメンをすすり、
ボンボランテでパンを買った後は
きっと並ぶだろうし、国立博のある
七条まで大急ぎで飛ばさなきゃだってのに!

ふと思いついたのが
鴨川左岸。どこまで下れるか
わかんないけど、覚えてる限り
下の方まで自転車道っぽいものがついてたはず。

うひょーっ

待ってろ狩野永徳ーっ


ってんでぶっ飛ばしながら

鴨川=平安ハイウェイ説を思いつく

ETCを搭載した牛車なども幻視される



河原乞食ってくらいだから、

鴨川縁がそんなスカッとした空間だったわけはないんだけどね(笑)


しかし今出川あたりから七条まで

ほんとにノンストップでした。

2007年11月4日日曜日

澁澤龍彦:幻想文学館

近所の仙台市文学館に澁澤龍彦展を見に行った。

と、言っても、最初は見に行くつもりもなかったのである。

文学館にある、外観はなんてこたないカジュアルなレストランは、
その時々の展示にあわせて作家にちなんだ特別メニューを
出すようなちょっと粋なところがあるので、
そんなものを食べたり、
絵本スペースにねっころがってロクスケと絵本をよんだり、
裏の台原森林公園に分け入ったり、と、

文学館は何かと我が家の遊び場になっていて、

だから、今回もほんのついでで何の気になしに入ったのである。


それに、僕が学部学生の頃は澁澤龍彦が死んだ直後で
なにかと目に触れる機会が設けられていたし、
また、学生にとって直接的には、河出書房から
著作が続々文庫化されたことが契機になって
(それにもちろんすごく面白かったので)
僕だけじゃなく、ほとんど教養になってるといってよいほど、
周囲でよく読まれていたし、
(なんてったって、今はなくなってしまった母校には
高山宏先生がいらしたのでね!!)

80年代的シンプルライフのゆりもどしとしての
バロック、マニエリスム、博物学的なものの復権が
なんとなく世の中の空気の中にあったし、

そんな風に、個人史の中である時代を
鮮やかに彩る人物であった分、
それらが僕の中で相対化されていくにつれて、
澁澤龍彦は僕の中で過去のものになっていたのである。


トコロガコレガオモシロカッタ
(C東海林さだお)


写真や原稿はもちろん、鎌倉の澁澤邸に飾ってあった件のオウムガイや、
トレードマークのセルフレーム、銀座で仕立てたスーツ(小柄!)などの数々の遺品、
そして何といっても堀内誠一、三島由紀夫、稲垣足穂らと交わしたたくさんの書簡!

すげぇレベル高ぇと思ったら、監修は巖谷國士だった。

濃厚な空間、ほとんど人がいない贅沢。
最初は、みぃこが見とこうかと言い出したのに、
ぐずるロクスケをみぃこにまかせ、
言葉通り妻子そっちのけで堪能してしまった。


人生に対するありきたりな見解ではあるけれど、
歳を経ると、若い頃に訳もわからず
とにかくなにかに惹かれて近づいた事物の
意味や理由が見えてくることがある。


怪異だ、耽美だ、バロックだなんてこたぁどうでもよくて、
特に遺作になった「高岡親王航海記」に見られる澁澤龍彦は
僕からいわせれば吉田健一と同じ系譜につらなる、
僕にとっての最重要人物の一人であることを、
「あのころ」から20年たって再発見してしまったのである。

2007年9月28日金曜日

今今と

今今と 今という間に 今ぞ無く
今という間に 今ぞ過ぎ行く


NHK教育「にほんごであそぼ」という番組の中に、
浄瑠璃風にいろいろな小説や詩の一説を「謡う」
コーナーがあるのだが、
(くるっと回る「床」(ゆか:太夫が浄瑠璃を歌う場所)を設けて、
太棹の伴奏を従えて、裃を着け、浄瑠璃の詞章風の抑揚で謡う)

今朝そのコーナーで謡われたのが上記の短歌。
教訓的なメッセージを含む「道歌」というジャンルの
一首であるらしい。


有名なものとしては

なせばなる なさねばならぬ なにごとも
ならぬはひとの なさぬなりけり

ってのが道歌だ。

(いろんな人がいるもので、
好きなひとが道歌を集めてた)


それにしても「今今と」の道歌、

今やります今やりますと言っているうちに
時は過ぎてしまうよ、と解釈すれば確かに
教訓的な歌だが、

むしろ、とらえようとした瞬間に
するするとどこまでも逃れていく
「現在」の目眩のするような
ありようを詠じたもの、と感じられて
朝っぱらから、ぞお〜っとした。


時間って「持続(ベルグソン)」ってより、瞬間だよね
って『瞬間の直感』で言った
バシュラールに聴かせてやりたいと思ったほどだ。


実際、過去も未来も仮構であって、
我々にとって「存在するもの」は
「今という間に」移ろいゆく
「今」しかないのである。

だからこそ、その仮構がふとはずれるとき
私たちは永遠に接続してしまう。

2007年9月19日水曜日

御礼:半年たちました

「うなぎねこ」改め「アサッテ日記」をはじめて、
ほぼ半年がたちました。7月末から統計をとりはじめて、
そこから約1400のページビューと、約850のご来訪をいただきました。
並み居る有名ブログからすれば、ほんとに微々たる数字ですが、
統計を取る前はほとんど独り言で書いている感覚だったので、
統計をとりはじめたときには
「こ、こんなに読んでくださってるのか」と、
ホントにビビりました。

我ながら恥ずかしくなるほどの
ever changing moodsな雑文でありながら、
お読みいただきまして誠にありがとうございます。
心から感謝申し上げます。


半年経過を記念いたしまして、

と申しますか、

この半年の経験が私に
いくつかの確信をもたらした結果、
「アサッテ日記」を名実ともにバックヤードにすべく、
満を持してっ(笑)、

カヤケンブログ

を開設いたしました。


あわせてご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

2007年9月15日土曜日

御礼:ジャズフェス終了

ちょっと時間がたってしまいましたが、
ジャズフェスにお越し頂いた皆様、
ありがとうございました。

炎天下の演奏で、
マジで熱中症ぎりぎりで気持ち悪くなったりしてたんで
演奏を楽しむなんて余裕はなかったんですが
(そう言う意味で、差し入れ、ほんとにありがとうね。
おれが飲むのコカコーラゼロ指定ってのはイジメだったけどねw)
お褒めの言葉もいただき、音楽する喜びを改めて感じています。

拙い演奏、と言えばもう絶対拙くて、
確かな演奏にしか支えられない音楽的感動が
あるのはもう絶対そうだと認めつつ、
でも、音楽の価値は存在感にあると確信しているので
今後もああ確かに鳴っていたなという音を目指して参ります。

個人的なことですが、今回は、小学校3年生のとき
5軒隣のミヤジマ君に出会って以来、
僕の視界につねにありながらちゃんと付き合って
こなかった音楽にちゃんと向き合ってみよう
ということで2曲ばかり曲も作りました。
「作った」というほど制御がいきとどいたわけではなく、
コード進行といくつかのパートのモチーフを決めただけで
あっぷあっぷだったのですが、

でも、すごいラフなものでも投げれば返してくれる
仲間がいて、やりとりしながらイメージに近づける、という、
バンドでの音楽の作り方ってなるほどこういうことかー
ということも体感し、

すごい大げさだけど、奥田民生がパフィーを
立ち上げるときにアミユミに言ったという
「おれはおまえらに音楽の生活の楽しさを教えてやる」
という言葉を思い出したりもして、

音楽については、現状を嘆かれる方もたくさんいらっしゃるのは
存じ上げておりますけれども、こうして、作って鳴らして
そのことによって聞いていただいた方々と現実の境遇とは
関係ないチャンネルが開かれていくということだけで、
ナイーブな言い方だけど「音楽ってほんとにいいもんだな」
って思えるのでございます。


その後、エコキャンプみちのくのコテージに移動しまして、
飲む食う演奏する打つ語るの打ち上げ兼合宿を経て
ふらふらになって帰宅した不良父ちゃんに、


「シンゴがギターをバイオリンにしてたね!」
「おとーさんはイスをタイコにしてた!」


とロクスケ。しゃべりたくてしょうがなかった!というふうに。

そうそうそう、弦を弓でこすってバイオリンにしてたね!
あっはっは、イスをたたいてたね!あれはカホンってゆうんだよ

おもしろいだろう?

歌って踊って暮らそうね。

2007年9月14日金曜日

天からコロコロ

モツァルトほどBGMにしづらい音楽はない。
BGMとして流すと、たちまち「結婚式場」やら
「ホテルのロビー」やら、要するにモツァルトについた
手垢の方が押し寄せてきてじゃまくさいのだ。

もちろん曲や演奏の問題でもあって、
例えば、



"コンセルトヘボウ・ライヴ1978&1992" (アルゲリッチ(マルタ))

はBGMにしようがなんだろうが
手垢とは無縁だ。
(別の意味でBGMにしておけないけど)


オーケストラの「露払い」のあと、
気高い確かな足取りで、
裸足でスカートのすそをちょっとあげて、
天上から階段をコロコロと降りてくるピアノ

ああモツァルトだなぁ



生命の本質は「ある」ということだなぁ

否定はできないよ

閉じることもできない

2007年9月13日木曜日

魂(こん)は

魂は

昼は眼に寓り
夜は肝に舎む

眼に寓れば視
肝に舎めば夢みる

夢とは
神遊ぶなり

九天九地も
刹那に歴遍す

2007年9月7日金曜日

告知:9月8日11時、定禅寺ジャズフェス出場

直前ですが、下記日程で我がPioneersが
ジャズフェスに出場します。

まだ一度もメンバー全員が集まっていません。
っていうかスタジオはいったのまだ2回だけです。
いえ、いいんです、ジャズですからw

でも、昨晩のスタジオ(2回目)で
かなりいい感じで見えてきました。
全曲オリジナルです。

今晩初めて全員集まるので仕上げます。

お楽しみに。

ねむ・・

Thee Pioneers
日時:9月8日(土)11時から
場所:NTT青葉通りビル中庭駐車場(エリアG)

ジャズフェスサイト
http://www.j-streetjazz.com/

プログラムとエリアマップ

http://www.j-streetjazz.com/17th/band/index.html

2007年9月6日木曜日

しかるより前に

しかし我が子ながらロクスケは
イタリアでむちゃくちゃかわいがられた

とにかく、どこかにいくと必ず(必ずです)
「チャーオ、ベッラー!!」
と言ってあたまをごしごしされたり
だっこされたり、「んーあっっ」とチューされたり

洋ナシからおもちゃまで、いろんなものをもらったり。


我々なりに考えたその理由は

1.2歳のアジア人が珍しい
2.みぃこの作った手ぬぐいまえかけや、
  みぃことのペアルックが目をひいた
3.世界レベルでかわいい

(3はたくろうが主張、みぃこは失笑)


だけど、一つの事実として、
相手がアジア人だろうがなんだろうが
みんな子供をかわいがる、ということはある。

これはイタリア人だけじゃなくて、事実、
空港でもいろんな人からかわいがられた。


それで思ったんだけど、
「他人の子供を叱らなくなった」議論って
あるけど、あれやっぱおかしい。

あれって、暗に「他人の子供も叱れるようになろう!」って
言ってるわけだけど、なぜ叱ることが先立つのだ?

「みんなで子供をかわいがろう!」ってのが
まずあるべきだよね。

それともう一つ、叱るのがなぜ大人から子供へ、
だけなのだ?他の子供も叱ろうと主張するなら、
それが相手が誰であろうとしかるという風土の
サブセットになってないとおかしいよ。

phone抜きでっ

iPod touch
http://www.apple.com/jp/ipodtouch/

こうきますかー!
これはちょっとビックリしたな

iPodというブランドとマーケットをまとったPDA
PalmとWinMobileは悪夢を見てるでしょうね。

Newtonの背後霊が見えます。
NC(network computer)の背後霊も。

今後、コンピュータリソースのほとんどは
ネットの「あちら側」におかれるようになるでしょう
それに、単位はアプリケーションではなく
機能に(widget的な)なっていくでしょう
iPhone、iPod touchはまさにそのような
コンピュテーションのあり方にフィットしてる

このようなコンピュテーションの流れを
google批判にくるんで皮相にしかとらえない
人たちもいる。けど、それは違うんじゃないかな

サーバクライアントの考え方をおしすすめれば
サーバに全部リソースをもたせて、
「こちら側」は純粋に入出力するだけの端末でいいじゃん、
って考え方はもともとあったのです。
(それをネットワークコンピュータという)
当時はサーバも非力でネットワークも細かったので
消えちゃったけど

だから、たぶんこの流れは本質的なものだし、
とまることもない。この本質にフィットしているのは
iPhoneだし、iPod touch。

NC引き合いにだせるあたり、
ちょっとは年の功もありますね

2007年9月5日水曜日

それで救われた気持ち

帰国して最初の出勤日、なにはともあれ
自室で同僚のトキさんとおしゃべり

群馬の山荘での日本画ワークショップの
それはもう聞いていてうっとりするような、
「桃源郷のような」とトキさんいうところの体験。

人と居て心底楽しいと思った、と。

わかるなぁ、足し算じゃなくて
かけ算感じちゃうときがあるよね。
それがあれば人と居れる。

その山荘はいわゆる自然志向なんだけど
少しも肩肘はったところがない。
建物もツギハギ。だけどすばらしく
かわいらく、アトリエなどはほんとうにもう、
ここでニカワに岩絵の具ねりねりしたら
感覚はもう全開に開いちゃうだろうな、というような。

あーそれだそれだ、自意識からさらに一巡りして、
「自然体」を獲得できればそこに成熟は成される。

ロラン・バルトは、そんなヨーロピアンな自意識はクソだ、
『表徴の帝国』の動物のような自意識レスこそ
すばらしい、と言ったけど、ごめんねー、やっぱ
動物じゃいられないんだよ。もはや

出がけに我がムルを見て、
「こんなのムルじゃない、本国のムルみたいに全然生き生きしてない!」
とクサクサし、車を走らせていても
「イタリアみたいに車が全然はねてない!生き物じゃない!」
とクサクサしたのが、こんな僥倖のようなシンクロニシティーで
あっさり、日本だって捨てたもんじゃないよね、に
転んでしまうこのいい加減さはどうにかしたほうがいいのかもしれないけど、
まあこんなふうにアップンダウンで生きていくのでしょう。

でもね、イタリアにやられちまったのはほんと。
イタリアってのはあれだなー、ヴェネツィアを見た
三島由紀夫をして「ここに頽廃がある!」と興奮せしめたように
人をおっちょこちょいにしてしまうところがあるんじゃないか?
まあー、ぼくもブロツキーのように静かに向かい合いたかったですけどねw

やられたというのはどういう気持ちかというと、
僕はこの風土で本当に豊かにエロスを体感してきた
大切な経験があるから、そこが捨てきれなかったんだけど、
それが彼の地イタリアにあるならもういいじゃない、
このズタズタで、べったり重たくて、
でも世界の他のどこにもないような
どこでも起こってないことが起こりつつある
この場所で、まあやるべきことをやろうじゃないの、
ヤケクソで。とまあそんな感じです。

いえ、楽観的なんですよ、基本的に

大局悲観、局所楽観、で(ダニエル・シュミット)

2007年9月2日日曜日

実質を思え

セントレア(って名前もよくわかんねーけど)の
デッキでロクを手すりのところに立たせて
一緒に飛行機を眺めていると、

「ワイヤーにだけは手をふれないでくださいね」

(RCの手すりの上にステンレスの支柱をたてて、
ワイヤーが何本も張り巡らしてあるのだが、
ロクがそれをギターよろしくベンベン弾いていたのである)

と警備員。「だけは」って表現に、
手すりに立たせるのは許してやるが、
ってニュアンスが込められているのにカチンとし、
また、なんかホントに危ない仕掛けでもしてあるのかな、
という単純な興味もあり、

「さわったらどうなっちゃうんですか?」

と聞いてみた。すると、驚愕の答えは、

「さわると(ワイヤーが)すぐ抜けちゃうんですよ!」

というものだった。本当ですか?ほんとなら
それが放置してある方が問題だよ。
あらゆる意味でバリアとして機能してないじゃん、それじゃ!
ったく言うに事欠いてってのはこのことだ。


ほんとうに、日本の合理性を欠く、
というのはつまり、「実質」を見極めない
過剰管理にはうんざりする。


先日も、勾当台公園のライブで、
うしろの方はガラガラでイベント屋が大好きな
「動線確保」は問題なくなされていたにもかかわらず、

「動線確保にご協力くださ〜い」

と警備員がガナリ声をライブ中ずっと上げていたので、
(っていうか、ここで「動線」って言葉を使っちゃう
言語感覚がたまんなくムカつくんだよね)

「うるせぇな、音楽聞けないよ。
動線は確保されてるじゃん!」

ってカミついたと言ったら僕の清純なイメージが
崩れてしまうのでそう思っただけということにしておくけど、
(理不尽なことにはちゃんと身体的に反応できるように
正しく育ってきたのです)

たぶん僕の言ってることはほとんど理解されない。
エキセントリックな人、で終わるだろう。
そしてそれこそがこの日本の窮屈さ、
なにも生まれることのないつまらなさの本体だ。

これが日本的なものだよ、と人は言うかもしれない。
だけどそれは違う。この閉塞感はおそらくたかだか数十年の
あいだに醸成されたものに過ぎない。

だって、僕の親や祖父母に聞けば、
ほんの数十年前まで日本はもっとオープンマインドで
実質的な社会だったことがわかるもの。

これが日本ってものだよ、それもまた
窮屈な日本を支える一つの思考停止の様式だ。


なんでこんな事を言い始めたかというと、
イタリア人が実質をきちんと押さえて生きていて、
それがどんなにか社会を風通しよくしているか
ということを体感してきたから。

たった一週間の仕事での旅だったけど、
イタリアにはこれまで何回かいっているけど、
今回ほどタイムリーにイタリア的なものを
体験したことはなかった。心の底から
イタリア的なものの体感を欲していたことを発見させる
旅だった。あんなものがこの世に存在するなら
日々感じさせられる閉塞感やつまらなさは
やはり間違ってはいなかったのだ。
ほとんど啓示のようなタイムリーさでそう感じる。


普段なら、それでも、やっぱ飯はうまいなーとか
それなりに日本の良さも発見する。


でも今回ばかりは、帰国してひたすらクサクサする。
とても寂しい。
(いっとくけど、さっきも言ったけど
くさくさする「日本」を本来の日本だとは思っていない)
この風土に日本語を話す人間として生まれたことを
後悔したことはこれまで無かったけど、
(日本語を話すことにもちろん今でも後悔はないけど)
なぜイタリア人に生まれなかったんだろう、と
無防備に心底思う。


イタリアに移住すればいい?
それは違う。僕はイタリア人にはなれません。
なぜイタリア人じゃなかったんだろう、と
思うことしかできない。


イギリス人よりイギリス的と言われた吉田健一が
でも「文学」を生きるために日本に帰ってきたように、
僕も日本に生きるしかない。

でも、もう未練はありません。
情状酌量はありません。
そして日本で生きるのだ。

そんな気持ちもまたいずれは曇るだろう。
だからここに書いておく。


その時のために、イタリア的な場所に定期的に行って
過ごし再び「日本」を相対化するための
旅人以上住人未満の関係を確保しなければ。

それが短期的な目標となった。
ここに記すものなり。

ただいま

というわけで、無事日本に帰りました。
現在、名古屋空港で乗り継ぎ5時間待ち。
新幹線ならもう仙台ついてるよ。
国内乗り継ぎも、3年前まで経験しなかったこと。

セントレア名物お風呂にはいって
ラウンジでビール。

ぷはー、落ち着くね

畳がほしい

たたみー

寝かせろー


ううー今日起きてられるかどうかが
時差ぼけ順応の成否を分ける
がんばろう

17時からはパイオニアーズの練習で
爆音にまみれる予定なので
起きてられると思います

来日した助っ人外人のようだな
まってろーパイオニアーズ

イタリアの車窓から

発表のあと、ホテルに預けていた荷物をひったくって
列車に飛び乗り、Firenzeへ
みぃことロクは先にFirenzeについて
すでにチェックインしてるはず

一人で列車に乗っていると
いろいろ考えたり思い出したりする

なかでも思わず吹き出してしまったのが、
前の職場で秘書だったヤマザキさんが
イタリヤ留学中に出かけたフェスで、
洪水に遭った話を思い出したとき。
ヤマザキさんとっておきのネタなのだが、
洪水という出来事そのものやイタリア人の
そのときの様子などもとても面白いのだが、
そもそも洪水に遭遇してしまうこと自体や
それを本当に生き生きと楽しそうに語るのが
とてもヤマザキさんらしくて僕は大好きな話だ。

そう言えば3G圏内なら普通にメールもだせんのかな
と思って携帯からメールを打ってみる
おおー、送られた。そしてすぐ返事がきた
子育てしながら、
(数日前にも頭突きされて口から血ぃだしたりしたらしい。
わかりますわかります)
オペラ歌手としてがんばってる。
おお、Arezzoは行ってみたかったところだったんだ?
今度写真お見せしますね。
来年また面白い舞台に出られそうって?
そいつはすげぇ。見に行きたいなぁ

こういう楽しみは昔の旅にはなかった。
面白いねぇ。

そんな感じでいくつか出したメールの返事には、
今ラブレター書いてたとこ、なんて書いてくるのもあった。
(日本時間だと深夜だからね、プッ)

おいおいー、気になるじゃねぇか、
帰ったら問い詰めてやるー

イタリアまであとちょっと

発表後、MaxPlanckのexecutiveディレクター、
ビュルトフがやってきて、しばらく話した後
お前の研究は面白いから連絡しろ
と名刺をおいていった

内容的に釣れるべきところが釣れたかんじ
まずまずだね

マックスプランク・・イイ響き

でも、チュービンゲンかー、
場所がいまいちそそらねぇなぁ

やっぱイタリヤがいいなぁ
今回再認識した

とくに中部イタリヤね

今回の内容はイタリヤの皆様にも
受けるかとおもったんだけど
っていうかイタリア的なものを
かなり狙っていったんだけど
オファーはなかったなぁ

残念

2007年8月31日金曜日

知ることと見つけたり?

次の午後一のセッションで発表
郊外のコンベンションセンターで開催されているので、
昼飯を楽しむ、ってわけにはなかなかいかない
焼きキュウリとチーズのパニーニを頬張りつつ

しかし、「知る」ってどういうことだろう?
何千という人たちが、視知覚について
よってたかって研究して、冴えた研究も
そうでないのもあるけど、こうして
何百という発表になっている

だけど、これらを束にしても、脳どころか
「視る」ということだけについてさえ、
その全貌は少しも見えてこない

このままカンファを何十年と続けても、
視知覚について全部分かりました、という
瞬間は訪れないのではないか、そんな
目眩のような感覚を感じる。
(全部分かったからその目的を終えたので
解散します、ってソサエティは
存在するのだろうか?すごく知りたい)

なにをどうすれば分かったことになるのかな

こういう分かり方はとても好きだし、
レヴィ=ストロースが言うように
確かに現代において堕落していない唯一のジャンルだという
のは本当だと思うけど、ちょっとおれが
分かりたい分かり方とはちょっと違うのかも
しれないな、なんてことをほとんど
身体的な体験として感じることが最近はある。

2007年8月30日木曜日

ムルの国

オブジェクトリコグニションに関して貴重な情報入手
「やーどもども」もひととおり済ませた

今回のバンケットは中世料理を忠実に再現!
ってことで楽しみだったんだけど、ヨーロッパの飲み食いは
とにかく時間が遅いので(歌って踊って午前様、なんてザラ)
ロクを連れては無理だろうということで断念。
日が落ちて涼しくなったらウサギかトリュフでも食いにいきます。

ヨーロッパの街歩きの楽しみの一つは車見物。
「愛車」と躊躇なく呼べる我がムルティプラは
日本だと年に数回行き会うかどうかって頻度ですが、
(300台しか輸入されなかったので)
こちらではコーナーごとに見ないことがない。
人が乗っているのをじろじろ見て、あらためて、つくづく、いい車。
疑いなく歴史に残りますね。

500の復刻が話題だけど、
フィアットの好調ぶりをひしひしと感じた。
アルファはだめなかんじ
ちなみにパトカーは159
ポリツィアの方が悪そう

っていうか、イタリアくるとバイクにのりたくなる
こっちのバイク乗りのかっこよさは、
モンゴロイドとラテンの違いとしか言いようがない
普通に道具として乗ってるだけなのに、
なんであんなにかっこいいかなぁ
日本では体現しているもののないかっこよさ
(唯一、福生のジレラ乗りのトリオさんだけ例外)

考えてみれば、このかっこよさにしびれて
歴代2輪は2台ともイタ車

街角でダムダムダムダムという音を聞くと
もっと大切にしておけばよかったなぁ
チタンパールのセパレートシートVESPA ET3
ああ・・・

こっちでも全然見なくなっちゃったけど
(本国でもつぶれたか?)
帰ったら絶対乗れるようにしよう
ITALJET180
2ストで環境破壊だけど

2007年8月29日水曜日

リラは遠くに

ジェラート ピッコロ 1.5ユーロ
カプチーノ 2,5ユーロ
といわれてもピンとこない

やっぱ1000リラとか2000リラとか
額面やたらでかくないと
(だけど日本円換算だと安い)
イタリア来た気がしない

物価もユーロになってすごく高くなった
ちょっと疲れたらすぐバールでカフェ
ってわけにもういかない


・身体制御コードが制約する身体知覚
・オブジェクトのカテゴリーをコードする脳内機構
をテーマにしたシンポが編まれていた。
あーあ、やっぱきてるよこのへん。
思ってた通りだ。卒論急がなきゃ。

伊太利屋

現在イタリア
噂通りあつい

予定通りロクはもてまくる

ロクースコー
ぶちゅー
と、レセプションの
おじさんにキスされまくってる

変な影響を受けませんように

2007年8月21日火曜日

私の脳内

ぼくの脳内の解析画像です。
(ずいぶん前ですが、町蔵さんがやってたのを見てやってみた)

ぱっと見、「脳」に見えて
な、なぜ職業まで??とゾッとしましたが、
悩んでるだけだったみたい。

ちなみに前世の脳、

茅原拓朗の前世の脳内イメージ


「艶」ってのはうれしぃねぇ
どっか芸事の世界と関係あったかなとも思うので

ついでにフェチの脳、
茅原拓朗の脳内フェチイメージ

普通なだけにかえって恥ずかしい・・

ってか、どれも要素2つだけかよー
たんじゅーん むじゃきー(谷岡ヤスジ調で)


うーむ、昨今の脳科学の進展は恐るべきものがあるな。
だが、脳の可塑性を忘れ、このような固定的な特性によって、
髪フェチの人、などというようにレッテルが貼られ
人間が選別されてもよいのか?

諸賢にあられても、この記事をもって、
脳科学の倫理を問うきっかけとなれば幸いである。

2007年8月20日月曜日

蝉のお弔い



「おとーさん、セミが死んでる!」
とロクスケが報告しに来たので、

なにっ、どれどれ、と見に行くと
大きなセミが足を上に向けてひっくり返って
行きだおれている。

ロクスケによく見せてやろうとつかみ上げると

ジジジジジジ・・・・

ぅわぁ!!

これが世に名高い
セミ爆弾(byハチクロ)である。

あー、びっくしたねー

ロクスケはまたジジジってなるから
やめてくれというのだけど、
顔が見たいのでそっとひっくり返す

碁石みたいなつや消しの深い黒に
白い斑がはいっている

力強くもこもこと隆起した
その造形は仏像を思い起こさせた

日常の空間にパカッと切れ目ができて
現形したような彼岸の造形に
ずっと見入ってしまう



そこへ、みぃこがやってきて

「セミ描いとこ」

ゴシゴシ しゅっしゅっ
グリグリ さっさっ

「日に当たって柔らかくなって
クレヨン気持ちいー オイルパステルみたいー」


真っ白い画用紙に
黒い甲冑にくるまれていた
カラフルな生命が
ぐりぐりと写し取られる


死んだ人はみんな言葉になるのだ。
(寺山修司)


 

2007年8月19日日曜日

悪魔笛

ロクスケが
日曜朝の『将棋の時間』のオープニングの
琴の音で狂ったように踊り出すことは
以前ちょっと書いたが、


さっき、うちにあるカンカラ三線を
太棹よろしくベベベンッとひくと
やっぱり狂ったように踊り出すことを
発見した


キカイダーかっ

2007年8月18日土曜日

啓示

なにか現世的なものや常識的なものに
とらわれそうになったり、
人のことが気になってしまうとき

不真面目だぞ!

と自分をたしなめる。



うまく伝わらなかったり振る舞えなかったり
過去がずっとついてきてしまうとき、

ごめんね、いつでもうまくはいかないよ

と何かにあやまって流す。



iTunesのデータベースから不意に選択された
AYA-COLLETTEの『恋するミラノ』

手放した風船がふうっと空に舞い上がるように
何の感情の前触れもなく泣き出してしまってから
自分でビックリする



誰もいない夏の学校の片隅にも
啓示はおとずれる



とらわれつつ間違いつつ戻りつつ
変化し進化する感受性と知性を我に!

2007年8月15日水曜日

『楢山節考』

夏の読書は深沢七郎つづきで
"楢山節考" (深沢 七郎)


何度読んでも清々しい表題「楢山節考」


今日の読売新聞の「編集手帳」では、
盆にあたってという趣旨だと思うが、
この1年起こった「理不尽な死」に触れていた。

ほとんどみんな忘れているが、
(僕だって忘れそうになるが、)
盆は本来あの世の霊がこの世に帰ってくるという季節なので、
(だからこそ家族みんなで先祖の霊を迎えよう、
という主旨で里帰りするわけだ)
それに、ちょうどこの季節は終戦記念や原爆忌も重なるので、
やはり僕にとっても死を想う季節ではあるのだ。

でも「理不尽な死」とはなんだろう?
というか「理不尽じゃない死」として
何が想定されているのだろうか?

それはたぶん「天寿を全うする」死、
つまり老衰だろう。その読売の記事に限らず、
通常あるべき死=老衰、という通念は
特に吟味されることもなくかなり広く
行き渡っていると言っていいだろう。

でもその前提はちょっとおかしい。
だって、老衰で死ぬ割合は、平成18年度統計で
全死因中たった2.6%なのだ(厚生労働省)。

統計的センスあふれる僕の研究室の
学生諸君のような人たちなら
「老齢の人たちだけの死亡割合を見てみないと
それは結論づけられないよ」と指摘するだろう。

スルドイ(笑)

だが、老衰がそのほかの死因をぬいて1位になるのは
ようやく100歳を超えてから(約20%)であり、
90歳代に至るまで日本人成人の多くは、ガンか心疾患か
脳血管疾患で死ぬ(全年齢階級あわせて約60%)。

僕がおかしいとおもうのは、
そのような大多数をしめる死の有り様を
死のスタンダード、つまり
「理不尽でない死」としないで、
死のありようとしてはごくごく少数派の
老衰を死のスタンダードとしてしまっていることだ。

僕は実態に合わないこの「老衰至上主義」が、
我々の社会にとても深い弊害をもたらしていると思っている。

まあ語り出すと大変なのでメモ的に2点だけ。

一つは、狭量で偏向した価値感を生んでしまっていることである。

もう一つは、大多数をしめるガンや心疾患や脳血管疾患による
死の扱い方を間違ってしまうことである。

後者についてちょっとだけ書くと、これらの病気の死について
医学はそれに見合った「死モデル」をもっておらず、そこでも
やはり「死=老衰(生物学的な機能停止)」なのである。
だから、最末期のガン患者にモルヒネを投与するなんてことが
平気で行われてしまう。モルヒネを麻酔薬か痛み止め程度の
イメージでとらえている人が多いけど、とんでもない話で、
ごく簡単に言えば我々人間にとって最も重要な脳の部分を
破壊して意識を混濁させることで痛みを「止める」薬なので、
(それって止めるってことなのか?)
ラカン言うところの「象徴界」に生きる人間にとって
これほど「理不尽な生」もないのだ。

念のために言うけど、単純に所謂「尊厳死」に賛成だという
ことが言いたいわけではない(尊厳死って言い方は
結局老衰至上主義と根っこは同じ)。

ただ、老衰至上主義で思考停止している限り、
「病による死」をきちんと位置づけることはいつまで
たってもできないだろう。

(病による死については、
"ニーチェ (ちくま学芸文庫)" (ジル ドゥルーズ)
言及されている「健康」の概念がヒントになるだろう)

自分のことだからね。ガンになったとき
ロクスケに背負われて山に捨てられる選択肢も
やっぱほしいんだよなぁ。


そして、この作品は、
「理不尽じゃない死」がどんなものかについて
とても重要なことを気づかせてくれる。

それは、死んだ者がまあ死んでもいっか、って
思えていたかどうかということである。
(それも特に残された者への「気遣い」
あるいは一種の死の演出として)
残されたものが死んだ者の無念を想わざるを得ないとき、
その死は死因がなんであれ「理不尽な死」となる。
これは確かなことである。
そして、死因なんかよりむしろ
人間の死が理不尽であったかどうかを考える上では
重要なことである。

あの人は、あの人の生に満足して山に送られていった、
と思えることが、財産なんかよりどんなにか
残されたものに心の安らぎを与え、また
一族の安寧をもたらすか、考えてみるべきなのだ。

しかしいずれにしたって、
多くの場合は訳も分からず死んでいくのだ。
残された者も、死はよくわからないままだ。

よく、幼子の死んだ人にたいする無邪気な発言
(「おとーさんはどこへいっちゃったの?」みたいな)
にたいして、「何にもわかってないのね」と
大人が涙する、という場面があって、メロドラマ的
クリシェとして嫌いじゃないけど、でも
本当の意味で何も分かってないのねと言って
泣ける大人など一人もいない。

どこまでいっても死と単なる不在の違いは
はっきりせず、ピンとこないままだ。


所収の名作「東京のプリンスたち」、
「白鳥の死」についても触れたいけど
これはまたいずれ。

2007年8月14日火曜日

まだ降らない流星を感じながら

細い蜘蛛の糸をたどって
こうして夏のもやの海に沈む街や
冷たい小川や マイナスイオンの林や
出はじめた星や
昼の熱を残すアスファルトや
草いきれや しつこい羽虫や
高速道路の照明や まっくらな浜辺の花火や
低くとぶ飛行機の照明や 外海の大きな波に
知らない間にこわばっていたモードを
ゆっくり溶かすのを見てる。





「その日その時というのは二度と来ない。
その日どうだったかが巡り合わせという事だ。」
(『セクシーボイスアンドロボ』)





「まったくな 森羅万象に比べりゃ
おれたちなぞちっぽけなものだぞ。
しかしな、それを認めたからといって
行を放棄したり負けてはいかんのだよ。
確かに森羅万象におれたちはかなわんが
その森羅とて実はおれたちにかなわんのさ。
人も森羅も存在するにはそれだけの意味がある。
本当はそこでそのとき出会ったのはなぜなのか、
そのようにしたのはそのように見えたのはなぜなのか
何の意味があるのか、考えねばならんのだ」
(『陰陽師』)





なんて面白いんだろ
それに、きれいだなあ
胸がいっぱいになる

2007年8月10日金曜日

『言わなければよかったのに日記』

夏といえば、
夏休みといえば、
読書

この強い連想は、

夏休みの読書感想文の宿題や、
学研が「科学・学習」購読者向けに
だしてた夏休み副読本、
そして、新潮文庫のキャンペーンに
よるところが大きい

ありあまる時間を
昼下がりの日差しや
蝉がなく声を背景に
箱庭のように完結した世界に
浸かりきって過ごした、
あの甘美な体験のせいだ

仕事に関するもの以外、
何か体系的に読もうなんて気はないし、
それに読むのがすごく遅いし、
読んだ数だってたいしたことないし、
でも、本が好きだと言えるのは
あのとろけるような体験があるからだ

だから今年の夏も、
なにかいつもとちょっと違った
気持ちで本を手に取る

そして、なぜか手に取ったのが

"言わなければよかったのに日記 (中公文庫)" (深沢 七郎)

渋いというかなんというか、
まあとにかく時宜にかなうということは皆無の、
自分でもなぜ深沢七郎なのか
よく意味がわからない選択なのだが、

どこの誰だって人間ならこんなふうに実は
”何も身につけてはいない”んだよなって思わせる、
例えば「銘木さがし」の飄とした旅っぷりを
はじめとする漂泊の日常を描いたエッセイの中でも

「思い出多き女おきん」で描かれた
山梨で印刷業を営む深沢家の女中おきんが
特に印象に残った。

仕事がきらいでへたくそで、
遊びが大好きでちゃっかりしてて、
ものが大切にできなくて、
激しいところがあって、
でも暇をもらって内緒で恋人と
旅にでる先はどっかの温泉とかじゃなくて
善光寺っていうまじめな、
おきんのような女を
「偉い女だ」といい、
本当にそうだなと僕に思わせるように、

僕は現実に知っている
おきんのような女性の「偉さ」を
自分のことは偉いなんて思わないし
そんなことはたぶん関係ない当の本人にかわって
深沢七郎が言葉でそうしたように
この世に存在させることができるだろうか?

2007年8月9日木曜日

夜の街デビュー



直前のエントリー
にコメントしてくれた
カヤケン最初の卒業生マッツンが
ちょうど我々が秋田を訪れた日に
提灯の竿をひたいにのせたり
肩にのせたり、腰にのせたり、

要するにカッコイイとこ見せてたなんて!!

ああー残念だー

ばかー!なんで聞いとかないの?!
って今みぃこにも言われたけど、
マッツンもう仙台に帰ってきてたし、
まさか秋田にいて、
しかも提灯かついでるなんて
思わねがったもんなー

ああー

しかも、竿灯がおわったあと、
マッツンが研修で秋田にいたとき
連れて行ってもらった
「青い鳥レストラン」で、
ロクスケが夜の街デビューを
はたしていたのです。

オーナーシェフのサトウさんに
出会ったその時のいきさつはいつか書こうと
おもっているのですが、

まあとにかく再び連絡もせずに訪ねていって
「おおおー、今一杯ですけど
とにかく席を用意します」
といって折りたたみ机で
急ごしらえの席をつくってもらい、
またもやしみじみと良い時間を
すごしたのであった。

今回頼んだのは、
・自家製ピクルス(チーズおまけ)
・(欧風卵とじ、おまけ)
・グリルしたマスにラタトゥイユ的なものがかかったやつ
・白貝にトマトとかのっけてグリルしたやつ
(白貝は東京じゃほとんどお目にかからないけど、
むちゃくちゃおいしい貝)
・トマトベースのおまかせのスパゲティーニ

空間のしつらえも音楽も隅から隅まで
ゆきとどいて、やっぱここサイコー
(前回はMatthew Herbert教えてもらった)
ほんとにこんなとこ他に無いです

ミィコは「飛良泉」で久々酔っぱらって
(こんなふうに大人の店にしかもこの時間に
来るなんてみぃこはほんとうに久しぶりなのだ)
最初からとばしまくる

トイレにいく人にロクスケといっしょに
「いってらっしゃーい!がんばってねー」
とか言ってる。お店に来てた人たちも
とても懐が深くて、
「はーい、がんばりまーす」
とか言ってくれる。

僕とロクスケをのぞくと女子ばかり。
弘前でもそうだったけど、女子はとにかく
どこにいってもどんな状況でも楽しんでる。

男子はどうした?
(0804/07の出来事)

コロボックル




秋田の街をあるいていたら、
おばちゃんがひょいと大きな蕗の葉を
僕に手渡して、

「ほら、すごいでしょう。
 今日とってきたのよ」

うわー、すごい
ロクスケに持たせてみよう
とみんなでしばし遊ぶ

はい、ありがとうございました、と
おばちゃんにてわたすと、
じゃあねーといってどこかへ行ってしまった

蕗の葉をくれるというんでもなく、
とにかく蕗の葉がおもしろくて
だれかに言いたかったのだろう。


妖怪の類だったのかもしれないな

(0804/07の出来事)

みちのく育ち


うちわを振って取り憑かれたように
ピョコピョコおどる


ロクスケの魂には東北のリズムが
深く刻まれつつある

0歳:西馬音内盆踊り
1歳:黒石ねぷた
2歳:なまはげさん、早池峰神楽、
   弘前ねぷた、青森ねぶた、秋田竿灯


「ねぷたはね、ヤーヤド
ねぶたはね、ラッセーラ
ちょうちんまつり(竿灯のこと)は、ドッコイショ」

全部覚えてしまった。
よしよし



「これでたたいてー」
と積み木の棒を2本渡されたら始まり。

ロクスケが背中にしょった絵本を
とーちゃんが

トン トトントン トン トトン

と叩くとロクスケは

「ヤァーヤ ドー」

これでそこらを行進して回るのである。
これが最近はやりの遊びなのである。

よしよし



うちではしつけもなまはげさん

「おかーさんはなまはげさんと仲良しなんだからね。
(実際どっちかっていうとアッチ側の人である)
おかーさんが呼んだらなまはげさんすぐ来るよ」

っていうとたいていふるえあがって
言うことをきく。

2007年8月6日月曜日

広島原爆忌

食卓で仕事をしていると
暑くて起きてしまったロクちゃんが
目をこすりながらトポトポおりてきた

コクコクお茶をのみ、
しばらくフニャフニャ言ってたけど
ころんところがってまた寝てしまった


この子を戦争にとらないでほしい
この子はただブーブが好きで、
いちびりで、ちょっと甘えん坊なだけなのだ

夏は終わっちゃいなかった



さすがに昨日で終わったかに思われた
2007おまつりサマーですが

今日も今日とて
仙台七夕に繰り出す


音にまみれた四日三晩でしたので
なおさらしみじみと感じられるのですが、

仙台七夕には音がない

さわさわと夕立後の夜風になびいて
いいもんだね

ひと気のない昼下がりなどに
この下を歩くのもいいだろうな

お祭りといえば、
音と光のページェント!
として構成されるのがお約束な
ところへもってきて
仙台七夕には音も光もない

オリジナリティはむしろ高い
一癖もふた癖もあるかんじ


FM局主催の無料ライブは音速ライン
夏祭りに似合うね


あーでけぇ音だしてぇ

週末はB2に入りますよ
ビールのみながら曲つくりますよ

2007年8月5日日曜日

途中は工事のためバス振り替えでした



駅員はどの駅もそらいろの開襟シャツを
着たおばちゃんなのが印象的

クーラーがないので、窓をあけはなして
遠くに山が見える広々としたリンゴ畑と
田んぼの中をゆく

うっとりしてしまう


ロクスケもこーふんして
「コーナンテツドウオーワニセンに乗ったね!」
って繰り返しずっと言ってた

普通に歩けば行き当たる



桜大通りのどんつきにあるビアバー
(の、写真はザワークラウト)
高い天井に油のしみこんだ木の床
鎧戸でバースペースとゆるく仕切られた小さな個室

ちょっとほんとうに信じられなかった
こんなとこ他にはないですよ

弘前、おそるべし

土手町あたりは本当にたのしい店がたくさん
たぶん地代が安いから、そこそこの商売で
やっていける

みぃことつくづく言い合ったのだが
仙台よりよっぽどおしゃれで都会的

なに餡っつーのかな



やきたてがむちゃうまい
一個買って食って、
さらに三個追加した

一個50円。

要は、金萬
っていったら怒られるかもしれないけど、
北東北の日本海側に伝わるお菓子なんですね
きっと

塩味がきいて、
なんの餡かなぁ

人間合格



万茶ンの焼きリンゴアイスクリーム添え

太宰くんも食べたのかな
いや、食べてたら人間失格とか言わないな
食べればよかったのに
食べてれば合格だったのに

高校生か、大学生とおぼしき女子が
コーヒーを飲みながら書き物をしている

弘前のレベルの高さにはビックリした、正直

富田のカツサンド



キムカツよりずっと前から
薄切り肉を重ねてカツにしていたと
思われる。パンを三枚にして
全体の厚みを均しているところも
仕事が細かい。


これが2つ入って、


300円!!

縄がくずれる感じがイイ



夢にまで見た、といっても過言ではない、
あの食感をときどき思い出しては
「くいてー」と身もだえしていた縄かりんとうが
駅前の「やまざき」に無尽蔵に積み上げられて
売られていたのでとりあえず一個買って食いながら歩き、
帰りにもまた買った。もちろんおみやげにはしません。

自分用です。

大鰐焼きそば



はしばた食堂のおやじが勝手に
そう呼んでいるだけ

でも、おいしいです

塩、味噌、醤油、ソースの
4つから味が選べるけど写真は味噌

日のあたる坂道の家



で、こんな感じで雪国特有の三角トタン屋根のおうちが
草花をわしわし茂らせて、家と他との境界も
あいまいなままひと気なくぽつぽつたっているわけです

やんちゃ広場から



アップダウンのなかにおとぎ話の世界のように
ぽつぽつと家々が立つ、なにか包み込まれるような、
ずっとそこにいたくなる土地でした。

無造作に生い茂る草木の無造作ぶりが
水木しげるの描く草木の感じで、
もちろん手が入ってるわけじゃないんだけど
どこか人臭さを感じさせて、とてもよくて、
もうこのなかで汗ばんでさえいれば
すべて満たされるというか


この感じ、他では見たこと無いなぁ。

2007年8月3日金曜日

オーワニとワニの間



銘菓「縄かりんとう」と一緒に手に入れた
「マカロニドン
(マカロニベースのポン菓子だと思う)
の製造元。

オーワニ印ってかワニ印だよな。

でもかわいいから許す。

ハネトをのせて


大鰐から乗り合わせたハネトさんたち

この人たちは、これから青森で
ラッセラーラッセラーといいながら
しゃんしゃんと踊るのである

なんで鰐なんだろう



大鰐のはしばた食堂で風にふかれながら
ぎょうさ(むちゃくちゃうまい)と
大鰐焼きそば(味噌味、うまい)を
食べているとアメリカ人らしきカップルが
ぬっとはいってきてまさか夏に外国人が
くるようなところだとは思っていなかったので
少しぽかんとしながら見ていると

男の方が「野菜炒めにお肉は入っていますか?」
すると店主が「少しね」
また男が「うーん、じゃあ、それで」

の「それで」の用法があまりに自然だっただけに
よりいっそうの違和感があたりに漂う。


店主が温度計を見て「33度もあるよ」

どうりで、じりじりとあつくてむっと
草いきれのする「夏休みのような」日だった。


本当にいいところでした大鰐。

2007年8月2日木曜日

ヤーヤドー



祭りはおわったけど
遠くでそれぞれの地域に戻るねぷたの
囃子がまだ小さく聞こえる

2007年7月30日月曜日

氏か育ちか1

05度基礎ゼミのみんなと海へ
あいにくの天気でしたが、
みんなロクスケと遊んでくれて、
ありがとうございました。

ヒロトがこれなかったのは残念であった

コンちゃん、ひどい日焼けには
シーブリーズをティッシュにしみこませて
湿布するといいですよ


炭に火をつけるための道具を忘れたので、
浜辺の商店にライターとおそらく無いのは承知で、
着火剤を買いに。無ければ古新聞をもらえばいいやと思って。

いちおう着火剤とかないすか?と聞くと
案の定「あー、着火剤はないねぇ」とのことだったので
お願いしようとすると、その前にアウンの呼吸で
「新聞紙でもやろうか?」ありがとうおばちゃん。


テッペーがシャワーを浴びに行くと言うんで
歩き出すとロクスケもついていってしまった。
遠くから見ていると、地元のおばちゃんが近づいてきて
ロクスケに話しかけている、テッペーが手をひらひらさせて
いるのは「いえ、僕の子じゃないっす」って言ってるのだろう。
けど、君はいい父親になれるよ。ってか父親だよすでに。

あ、おばちゃんがロクスケの
ぽんぽこのおなかをツンツンした!
わかりますわかります、
ツンツンしたくなりますよね!


女子たちはざぶざぶと向こうの岩の岬まで
泳いでいったり、テッペーは堤防から飛び込んだり。

みんなあの手この手でロクスケを海に入れようと
してくれてるんだけど、ロクスケは一向に海に入りたがらない。
「ちっちゃいころこんな海怖かったっけー?」
などと話し合って理解不能の様子。
いえ理解できなくて当然だと思います。
弱虫なんです、ロクスケ君は。

そんなわけでとーちゃんも水にはいらずオカでだらだら。
寒かったのでロクスケのせいにしていた節もある(笑)

ロクスケの手をひいて浜を散歩していると、
見張り台のうえからおじいちゃんが話しかけてくる。
・見張り歴20年になること
・もうやめたいやめたいと言ってるのだけど
 周囲にやめさせてもらえないこと
・毎年、海開きの前に塩竃まで救急訓練にいかねばならぬこと
・人工呼吸訓練は人形じゃ練習にならないので隊員さん相手に
 やるのだが、やっぱり相手は女子がいいなぁ
・すぐそこで民宿をやってるので一度とまりに来てくれ
などのお話を伺う。

お孫さんまでご紹介いただいて(笑)、
「来年も是非やっててほしいなぁ」
とやっぱり引き留めてしまって別れる。

いれずみのおにーさんがにくくってビール飲んでたり

ちょっと年かさのおにーさんおねーさんが
渋いレゲエかけてたり、

いい浜です。奥松島の大浜ビーチ。
おすすめです。



って、おすすめビーチ情報の話じゃなかった(笑)

表題の「氏か育ちか」の話をするつもりだったんですが、
時間切れなのでこの辺で。つづく。

2007年7月29日日曜日

ラジオなら

テレビのリサーチ会社からお電話いただく。
拙著をご覧頂いて、とのことで名誉なことではある

のだが、ご下問あったのが

「UFOに遭遇する際、音の記憶が残っていないことが
多いのですが、それは『ビックリすると音が聞こえなくなる』等、
何か心理的な機序が関与しているのでしょうか?」

という内容であったので、

そもそもUFOが音を伴って飛来するかどうかが
分からないので、分かりません(笑)

と申し上げる。

ここで、相手のご要望を巧みに読み取りかつ寄り添い、
かつまたウィットにも富んだお答えなどが出来る器量があれば
きっと「世界一受けたい」などにも出られるようになるのだろう。


でも、テレビには絶対でたくないのである。


というのも拘束時間がやたらめったら長い(らしい)のである。

友人が「トリビアの種」に出たので、
(ツメを切ったときにピョンととぶツメの速度を計算した)
その不条理なまでの拘束時間を聞き及んだのである。


報道番組での解説などライブ性の高いものでさえ、
出番よりかなり前にスタジオ入りさせられる(らしい)。

父が中国でなにかあると時々テレビに引っ張り出されたり
してるので聞き及んだのである。


それに、やたら時間をかけて収録しても
あっさり編集どころかまったく使われないことも
平気であるのである。

これは前任の研究所が出来たばっかりで
まだニュースバリューがあった頃に
僕自身がずいぶん経験させられたのである。


それに顔がでて、のんきにそこらを歩けなくなるのは絶対やだ。
(友人も父ものんきに歩いていますが)



ん?杞憂ってやつですね、これはまさに(笑)



しかし、あれだね、ラジオならいいかもね。
ぷらっと行ってぺらっとしゃべって跡を濁さず、
ラジオにはそんな潔さを感じております

2007年7月28日土曜日

アサッテ

うわー、芥川賞受賞作のタイトル
『アサッテの人』だって!

うわー、これに因んだと思われるとやだなぁ、

つまり、芥川賞を誰が取ったかに高い関心を
寄せているような人だと思われるのはやだ、


ってか、それはどうでもいいんだけど、

「あ、東海林さだお先生が好きなんだな」

という印象は強く持ってほしいので、

じゃあ「まるかじり日記」とかにすっか?

ううー、同名ブログ多そう・・


ううー、「改行多用日記」?ひねりすぎかぁ・・

困ったな


恨むぜ受賞作


ってゆーか、この作家、東海林先生好きなのかな?
そんならちょっと興味あるな

何をしようというんだろう

今日は隅田川の花火だなー
東京にいたときは実際に行かなくても、
隅田の花火の報道があると、
(ローカルには、浦安の花火大会を見に行くと)
あー夏が始まるなぁ、という気分になってた。


仙台は、七夕の前夜祭の花火。
だけどどっちかっつーと夏の終わりを
予感させる


と、申しますか、
桜の葉っぱはすでに一部が赤くなったりしてて、
仙台の夏は始まりながら早くも終わりつつあるかんじです
要するに、関東っこからみれば
仙台に夏はありません


それだけがたまにキズ


・・・映画を題材にあーだこーだと語る
催しを学内でやってたこともあって、界隈では
なんとなく映画担当の人みたいな位置づけなっており、


(『ハイスクールUSA』の町蔵さん、
その節は貴重な資料をありがとうございました。
おかげさまでピリッとしまったいい回になりました)


(↑アメリカを語る上で欠かすことができない、
映画本を超えた「USハイスクール人類学」の必読書です)


先日も、映画が撮りたい、と相談にきた学生たちがいるのだが、
とは言ってもそれは完全にお門違いというもので、
「おおー、そうかそうか、がんばれよ」
と励ますことしかできないのだが、っていうか
相談なんか来ないで撮っちゃえばいいじゃん
って思うだけなのだが、


しかし気になるのは、一向にクランクインする気配がないのは
まあありがちなことなのでいいとしても、中心になってる学生たちが
「いやー、僕ら撮影とか技術的なこと全然わかんないすから」
と言ってヘーゼンとしているところである。


少なくとも以前は、それでは「映画を撮る」と言えなかった。
そのポジションはものをつくる集団の中で許容されなかった。
(実を言えば本当はいまも許容されない)


こういうとき、僕は「ったく、近頃の若者はっ」とは考えない。
彼らは与えられた条件の中で行動を最適化しようとするはずだ、と考え、
そこに映った「世間」の反映を見よう、と考える。


だって、実際、人間は世代と関係なく様々で、
時代毎に違うのは世代差じゃなくて、
時代毎に人が選択できる行動やマインドののレパートリーが
増えたり減ったりするだけのことだから。


ま、そんなことから考えてみるとですね、
「人のフンドシで相撲を取る」というか
人の労の結果を自分の成果としてもかまわない、
むしろヨシとする風潮が醸成されつつあるということだと思う。


そんなとき便利に使われるのが「プロデュース」という言葉。


学生たちが「プロデュース」というとき、よくよく聴いてみると
なんだよタダノリのことかよ、って場合があって笑っちゃうんだけど、


プロデュースって基本的に「する」もんじゃなくて
「頼まれる」もんですよね。


あと、いわゆる「文系志向」も同根のタダノリ傾向だろうけど、


まあね、資本主義ってタダノリ主義のことだし、
まあある意味正しいのかもしんないけどね、


でも、友達と映画撮ったり、って
そんなところでまでタダノリで、お客さんで、って、
それはいったい何をするってことなの?
そこで「トクして」どうなるの?(笑)


そんなふうに仲間と過ごす過ごし方はまったく興味ないねぇ


悪いけど。

2007年7月24日火曜日

夏空に誓う


町中に用事があり、


夏だし、来週海行くし、
アナログしかもってなかったし、
Tracy ThornのA Distant Shoreを
CDで買おうと思ってTowerへ。




でも、ない。こないだまであったのに。
夏だからね。晴れたしね。
みんな気分はいっしょだね。
あ、じゃあ、去年出たカエターノの新譜だ。
今度はロックだって言うじゃない?


で、"Ce" (カエターノ・ヴェローゾ)




で、カリッとメリハリのきいた日差しの中を
職場に車を走らせながら早速聴く


トコロガコレガヨカッタ。


シンプルな構成なのに
めくるめくような奥行きと広がり
そっと触れながら慈しむように進行する
カエターノの音楽には
触覚が刺激される


65歳のおじさん


ちょっと前は、リッチなストリングスを
まじえて彼が小さなころに聴いた音楽への
オマージュ的作品を創ってた

次がロックだ
「ロック」って言って全然恥ずかしくならない
いつまでも固まらない。ますます若い。


かねがね思っていたことだけど、
ガル・コスタと一緒につくった『ドミンゴ』の頃が
一番老成している。




今日の空は澄んでいて
ギラリと葉を光らせている木々が
息が詰まるような密度で
もりもりと茂っている

2007年7月23日月曜日

静かな花


安田講堂のまえに蓮がたくさんならべられていて
ぽかっと静かに咲いていた

なんでも、蓮の種は寿命がとても長いんだそうで、
発掘した種を育てて咲かせることが
一種の生物学的な実験になるようだ。
安田講堂前にならべられていたのは、
そんなふうにして発掘されてそだてられた「古代種」の蓮

蓮はとても好きな花
すくっと咲いているとあたりがシーンとする

ちょうどこの季節、光がまがまがしい
夕暮れ時などに不忍池にさしかかって
大きな葉がつくる闇を背景にして浮かび上がる
蓮の花を見ると忽然としてしまう
(0723/07の出来事)

2007年7月16日月曜日

かわいくなんないで


みぃこはSoftbankのCMの
キャメロンが気に入っていて
さっきもキャピッ☆とマネをしていたら


「かわいくなんないでください」


とロクスケ。


だよねぇ、無理があるよねぇ
おれもそう思う

雨の京都で土佐の明かりを遠目に見ながら

もう何年も行っていない土佐屋室戸に
明かりがついているのは確認したけれど
体調がすぐれなかったこともあって
またなんとなくやりすごしてしまった。


もう10年以上まえになると思うが
みぃことのりちゃんと京都で待ち合わせて、
どっかで夕ご飯をというので散歩しているうち、


店構えからして不意に入るような店ではないのだが、
(単純に構造からしてもすごく入りにくい)
なぜか不意にはいりこんでしまい、緑色のガラスモザイクの壁に、
猫足のアンティークっぽい(がアンティークではない)椅子という
謎の(要するにスナックかなんかを転用したいいかげんな)内装と、
なによりごま塩ひげ面の「盗賊」っていう形容が
ピッタリの大将に「やばい」と思ったのだが、


話してみると、
なんと僕の高校のずいぶん上の先輩、という奇縁で、
三島由紀夫と後楽園のジムでわたりあい、
ヤクザの世界にあこがれたものの幻滅し、
その後いろいろあってここにいたるという
無頼で飾らないところがなんだかしっくりきてしまい、


当時は岐阜にちょくちょく用事があったので
帰りに遠回りしたりして、ずいぶん通った。


考えてみれば、20代の駆け出しが
通えるようなところではないので、
大将も意気に感じてか、
ずいぶんおまけしてくれてたんだろう。


僕はどこかの常連になるということには全く関心がなくて、
話したいときは話すし、話したくないときは話したくないし、
とにかく勝手にやらせてくれ、という人間なので、
ほっといてくれる店しか通うようにならないのだが、
というかめんどくさいので気に入っても「通う」なんてことには
あまりならないのだけれど、ここにはなぜか「通った」という
いい方がしっくりくるし、それも「ほっとかれに行く」感じではなかった。


どういうわけでそんなだったか忘れてしまったんだけど、
だからほんとにいいかげんなもんなんだけど(笑)
あるとき「ああ、どんなひどいことがおきても死ぬだけだなぁ」
ということに思い至り、そんなことに思い至ることで
フッと楽になれるようなそんな時期があり、


やっぱり岐阜出張のあと、ホーホーノテイという形で
京都からバスで三条におりたって、階段をのぼり
カウンターについて、酔鯨をひやできゅーっとのんで
やっと一息ついて、またどんな流れでだったか忘れたけど、


「大将、人間どんなひどいことが
起きたとしたって死ぬだけのことだよね」


なんてなことを言ったわけです。そしたら、


「へええ、若いのにそんなことをいうのかい」


って言った大将のごま塩ひげの生えた丸太ん棒みたいな顔が、
柔らかく近しいものになっていて、がさがさした心に染みつつも、
ぽかんとするしかすべがないのだった。


大将もこの先そう長くはねぇだろうからな、
今度こそ行ってみよう


また「よ、お帰り」って言ってくれるかな
いやいや、ま、忘れてんだろうけどな

2007年7月13日金曜日

京都にて

とても久しぶりにコロナで夕ご飯


最初にきたのはいつだっけ?
高校生のときだったと思うけど、
むしむしする夜でまだ今ほど下品になってない
四条のあたりをふらふらしていたときに
ポッとともった看板にひかれて
ふっとはいりこんだのだった。


白木の、とはとてもいえないけど、
気持ちよく拭き清められた無垢のカウンターに
あせばんだ手をすりすりしながらビールをのんで
あけはなたれた狭い間口から
石畳をそぞろあるく人たちをぼんやり
眺めているとこのままここにごろんとなれたら
どんなにいいだろうと思ったが、
それは今回も同じだった。


ふいに猫がはいりこんできて、
カウンターの下の足にするするっと
身体をすりつけていく。


ああ!そうだった!
最初にきたときもこうやって
猫が入り込んできて、そのときは
「え?猫が?」と
すこしびっくりしたんだった!


こうしてこれまでの時間の痕跡を残した場所が
その場所にあり続けてくれることが
悪いことであるわけがないし、
その痕跡を壊して、ただ新しいものに
置き換えていくことに意味なんかない


時間と空間に対する繊細な感性を欠いた、
ぴかぴかした新しげなもので埋め尽くすことに
よってしか何かを確認できない貧しい人たちの
巻き添えを食わなきゃいけないんなんて、
なんてついてない時代に生まれたことだろう


オムライスだけではなんとなくものたりなくて
鴨川をわたって祇園の方へ
京都の夜の黒は深くて濃い
鴨川はそれをうつしてつやつやしている


 鴨川に
 墨汁の夜を
 そそぎこむ



四条から少し上がった権兵衛

ここに夏にくることはこれまでなかった

いつもは冬、
どこかで飲んだあと、
まだもう少しというときに
かじかみながらやってくる


たいてい客はすくなくて、
小上がりにあがりこんで
ほおずえをついて
小さい頃に父親に飲まされた
あの日本酒の味がする菊正宗に
燗をしてもらった後、
ゆずの香りがする
卵とじそば


ごちそうさまといって
三条の方へ上がっていく

ここらをあるいているひとたちも
ずいぶんがさつな感じになったものだ

2007年7月2日月曜日

遊ぶだけ遊んで

「遊ぶだけ遊んで 学ぶだけ学んで 死んだのね」

とみぃこは言った。


日曜朝は、『趣味の園芸』から『新日曜美術館』、
そしてなぜか『将棋の時間』のオープニングにロクが反応して
踊り狂って(これがまた琴の音がチャンチャンチャララン
チャラララ ポェ〜ンと響くなんとも間の抜けた曲だったりする)、
遅く長い朝食が終了、とそんな3チャンメインの流れ。


7月1日の日曜美術館は沖縄の陶芸家、國吉清尚の特集


焼き締め(火力で土そのものを溶かして釉薬の代わりにする)の
技法を、窯まで自ら築いては壊しして探求し、
(その窯がまたすげぇかわいい)ものすごい存在感の
もはや陶器という範疇を超えた「カタマリ」をたくさん残して
油をかぶって自らを焼いて死んでしまった。


ああほんとに


遊ぶだけ遊んで学ぶだけ学んで死んだんだね



コミュニケーションは確かに変わった

でも、

学びにおいて、
体験において、
成長において、


人間はなんら変わってない
これからも変わらない


それは忘れないようにしないと



遊ぶだけ遊んで
学ぶだけ学ぶ

ぞ、ト

2007年6月22日金曜日

定禅寺ジャズフェスティバル出場決定!

です。9月8日です。
時間、場所は未定です。

あの年末ライブの音源が過酷な選考を
くぐり抜けたというこことです。
選考者は鳥肌がたっていたであろうこと
想像に難くありません。

もしかしたらレコード会社数社に
既に連絡が行っているかもしれません。

Pioneersメンバーのみなさん、
準備を怠りなく進めてください。

ファンの皆さんも、
今から体調管理等をすすめ万全の状態で
当日に臨んでください。

では

ごめん!:コメント寄せてくれた皆様

ごめん!!

最近スパムコメントがくるようになったので、
コメント管理モードをonにしてたのを忘れて
いただいたコメントをスタックさせてました!!

とりあえず表示しました。
これから読ませていただきます。

これに懲りず今後ともよろしくお願いします。

2007年6月20日水曜日

コーディングガリガリくん

あ〜ほっとしたよ
よかった〜
なんつーかこう、
言祝がれてるっつうか


・・いや、私事です、すみません。
さっきちょっとうれしいことがあり。



もとえさんとこ経由なんだけど
グーグルの仕事っぷりってすげぇなぁ

上の立場の人たちほどコーディングするって・・
まじで?ってか、そうあるべきだよやっぱ
それが現代の仕事ってもんだよ

コーディングって、文章がかけたり、
絵が描けたり、造形できたり、3次元扱えたりってのと同じで、
しかもこれまでになかったタイプの知性の様式だよな

言葉に知性が先立つのではないのですね、
今更言うまでもなく、言葉が知性に先立つのです。
ならば、コーディングが先立つ知性というものもあるはず。
それはどんなものなのでしょうね。

それがどんなものにしたって、もうSEだけの
特殊技能と考えるべきじゃないだろうな

しかし少なくとも情報コースの子はガリガリ
コーディングできるようになるべきだよ。
っていうか、コーディングにだって
作る楽しさと喜びがあるんだけどなぁ

上流だの下流だのって実務よりの
枠組み先行なのが、よくねぇ気がするなぁ

コーディング嫌いで「デザイン志向」の子が
今年は多いようなんだけど、
コーディングが「物作り」として
とらえられてないこの状況はもったいないよなぁ


実務的にもね、卒業生はみんな、
コーディングできなきゃ話にならないこと
痛感で猛省っておっしゃってますよ

いっちょ
グーグルガジェットとかで、
ガリガリコーディング合宿、
やりますか

2007年6月19日火曜日

ちえちゃんへ

誰も引き受けないしくみ
に寄せていただいたコメントのお返事を書いていたら
やたら長くなってしまったので
記事にしてしまうことにしました。

feedmeterのメーターが下がってるから、
ってこともある(笑)


---
いやー、ありがとありがと。
ごめんね、ぼんやりした書き方で。
まあ大人にはいろいろあります(笑)

ニュースでは「責任追及」が喧しいですね。
しかし、責任追及しなければならない
フェイズにたちいたったということは、
それまで「俺の責任じゃないや」って
ほったらかしにしてきたフェイズがあるってことで、

社会というのは実に、
誰の責任であろうとなかろうと
「あ、これはまずいな」
って気づいた人が引き受けるという
ことで支えられているんだと思うんですね。
というかそれが実感です。

そして誰かが引き受ければ、
それは事件化しない。
人知れずうまくいっている。

「責任追及」しなければならない事件が多発しているのは、
自分の責任ではないことはやらなくてもよいし、そのことで、
甚大な問題が発生したところで知ったこっちゃない、
というマインドが蔓延しつつあることを
意味しているんだと思います。

(所謂「ボランティア」を奨励するわけじゃないんです。
ただ、「責任の範囲内のことだけやる」って一見正しいようだけど、
責任の範囲を明確にするのってすっごく難しい、というか
できないので、このロジックだけでやろうとすると
結局だれも手をださない事態におちいっちゃうんですね)

誰かが引き受けることで
人知れずうまくいっている、ということを

わざわざそれを言わなくてもいいくらいの
コンセンサスにしておかないと、
人知れず引き受けている人たちが
嫌になってしまって、
(ほんとーに、少数の人に支えられている
危うい社会なんだと思うんですよ、
今の日本の多くの局面でね)
ゆくゆくは社会システムが崩壊するような事態に
いたってしまうのではないか、と大げさかもしれないけど
ちょっと心配になってしまうわけです。

ってか、最近の年金問題はまさに
そのようにしておきた社会システムの
クラッシュでしょう?

一番の問題はねぇ、
「おれの責任じゃないや」
ってなにかをほったらかしにすることって、
その人が「そうした方が得だ」と思うからそうする
わけですけど、実はなんにも得してないし、
そのことに気づいてないってことなんですね。

モラルの低下ってより、
コストアンドベネフィットの計算が
出来ない人たちが増えている、
って考えなきゃいけないんだと思うんだよね。


ながくなりましたが、
褒められるのはいつでも歓迎ですので(笑)
今後ともよろしくお願いします〜

2007年6月8日金曜日

だれも引き受けないしくみ

全体のためにこれからのために
個人の名において
主張しなければならないこともあるねー


勝手な奴め


そう思われたからといって、だからなんだ?
あははーとわらってすみませんと言うよ


笑って引き受けたいものですね


はぁ・・


だから そういうことを見かけたら
敏感に反応して褒め称えたい

それはよいことだという価値観のサークルを
広げてこんなこと言わなくてもすむようにしたい

引き受けて、そんで
ほめたいね ほめられたいね


引き受けないで、
責めてばっかりだもの

麦秋


宇都宮をちょっと過ぎたあたり


うす黄金色のかがやき

ああ、夏だな

ぼんやりとした薄曇りの空と
クーラーで夏休みのにおいがする車内で
仕事もせずにぼんやりしてすごした

2007年6月6日水曜日

ニッポンのオフィスを考えるのだー

ほんで、新丸ビルで何をしてたのかというと、
これからの日本のワークプレイスデザインを考えるための
枠組みを構築しようとしていたのである。

ずいぶん大げさなようだが、京都工芸繊維大学に
新世代オフィス研究センターなるものを立ち上げ中で
特に知的生産のためのワークプレイスを対象に
包括的な理解をすすめようとする
輪郭のはっきりした組織はこれまでなかったので、
多少鼻息が荒いのは仕方がないのである

ってゆうか、鼻息は全然あらくなくて、
冗談サクレツのピースな雰囲気の中、
「うーん、どうしたもんですかねぇ困りましたねぇ」
と、結局初日は終始困りっぱなしで終わったのだが、

働き方の変化に応じてワークプレイスデザインを
更新していかなきゃという大枠の認識はあり、
またそのためと称する個々の技術やアイデアもありながら
ワークプレイスを考えるためのの切り口が見えてこない
そのワケはきっと、

そして、実際働く人はかなり余計なお世話的な
印象を抱くであろうそのワケはきっと、

これまで「オフィス」が会社の「身体」として
知的生産ということについての言語化されない無意識の
「手続き型知識」を担っていたからなのだ

まず必要なのは(おそらく文化人類学的なアプローチで)
オフィスが担ってきた機能を言語化し対象化すること

ああー、ビンゴ!ですね。非言語的知性なるものに
果敢にもアプローチしようとしている当研究室にとって
これはあまりにビンゴです。

--- でもどうやって?

まあそこなんですけどね。
でもオフィス=身体のメタファーはかなり強力だと思う。


工繊のひとたち以外では、もとえさん、にしむらさん、
そしておれという、もともと知り合いってか仲良しのメンツで、
いつかいっしょに仕事するだろうなぁ、できたら面白いなぁ
と思ってた人たちが京都経由でつながった感じ。
むちゃくちゃホームな試合はこび

「ご縁」という言葉が自然と浮かんでくるね

おれ自身は全然神がかったところはないし、霊感もないし(笑)、
ときおり非論理的・詩的言辞は弄してしまうものの(笑)
あくまで唯物論的な科学者ですけど、

偶有性ということについては
限りなく大切なことに思えるのである


まあおれの人生そんなんばっかだし

小さくなった父の背中、的な東京大丸


東京21cクラブ会議室からのながめ

この位置から赤煉瓦を見下ろすなんて
少し前まであり得なかったビュー

そして、八重洲側にビルがにょきにょき
さらにその壁面に写り込んでいる丸の内側のビルの林立

赤煉瓦の背後に「じゃまっ」ってくらい
焦げ茶色のマッスを誇示していた東京大丸が
単なる駅ビルになっちゃった

卒業した小学校に久々行ってみたときの
こんなに小さかったっけ?感を
加速されているようで切ないね


西日をうけた八重洲の2本のビルは、
少し輪郭が揺らいで
めらっと背景にとけ込んで、
杉本博司が撮ったWTCみたい

いやいや、縁起でもねぇすね


でも実際、三菱地所は東京駅周辺を
マンハッタン化したいということらしい。

なんでー?

なんでマンハッタン?


東京駅の丸の内側は特に、赤煉瓦から二重橋にいたる
開放的で明るい、風水的にもいかにもよさげな
(風水のことはよく知らないけど・・)
空間の広がりは世界でもなかなか他にない
景観だったのではないか


夏の、すべてをフリーズするようなぎらぎらした日差に
たまりかねて逃げ込む、人気の少ないひんやりした
丸ビルの廊下が懐かしい

2007年6月5日火曜日

テーマは日本創生、だってさ


ラウンジから厨房を眺める

新丸ビルの東京21cクラブ(ひでぇ名前)で打ち合わせってんで、
へぇーどんなもんだろうと思って行ってみたけど、
まあなんてこたないペラッとしたオフィス風

オープンな厨房がしっかりしてて、
頼れそうなコックさんとかいて、これは好感。
うまいもの食いながらならうまくいくってわけだな

じっさいケーキうまかったし〜♪


しかし、おじいちゃんの域に達したサラリーマンが
昼間からビール飲んでる「よし田」あたりの方が
丸の内から銀座にかけての迫力を体現してはいるな

みぃこ07春夏コレクション2


イタ公ギャフンと言わすアイテムその2
ストライプのアンサンブル


こんなのいつまで着てくれるかなぁ

2007年6月1日金曜日

ほんのり職業冥利

古巣、東大でのお座敷づとめ。

15時から16時30分までの予定が
18時すぎまで延長してがっつりと。

ご祝儀もガッツリはずんでいただきましたよ~♪

呼んでくれた廣瀬先生も次の予定をキャンセル、
めっさ盛り上がってあーだこーだ議論して、

終わったあとラボのぞいたら
廣瀬研の仲間たちも
「あ、カヤハラさん、あのねあのねー、・・・」
って、全然2年前までと変わらずってかんじで、

しばしおしゃべりのあと
明治の建物につっかえ棒で平成の建物が
屋上屋を架してる新2号館から外にでると、
つるつると涼しい初夏の夕暮れ

あー気持ちがいいなぁ

研究者でよかったな

2007年5月31日木曜日

続・ご利用は計画的に

本日、我が社のトップと膝詰め直談判

事務局の心意気あふれるアシスト、
そしてトップの三方一両損目配せ的ご采配により、
非常にいい感じで間接経費案件が決着を見ました

うーん、うちのトップ結構すごいかも

やるなぁ


これで院生シソゴくんを東京に派遣することができます。
東京の卒業生の皆さん、そのときは社会人の
財布の破壊力を思う存分見せつけてやってくださいね。

身も心もファイルも

ああ・・

オフラインで使えないことだけが
おれを押しとどめていたのに・・
http://gears.google.com/


ローカルにサーバとDBを仮想的に作って
機能はJavaScriptで。Ajaxだね。


まずはとりあえずサンプルとして
GoogleReaderがオン-オフシームレスで
使えるようになってる

このフレームワークを使えば
だらだらと長い当ブログも
オフラインで読めるようになりますよ!

ええ、べつそこまでして読みたくないですよね


しかし、どうせGoogleDocsもこうなるんだろうね

こうなったらFireFoxだけがうごく激軽PCがほしいな





お、これで今月は
平均1エントリー/day達成か

TheePioneersライブ映像


真ん中がおれ



うそですっ
ええうそですとも
すみませんね



どうせ左遠方にフレームアウトしておりますよ



すでに伝説の、ポストロックバンドとはくくりきれない
アバンギャルドかつハードコアかつポップな心意気あふれる
愉快な仲間たちの年末ライブの映像が届いた。
(ちえちゃんありがとう)
映像からは伝わりにくいが、全員のアンプがフルゲイン、
フルヴォリュームだったことは言うまでもない。



「いやは〜、鳥肌たったっす!!」
とのライブ後の感想に、俺らってすげぇんじゃね?とマジで
調子にのっているワレワレは定禅寺ジャズフェスティバルにも
この時の音源でエントリー中なのである(現在審査中)。



ああ、おれには見える、ジャズフェスで
高橋幸宏に見いだされて衝撃のデビューを飾り、
2万字インタビューに答えるワレワレの未来が。

2007年5月30日水曜日

祝:自主おしっこ激闘編

本日とうとうトイレでおしっこをしました




いや、2歳8ヶ月のボーズのことですが。

「トイレでおしっこする」

字で書いてみると、なんてあたりまえ

2007年5月29日火曜日

ご利用は計画的に

競争的資金の間接経費の取り扱いについて
大学に意見申し上げた。

はー、いろいろやることあります、
ワレワレも。


・使ってほしいけど、使途は戦略的なものに限ってほしい
 赤字の補填につかわないでね

・「研究者のインセンティブ」なんてチンケなものは求めない。
 しかし、100%召し上げにしないで当該研究をサポートするべく
 使用した方が中長期的に見たとき大学への実入りも大きいはず。
 そういうプラグマティックな判断をしてほしい

・ってゆーか、間接経費はもともと当該研究をサポートするための
 経費であるということはわすれないでくらはい

というような趣旨


我ながらまっとうな意見だ
こういう意見は通ってほしいな
それこそがインセンティブだよ



あーあ、

「あれ、先生はどちらですか?」って
部屋に入ってきた学生に聞かれちゃう
ちんちくりんなおれですけどー
学部で一番お金かっぱいできてんすからー
(ガシガシ先生と同じくらいかな・・)


っていうか
あの程度でイチニをあらそう
ってのが問題なんすけど

2007年5月28日月曜日

教育から遠く離れて

教育再生会議第2次答申。
サイトにも全文はまだアップされてないので、
要旨しか分からないけど

大学に関しては
国公立大学の統廃合、
経営の効率化、
9月入試の促進、
など


あっそ


その昔、寺田寅彦は、100時間ピアノを弾き続けた、
という当時のギネスっぽい企画の報道をきいて、
「いちばん音楽から遠いよね、そーゆーの」
って言った。



遠いなぁ 


遠すぎだよ


教育を語るんならさ、

何のために誰をどういう風に育てようか、
って、教育を語る上であたりまえの、
ちゃんと話として通るところから
語り初めてほしいよね



なんで大学経営効率化論をさ、
教育再生答申の名で語らなきゃいけないのよ
(そもそも何が「再生」だよ)

経営が効率化すれば、それで
すばらしい人材が育つようになるとでも?



それにそもそも、
国公立大学が乱脈経営してるみたいな
前提が気にくわねぇ

先進国中最低の、
しかもダントツ最低の予算でさ、
世界でこのプレゼンス維持してるんだぜ
日本の研究者はさ

それがさらになんで、
必要なものにはきちんとお金をかけましょう
って話の前に、経営効率化の話になっちゃう?
なんのための予算だよ



統廃合で一県一国立大学体制つぶすってか、
一方で学力低下って騒いどきながらか?

知性は記号のようなものだとでも?
じゃ、そもそも学校いらないじゃん!!

知を具現する「場」は、アイコンは、必須です

学生は、実験室や院生室や、サークル室から、
そこにとぐろをまく先輩のたたずまいから
ちょっと変わった先生のふるまいから
知的であるとはどういうことか、を学ぶんです。

県庁所在地には必ずある国公立大学という「場」から
地域住民が享受しているものをきちんと評価すべき

その意味じゃ、やるべきことは、
その「場」をなくすことじゃなくて
カッコよくすることだよ

キャンパスという空間を
知性のヴィジュアルとして整備しよう、
そんな方針がもし語られていたら、
どれだけ、風通しがよくなることか



ま、その意味じゃ、民間主導ってのもたいしたことないね
わるいけど

教育再生会議には民間からもたくさん人がはいってるけど、
公=もっさい、民=クールって一般的図式から言うならさぁ、

「公の皆さんは分からないかもしれませんが、
ヴィジュアルって重要ですから、ファカルティクラブを
めちゃくちゃかっこよくして、先生方もびしっとキメてください
それが基本中の基本です」くらいのことは言ってよ



何が人をドライブするかってこと
真剣に考えてねぇんだよなぁ

魅力ってものをさ

それが「戦略」ってことの第一義なんだと思うんだけどねぇ



そして結局のところ、だれも知性なんて信じてねぇんだよなぁ
結局「勝つ」のは知性なのに



功利的であろうとしているらしいけど、
それが一番夢見がちなことなんでわかんねぇかなぁ



爽やかに現実的な知性に触れてぇなぁ



まあ少なくとも9月入学促進はやめてください
ウチのニャー先生(教務委員長)が死んじゃいますから(笑)

祝:自主おしっこ

本日ロクスケはみずから「おしっこー」と宣言し、
おしっこをしました。お風呂の洗い場で、ではありますが。

やれやれ、人間になるのも大変だよ

こんなことでも赤飯炊きたいくらい

2007年5月26日土曜日

よるべなく

おじさんとかおばさんには
ずいぶんかわいがってもらった
年齢的にはむしろあっちに近くなった今でさえ
まだそんなことがときどきある


国立に住んでたころ、
ヒッピー長屋の近くの
食料品店(個人経営のね)に
よく行ってたのだが、

そこのおやじが僕の買い物かごの
その日のラインナップをみては

「ちょっとまってね」

といって奥に引っ込んで
店に並べる前の肉だの野菜だのをもってきて

「これこれこうして食うと、んまい」

とアドバイスしながら
ふくろに放り込んでくれるのだった。



飯田橋に住んでたころ、
駅前のカウンターステーキ屋の
ならびの小さなカレー屋でカレーを食ってると
50がらみなのに少年みたいな少女みたいな
おかみさんがだまってサラダだのなんだのを
トンとおいてくれるのだった。



「なんであんただけ」といいつつ みぃこの説は、
「かわいそうに見えるんじゃない?ふふん」
という、なんか納得いかねぇ!ものだったのだが、



やっぱり職場の年配の人に親みたいに
かわいがられてるってやつがいて、そいつを見てると
かわいそうっていうんじゃ全然ないけど
僕にもやっぱどこかポツネンとしたところが
あるのかもしれないなと思ったりもする。



考えてみれば食い物がらみなことが多いのも
「ほれほれ、食え食え」と、のら猫にエサでも
やるような気持ちだったのかもしれない。



孤独っていうちょっと大げさな言葉しか見あたらないんだけど、
でも別に寂しいってわけじゃない。でもときどきは、
「なんかいいことないかな」って言っちゃうような
そんな 飄とした ひとりでたってるたましい



ときたまそんなものに出逢うと、ああおんなじだと思い、
月夜の晩にのらねこの兄弟がふと寄り添うような気持ちになる



神楽坂のあの猫どもは元気かなぁ

2007年5月23日水曜日

形は知っている

本日の演習IVは、
道具をデッサンしてその機能を探る、
というex-formな課題


たとえば、玄能(トンカチですよ)。

先端の金属部分の両端が
一方は平たく、一方は少しだけ凸状に丸みを帯びており
丸みを帯びた側は、仕上げの段階で
釘の頭をやや板に押し込むようにするため使う

そのため、一本の釘を打つ過程の終盤にいたって
玄能をクルッとひっくり返す必要があり、
慣性モーメントの大きな(ということは打ち込むときに
先端に大きな力が出る)柄の手前の端の断面形状はラウンドしていなければならない

一方、先端の金属部分に近い柄の断面形状は方形になっている。
これは力がかかったとき金属部分が回転しないようにするためでもあるが
釘の打ち始めなどで細かい動作をするために、金属部分に近いところを
握ったとき手の中で玄能が回転してしまわないようにするためでもある
(細かい動作のためにグリップは軽くなる)

また、柄の方形部分より少し手前がくびれているのだが、
これは細かい動作をする際の支点として機能する。
ここを小指と薬指くらいで軽く握って手の中で遊ばせながら
コツコツとたたかくわけだ。

くびれ部分から柄の手前の端までの形状は玄能によって様々だが
力強く打ち込むときしっかり握るために太くなっていくのが原則である
今回使った玄能はくびれからいったん太くなったあと、手前の端までの
間にもう一つごく小さなくびれが作ってあった。これは慣性モーメントを
2段階に調整するためであろう。



と、言葉にするとこれだけの機能が
(これを全部指摘できた者はいなかったが)
あの単純なフォルムの中におさまっている

機能が形態として完全に表現されたすばらしいデザインである。


さらにより重要なのは、これを使う大工さんはもちろん、
このデザインを磨いてきた代々の職人さんも、
現在この玄能をつくっているメーカーでさえも
(最近のメーカーはもしかしたら意識的かもしれない)
このような言葉による理解はしていないだろう、ということである

形態と機能についての分析的知識(つまり理論)がなくても
使えるし作れるし、またより使いやすくするための改良もできる

つまり 形はしっている、ということだ

ならば、この形態そのものに
私たちの知性が実現されていると言えないか?


--- それは言えるし、すでに指摘されてるよね

そうだね でも人文学的かあるいは科学史的じゃん?

そのような知性のあり方を認知科学的につかまえられないか、
ってのが最近の悩みどころなんだよね
じゃないと ほら 使えないでしょ?

2007年5月22日火曜日

キリンジ・ピール

ここんとこキリンジづけ

神がかった『DODECAGON』にはまってからというもの、
生活上の心の軌跡をそのままなぞるように

今は『Paper Drivers Music』を

メロディ過多アレンジ過多に
やや胸焼けしてほかのを聴こうとするんだけど
ものたりなくてやっぱり聴いてる

それでも最近はよく
なぜか くるり をきく

口直し とゆーか
くるり や ZAZEN や Jim O'Rouke に
解かされるものは あるね




しかしtwitterばりに書いてるな w

--- 何かにつかまらないように?

そりゃ あるね




いつかは想像を超える日が待っているのだろう
いつかは想像を超える日が待っているのだろう
毎日は過ぎてく でも僕は君の味方だよ
今でも小さな言葉や吐息が聞こえるよ

from『How to go』

虚しさも中くらいなり

こうして書いてるとなかなかに虚しいものではあるよ

書かないと考えられないので自分のためではもちろんあるのだが
求められもしないものをこうしてさらすのは。

--- mixiでコミュニケーションする時代に錯誤的な考えですね。

しかしまあーあれだ、結局どうでもいいもんなぁ
ときどき会いたい人に会えればさ



それでいつもめんどくなってやめちゃうんですが
今回は「むなしくても続けなきゃだめだ」
とおれのソウルが叫ぶのだ

きっとそのうちなにか見えてくるのでしょう
もうちっとなんかこなれたものが書けてくるのでしょう
面白いですねとかってモテたりもするかもしれないじゃないか
がんばっていこーよ


そういう身勝手な企画だけに
お読みいただけてるかもしれない方々にとって
せめてなにかしらほんのちょっとだけでも
面白かったりするところがなければまずい、

と、また求められもしない余計なプレッシャーを
感じたり感じなかったりして今日の私がございます。

ころもほすてふ


これが職場の庭だ!ってゆーか単なる森だ!


ご当地仙台は毎日やばすぎる天気

でもこれから冷たくて暗くて長い最悪の季節がやってきます。

じっさい仙台の梅雨は最悪です。油断してるとすべてが
緑色のふかふかのもーふ状のものに包まれます

ぬくぬく〜



じゃねっつの!

このカビ野郎!



なのでいまのうち
せいぜいたのしんどこうと思います。


衣替えなども、6月になっては遅いので
この時期にやらなきゃならないんでしょうね。

服は結構あります

でも管理が下手なので地層の下の方のは全然着なくて
結局 着の身着のまま、です

訳がわからなくなると
弟たちに全部やってしまってリセットします

いつまでたってもうまくなりません

きちんと着回してる人を見ると
アタマいい人なんだなぁと マジ尊敬します

量なりのスペースを確保しろ、ってことなんだよな結局
でも箪笥的なものはきらい

ことしはニット系に穴をあけるのだけは
避けるようがんばります

2007年5月21日月曜日

日割りでゴー:東京転入人口

5年間で39万人が東京都に転入バナシの続き

ちょっとまて、転出がカウントされてないのでは?
と思ったが、やはり増分ということらしい(げろー)
この中の第12表


そのへんのスージを もうちっと具体化してみよう



まず日割りすると、

39万/(5*365)≒ 214人

大型バスがだいたい55人乗りなので
毎日4台が東京にのりつけて、
はいはいーこちらですよー ってわけか



出て行かれる方から見ると、

214 / 47 ≒ 5

各都道府県から毎日5人くらいが、
おら東京さいぐだ なわけだ

ほかの都市部も流入してるから
もっとたくさんだな


カーブが気になるな
単純な外挿はできないけど
過去5年はだいたい7万で推移してる
減る傾向はないなぁ


いっぱいいっぱい詰め込んだときに
テポドン飛んできたら
ってか地震がおきたら
どーすんでしょね。

危機管理って以前の単純な
想像力だと思うんですが


ってかほんと余計なお世話ですけど


東京の防衛・耐震能力高めるのと、
経済・生産拠点を分散させるの、
どっちがコスト小さい?

後者の方が波及効果としては健全だな
耐震能力アップも兼ねてるし
(集積度ちいさければ地震でも死ににくい)
防衛に関してはいわずもがな


そも集積すれば全体のパフォーマンスは
ほんとにあがるの?

ICT的に言えば、分散した方が市場は
大きくなるのでは?



しかしあれだけ容積ふやして
メンテどうすんのかなー
労働力へるのになー



いやになってくるのでこのへんで

2007年5月20日日曜日

宇治金時と人はいうなり


本日、蔵王はお抹茶の粉をはいたような萌葱いろ

宇治金時くわせー



あー 東京にもどれるのか おれ




昨晩のNHK地方再生系の特番チラ見したとき言ってましたが、
過去5年間に東京都に流入した人口、なんと39万人!!



むりっ




しかし「地方再生」といったときに、
いつの時代のなにを根拠に「再生」というのか
あまりはっきり語られないような気がします。

基本、公共工事によるばらまき方式以前の豊かさを、
ということではあるようなのですが。


だいたい想定されている「地方の豊かさ」なるものが
そもそもどのように形成されたのか?


それって「地方の豊かさ」を定義づけるってことでもあるので
まずそれをしないと何もはじまらない、というようなもんですけど、
(それでうまくいきそうならもう一度それをすればいいわけだから)
やっぱりあんまりそう言う話聞いたことない


調べたわけじゃないけど、かつての日本の地方の豊かさは
どう考えたって農業ベースのものですよね。
農本主義的に、農業ガッツリ、商業ほどほど、
そこから出発して、ぎりぎり地方資本が資本主義やれてた時代、
これがおそらく「地方の豊かさ」の原型的イメージだと思います。




--- 農本主義に帰れますかね?

あ、いや、帰れると思いますよ。
ビンボーで困るのは実は浪費できないことくらいです。
日本は気候風土から言って、ある程度の規模の
コミュニティにコミットしてればお金がなくてもなかなか死ねない。

まあ僕、浪費は大好きなのでなにも言えませんが。

とゆーわけで、戻ることはできないかもしれないけど
不可抗力的に戻らされることはあるかもしれなくて、
(グローバリゼーションって、負けたら日本全体が
沈んだ地方化するってことでしょう?)
そのときのことはあまり恐れなくていいのではないでしょうか。


それよか、資本主義というパンドラの箱を開けることで
地方は全国区に対する「グローバリゼーション」を既に経験済みだ
ということに注意しないといけないと思います。
そこから学ばないと。

規制緩和だのして、またも資本主義に勤勉に適応して、
より大きなグローバリゼーションに巻き込まれていくんですか
ってことですよね。(勝つか負けるかの前にね)


ピューリタンかっ!


地球上まれにみる気持ちいいお土地柄なんだからさぁ、
ストイックになる必要なんてそもそもないわけですよ。

わっさわっさと宇治金時みたいに萌える木々に
ほえ〜って溺れる「不真面目さ」をかなり心して実行しないと、
根こそぎ持ってかれちまいますよ〜

みぃこ07春夏コレクション


わかりにくいけど水玉部分は蛍光っぽい水色


今夏、これでイタ公をギャフンと言わせる予定

続・人間をこえろ

翌朝、もういちど将来構想について伺ってみる



おとん「ロクちゃん、おおきくなったらなにになるんだい?」



ろく「ゾウ」



おかん「おかーさんはバラ 可憐なオールドローズ☆」



おとん「 (-_-#) 」



ろく「おかーさんは キリンになるのー」



ろく「キリンになってー」



ろく「キリンなの!」



ろく「キーリーンっ!!」




ええーぃ、うるさい

人間を超えろ

きのう やぎやまどーぶつえんにいったロクスケくん、


「おおきくなったら ゾウになるー」


んだそうです。




がんばれよ

2007年5月18日金曜日

ムルくんの退院


つくづく へんなかたちー



やんやんムルくん(ふるっ)が車検から帰ってきました


一週間ぶりにのってみるとやっぱいいわ、この車
路面からびしびしかえってくる
ずーたいからは全然想像できないハキハキした挙動


今回気づきましたが、ハンドルのレスポンス不思議ー
あるところでぐいっとまがる
単に遊びが大きいんでもなく
なんだろ 指数関数的な?



しかし代車も最初は
こんなんどれのったっておんなじような
くだらないくるまーっておもってたけど


どーでもいいようなおんぼろのセダンに
Tシャツいちまいで窓全開で右手窓からぶらんさせて
ぐだ〜っとのってると(通勤姿ですが)


あー 夏だなァ


と思えてきて、あれはあれでよかったなぁ






あー ギャーギャーいいながら 海いきてー

のみほコースのみ

楽しかったです

30人くらいあつまってどーなるかとおもったが

もっとたくさんの人と話したかったけれど
時間まちがえた上に遅れてくんなよ、おれ


しかしあれだな
飲みの席でしゃべらされるのは
やっぱ苦手だ

ついつい青臭いこと言っちまう

職業柄もうちっと気の利いたことをいわなければ



「スピーチに使える格言集」
系の本がほしい いや買おう

「ええ〜、人生イタルトコロニ青山アリ、と申しますが・・」

などとゆいたいものだね





でもさー
やっぱキャリアは
「なにをしたいか」じゃなくて
「なにをすべきか」という言葉で
考えるべきなんだよ




おフランス発の生得説はさ、
もう死ぬほどとっくに否定されてんだからさ、
カッコとした「自分」なるものの発現なんてストーリーはさ
ありえないわけで、




それにそもそも意識の容量からして
バカみたいに限られてるんだからさ、
なにかしら具体的なものとの関わりのなかでしか
自分というものはありえなくて、
つまり、自分なるものは世界と自分の間のところに
形成せざるを得ないわけでさ、




このおれがいて 
おれが触れてるこの世界があったとき
その中で何が起こりうるのか、なにをすべきなのか
大げさに言えばその時々の使命というものをさ
冷静に考えてみるべきなんだ





必要なのは自分を探すことじゃなくて
自分を知るってことなんだ





どうすっか?ということを突き詰めて考えれば
やるべきことできることをするしかないということに
どうしたって行き着くはずなんで、

自己実現の脅迫にさいなまれ
「将来引きこもってしまうかも」と不安におののく
トーダイ生の2割の諸君は考えが足りないと言わざるを得ない
(そうゆう報道が少し前にあったんです)




なにかをよりよくするとしたら
その中で何かを可能にしてゆく
条件をいかによりよく構成するか
ということをおいてほかにないはず




じたばたすることと
流されることを
うまくバランスさせて
ナイスな「必然」を引き寄せたいものですね




とまあ、このような含意のことを
ごく簡単に申し述べたわけですが・・



・・・飲み会でこんなことをいうなんて・・



・・・もうドーカシテルとしかいいようがありませんね。



やっぱスピーチ格言集、必須だよ




(念のため、それ以外はギャーギャー言って騒いでただけなんですが)




まあでもさ、みんなやっぱデザインと関わっていくべきだよ
「べきなんだけど、どうしよ?」ってかんがえるべき
いいもんつくってんだからさ




最後になりましたが、今回の飲みをご手配くださり
盛り上げてくれた院生のTAのみなさん、ありがとうございました。


ちょっと長くなってしまいましたが
これでワタクシのスピーチをおわります。

ご静聴ありがとうございました。


また飲みましょう

2007年5月17日木曜日

小京都



今は中はギャラリーと気持ちのよいカフェ

というか気持ちのよいカフェのような自転車屋

完結した夢のような空間

まるで京都みたい

S/Nが生まれた場所



ダムタイプ・・

それを口にすれば切なくなるね

いろいろとね

感覚知の方へ

ポートフォリオ作っておもうけど
ビジュアル・ナレッジってあるなぁ


言葉で編まれたコンセプトとは違う

それに単にコミュニケーションを円滑にする効果って意味じゃなく

ヴィジュアルによってこそ成り立つ知性



ヴィジュアルにすることって
言葉による設計図を実現することって考えられてるけど
ヴィジュアルで考えるということはありうる

というかデザインという総合知のそれが大きな部分だ



どうやってつかまえる?

さしあたっては本のメタファーだな

読む
書く
考える


解釈学だな

デザインの解釈学 か
けっこうふつう(笑)

ググれば死ぬほどヒットしそう

でも感覚知ということを
明確に意識したものはまだ
それほどないはずだ

ヴィジュアル・ナレッジの解釈学



それにしてもこの演習
おれにとってタイムリーだなー

勉強になります

まあ基本クリシェの、だけど(笑)

でも解釈学はまずクリシェの整理から

ははぁ デザインの『紋切型辞典』か

なるほど

はじめての講評

半期ガッツリ終えるともれなく
ポートフォリオがついてくるお得な演習

まずはウチっぽく
IPプロダクツがお題

今日は講評


いいね!

生み出されたものについて語るのは!

アナリシスのものとはぜんぜん違うシンセシスの知



それは 生きる力 ってことにちかい



  音楽と地理情報を組み合わせたサービス


  すげー おれほしい!
  でも 絵はじゃまなんじゃね?



  >> それでもチサは ひきさがらなかった



  んー でもやっぱ絵はないほうがいいけどね(笑)



いいねいいね たげいいね こーゆーの
がっつり語ろうよ 作ったものでさ

2007年5月15日火曜日

やらなきゃいけないことを

やるだけさ
だからうまくいくんだよ

---『アイデン&ティティ』




じこじつげんなんてくそくらえ




2007年5月13日日曜日

ばふーん



だしまきはうなぎのおふとん



だったのです

犬の目

「結局よくみることが何よりのたよりになるものです」

 --- 福田平八郎(自作「漣」に寄せて)



かわいらしいなぁ


そしてぞっとするほどそのものが
迫ってくるのだ




「よくみること」の

屈託のなさ

自由さ

かわいらしさ


そのまま

つまり強さ





よくみよう

犬の目で

よく みるんだ

2007年5月8日火曜日

おわったというかおわらせた

ああー
とうとう書き終えた
と申しますか、
終わらせました。


もうめんどくさかったんです。


今回はややこしかった。
身体性なんてものに手を出すからである。

形式的にも緻密さに欠けてちょっと恥ずかしい。

でも、2つばかしちょっと展開できそうな
洞察を得たのは収穫だった。

まあそれだけでいいや。


・・エディタ、なんていうかな
その意味じゃおわってねぇんだよなー

あー やれやれ

メモ:セミスクラッチのとこ、もうちょっと

セミスクラッチがアイデアとして後発なことを
指摘することから始めるのはどうだ?

私たちの身体をインタフェイスとして
機械と一体化する、というアイデアは
脳を取り出すアイデアより後からきた

なぜだ?

道具が身体の延長であることの理解必要
→なにかしらの「一体感」を感じる契機
 →それはなんだったのだろう?
  →補綴具はやっぱその一つだったろうな→WWI
インタフェイスの概念必要


形態:道具を想定(身体とそうでないもの、インタフェイス)

それによって形が変わる場合の拡張可能性

ところが、変わる場合だけではない
それにむしろ、これから考えなければならないのは機能の方

拡張が形態的変更を伴わないことの方が多くなるから
(根拠は?→一つはAP)

機能はどうやって知る?
→環境とのインタラクション
アフォーダンスだね

このことをギブソンは指摘してたか?

2007年5月7日月曜日

いまだけここだけ

脳には現在しかない
思い出さえも現在の状態としてある


ということに気づいた、というか
まさに直覚してしまったときの衝撃は大きかった。


脳にもHDDのようなストレージがあって
思い出は思い出として、
タイムスタンプが押されて、
記録されている 

と想定しがちで、

もちろん私たちはそのようなデータモデルに従って
脳の現在というものを整理していて、
またそれは社会的要請でもあるので、

それはそれでよいのだが、

それでも脳を見れば、
現在の電気的・化学的状態というものが
ただフラットにあるだけだ。


思い出なるものも、それを取り出すときに
そのように語るからそうなるだけのこと



本来時間的には未分化な脳のありようは
ロクスケを見てるとよくわかる

現在のちょっとしたものごとにトリガーされて
昨日や一昨日やもっと前のことが
区別なく繰り出されてくる。

  「いまやまにのぼったらさ、かもつれっしゃがあったの」

   えええーっ???ああ、面白山のこと?
   いったねー(何ヶ月か前にねー)

  「さっきそこにおばあちゃんすわってたね」

   えええーっ??!!あ、そうか、昨日ね、
   昨日までそこの席でご飯食べてたもんね。
   (あーびっくりした、母になにかあったのかとおもった)



だから

体験を ものごとを 
どのように語るかはとても大切なこと



言葉は過去が織り込まれた現在を
美しくもそうでなくも組織する

来るべき現在はその上にまた
織り込まれてゆくのだ



いえ、

ものは言いよう、と開き直りたいわけでも
なんか説教じみた人生訓がいいたいわけでも
もちろんなくて



ああやっぱ
ことだまはあるなぁ


と、

脳の神経科学的事実からそう思えてしまう、
とまあそうゆうことなのです

2007年5月6日日曜日

メモ:構成どうしよー、再び

水槽の中の脳の寓話
→知性の創発に歴史的な身体必要

だけどこの帰結はきまじめすぎるかも

身体が一意に「決められない」ことと、
身体なしに知性が創発できることは別。

少なくとも、意識は意識を対象化できる。

あとは表現の問題。

『ディアスポラ』が示すこと
→身体=時空=認識のアプリオリな形式

 #前半はこんなところか

漸次的な拡張に認識を対応させる
現象的・神経科学的な証拠はある

まあたぶん、なんでもあり

ところが、これらの証拠の大部分は
身体イメージに関するもの

つまり形態面での拡張についてのみ

機能は?

おそらく環世界の認識に直接効くのが機能の方

「世界の外」を記述する
→認知科学とSF両方のチャレンジ

 #後半はこんなところか


 まあこんなもんか
 もういいかげんめんどくせぇ

2007年5月5日土曜日

何かを待望するかのように


海のかなたをみつめて。




この海岸に初めてたどりついたときはうれしかった



フェリーニの海

とみいこは言い

アントニオーニの海

とおれは言った




文系だけどインドア派じゃなくて
だけど圧倒的に山派だった


それがあるときから海派に


っていうか海も無性に好きになった


ぺろんとしたかっこで
ビーサンでペタペタあるけば
それでOK!



浦安の血か?
瀬戸内の血か?
はたまた有明海が呼んでいるのか?

タクを囲む会07春




初給料を得たカモネギどもが


肉を喰らったり
卓を囲んだり
ギターを弾いたり
ロクスケをいぢめたりして



約12時間だらだらと。



まだ学生気分が抜けきってないようだな!



おれもな!



屈託のないやつらと
ときどきこうして
だらだら過ごせたら




女子3人いろいろありがとう。
ンをソにかえてウヒウヒ言ってるばかりで
すみません




「さっきかかってた暗いの、いいすね」
お、浅川マキには反応があるのかい?

いいねぇ

こりゃ「スナック☆マキ」企画が意外と早く実現できるかも

 *「スナック☆マキ」とは
  場末系スナックを借り切り、
  全員浅川マキになりきりつつ、
  カラオケで順番に歌う(当然浅川マキのまま)
  という夢の企画である。
  まだ実現はしていない。


しかしキリンジには反応がないんだねぇ
さすがのまっつんもぽかんとしてた
ただのポップスに聞こえちまうんだろうね
あと一ひねり大人になんないと ね


まあ『ムーミンママのお料理の本』に反応しちゃう
シンゴくんもどうかとおもうが 持ってるか?ふつう
ユカちゃんにもらったんだよなー これ
いるるとあいたいなー



帰り際も家の前でぐずぐず

「ああー もう夏だー」

まだ寒くね?

「あ いや、空気のにおいが」
「417から朝帰るときのにおい」
「あはは」

あはは

おんなじこと言ってるやつがいたよ こないだ
夜中のファミレス出たとき



てつしー、バイクのるときのカッコ、
学生んときのまんまじゃん!



またやりましょう

2007年4月30日月曜日

北上のさくら



ははと、みいこと、ロクスケと、
北上展勝地のさくら見に。


ぬるくてすべすべした風
あとからあとからどうどう流れる北上川
おいしそうなすきとおった川縁の草と新緑
広くて抜けた青の空
ずーっとむこうまでもこもこ続く桜並木


おしゃべりしたりだまったり
そしてときどき
いいねぇ いいわねぇ
といいながらずうっと歩く


去年の春まだ桜の咲かないころ
いきあたりばったりで見つけた場所

そのときロクスケは初春の川辺の若草の
中にとつぜんぺったりすわりこんで
うっとりとうごかなくなった。


そのあと桜の季節にはマチゾーさんと。


そして今年は、こうして今のこの僕が
ははと、みいこと、ロクスケと。

人生はまったく油断がならない。



ここで高校生だったらよかったのに。

部活終わってジャージでチャリンコで。
好きな子とすわってずーっとおしゃべりして。
べつだんチューとかはしない 
ただぬるくてすべすべした風に 
うっとりするだけ
(『青い山脈』の草いきれの野原に
ねっころがるシーンみたいな)

みいことの想像ばなしは
だいたいいつも映画のシーンみたくなる



ろくすけは、最初にころんだときつかんだ
わらしべを最後までずーっと離さなかった

その日、長者にはなれなかったけどね。

2007年4月27日金曜日

メモ:構成どうしよー

任意の身体の可能性を探る方向は

・身体の任意の拡張に脳がついていけるか?

というのがまずひとつ

この中には形態と機能の認識が含まれる

 形態は神経科学的根拠あり
 機能は新しい問題かもー!わー
 →きっとアフォーダンスの概念が拡張されるのだ(要検証)

もうひとつは

・認識だけの存在がありうるか?

つまり、身体を消す方向だな、うん

この設定は不思議な二重性を帯びるはずだ

 火星人みたいなタコもあり:認識だけの存在OK
 火星人みたいなタコにする根拠がなくなる:決定は歴史的

 対立は歴史とデザイン?

 えっ!

 でもそういうことか

 うーん、この辺は頁を改めよう

メモ:形態と機能

自分がサイボーグだとせよ

まあ形態的な変化はわかるよ、見りゃ
でも機能的な変化はどうやって知るのかな




カニの手アタッチメントを装着!



手がカニっ!それはみりゃわかる



手がハサミっ!になったことは?

・・なんかをつかんでみりゃわかる、か。

わいー!

アフォーダンスか!

そうかそうか。

コクリの哲学

学生くんが演習の課題のことで相談にいらっしゃる。
本のICT的拡張のデザイン。いくつかのサムネール。




ああ、正解をお求めですね。




同じ時間を過ごすなら、
「・・・これって正解ですよね?」
より圧倒的に
「ほらほら、おもしろいでしょ!」
をききたいよおれは、と申し上げる。



自分も毒されていただけに、
受験価値観を解毒するのは大学の役目だと思っている。
でもどうすりゃいいのかね。

上述のようなことをいって解毒されるようなら世話はない。
(キアリー をとなえた!)


人生短いんだからさー
人の定規に測られにいくひまないっしょー

と思わず嘆息すると

「いきなり じんせいっすかー、はぁー」

とおっしゃるので

そりゃそうでしょう
人生が人生としてあらわれることはないんだよー



それにさー
自分をこめないものでおこるコミュニケーションがさー
自分をドライブすることなんてありえないっしょ、

正解求めていったものほめられて
それで自信になるわけー?




たとえばさー、誰かに好きって伝えることって
とても勇気がいるし、全身でオオマジになる瞬間だけど
(白昼堂々どういうたとえだよ)
それが受け止められたときって、
ぶっとんでっちゃいそうになるじゃん




「あー・・・(仰ぎ見て)・・・そうすね」



目を伏せちょっとはずかしそうにしたきみは
すでに なかなか いいかんじっすよ。